ライブハウス『WWW』代表を直撃

ライブハウス『WWW』はいかにして生まれ、どこに向かうのか 代表・名取達利氏を直撃

 渋谷・スペイン坂にあるライブハウス『WWW』が、2016年初秋に2号店をオープンする。2号店は、1号店が入居しているライズビルの2階にある映画館・シネマライズ跡地に開店。フロアはフラットな形状となり、柱のないホール設計や高性能な音響、照明、映像設備によってライブハウスとクラブの融合を図るという。キャパシティーは1号店よりひと回り大きくなるほか、1号店と2号店を繋いで同時に使用できる設計も検討中とのこと。そのほかの詳細は来春に発表される予定だ。今回の発表を受け、リアルサウンドではWWWの代表であり、株式会社スペースシャワーネットワークでライブハウス事業部の部長を務める名取達利氏を直撃。彼が歩んできたキャリアや『WWW』誕生の経緯、2号店のねらいとオープン以降の構想などについて、じっくりと語ってもらった。

「新しい音楽やシーンを発信しなければやる意味もない」

――現在はWWWの代表や、ライブハウス事業部の部長として活躍している名取さんですが、そのキャリアは制作会社からスタートしたとか。

名取達利(以下、名取):最初は音楽制作会社でCM・映画音楽の制作、アーティストのマネジメントの現場業務などを担当しました。制作として4年ほど勤めたあと、2001年に株式会社スペースシャワーネットワークへ転職して、現在に至ります。

――転職の理由は?

名取:ちょうどスペシャが『beatrip.com』という新事業を始めたタイミングだったんです。社会的にはインターネットがようやく一般層に普及し始めたころで、様々な企業が新たな取り組み始めた時期で、音楽とネットの相性にはみんな気づいてたわけですが、そんな中この事業に興味を持ちました。色々調べていたら「新規事業に携わる社員を募集」と書いてあったので、これはきっと『beatrip.com』のことだろうと思い、面接を受けることに。前職ではレコーディングエンジニアを目指していたんですけど、自分には向いてないなと思っていたので。

――あ、そうなんですか。

名取:職人的な仕事は全く向いてなかったです(笑)。いろんな音楽が好きなタイプなので伝える仕事の方が向いているかもと思って。実際に面接を受けたら全然違う新規事業の募集だったのですが、ひとり勘違いして『beatrip.com』に入れてくれと押し売りしたら、あっさり入れてくれました。

――2001年ごろって、まだMVがインターネットでは流れていなかったですよね。

名取:ちょうどインターネットが盛り上がりはじめて、スペースシャワーはケーブルテレビやCSのプラットフォームに加え、ネットで音楽コンテンツを広めようとしていました。

――『beatrip.com』は、スペースシャワー・グループのほか、J-WAVEやFM802など、主要5都市のFMラジオ局がコンテンツを提供する音楽情報サイトでした。

名取:はい。アーティストに関する情報を記事にしたり、ライブ中継や映像も含めたストリーミング・サービスなどを提供していました。

――今では当たり前になっていますが、当時はかなり先鋭的なサービスでしたよね。

名取:メジャーのメーカーもYouTubeをプロモーションに使うという発想もなかった時期ですから。「こういうことをインターネットでやったら面白くないですか?」と、メーカーさんに提案をしていたのですが、ストリーミング回線もカクカクでしたし、権利関係の融通も利かず、なかなか取り合ってもらえませんでした(笑)。

――ライブ映像をストリーミングするという試みが理解されなかったのでしょうか。

名取:そうですね。権利者側もインターネットをどう使うか様子見てた頃なので、どういうコンテンツに落とし込めば、こういう新しい試みを理解してもらえるのかを考えて提案はしていたつもりですが……。「自分たちの権利や領域を奪われるのではないか」と、警戒されていた部分もあったと思います。

――なるほど。サービスは発足から3年後、2004年に終了しました。

名取:原因としては、「マネタイズが難しかった」の一言に尽きますね。概念として正しいのはわかっていたんですけど、権利面が整備されてなかっただけでなく、ストリーミングサーバーの値段が月額契約でウン百万かかってた時代ですから、インフラ面のコストは高いし、持続は不可能だろうと思っていました。日本でいちばん優秀なエンジニアたちが立ち上げて、なんとか土俵に乗ることができるレベルのサービスをやろうとしてたわけですから、そこそこの素人が集まってやっても成功するはずがない(笑)。

――その後はすぐ、スペースシャワーのイベント事業に移動したのでしょうか。

名取:『beatrip.com』が終わってから、当時イベント事業を率いていた上司に誘われて、そこに移りました。テレビにはあまり興味がなかったですが、現場で遊んできたタイプなのでイベントならと。当時はスペシャでもイベント事業の重要度はそれほど高くなかったんですが、『スペースシャワー列伝』という新人イベントのブッキング制作や、『SWEET LOVE SHOWER』の山中湖の立ち上げなどに携わりました。『スペースシャワー列伝』は当時まだミュージックビデオがないような新しいミュージシャンを紹介するためにイベントを企画して、それを撮って流すためのもので。全国でもやったらいいかなと『スペースシャワー列伝TOUR』を立ち上げたり。ただ、列伝ツアーは1年目に大きな赤字出して、上司に会議室で首絞められましたけど(笑)。

――そこからWWWを立ち上げた理由は?

名取:beatripやイベント事業部でいろんなライブの現場を見てきたり作ってきたこともありますが、若い頃からライブハウスやクラブで遊ぶのが好きで現場での体験が音楽の原体験でしたし、音楽や文化の多様性が自分の中では重要なので、街の中に多様なカルチャーのプラットフォームを作るという発想に行き着きました。場を持てば才能ある人たちを現場からサポートできるし、スペースシャワーを通してメディア連動もできる。そこで当時社長だった中井(猛)さんに提案したら「じゃあ、やれ」と言われて、物件を探し始めました。

――1号店として、「シネマライズ」が入っていた渋谷区宇田川町の「ライズビル」を選んだのはなぜなのでしょう。

名取:『東京R不動産』というサイトの代表である吉里(裕也)さんに出会ったのがきっかけですね。坪いくらでうんぬんみたいな条件というより、フィーリングが重要だったので不動産屋とはなかなか話しが合わずでどうしたもんかと。そんな中で吉里さんは音楽好きで、自分と感覚も近かったですし、自分が求めていることがスムーズに伝わったんです。東京に生まれ育って、ずっとこの街で遊んできた身からすると、90年代の東京はすごく面白かった。そんな感覚もあって、街にどんな音楽の場があるのか、どんな遊び場があるのかが音楽文化にとって重要だと考えていたのですが、吉里さんも同じように「街をどう面白くするか」を考えている人で不動産屋なのにハードよりもソフトばっかり考えてる(笑)。そういう意味で僕らは非常に近いと思ったので彼に委ねようと決めたら、ライズビルのオーナーを紹介してくれたんです。自分もシネマライズで『トレインスポッティング』や『lost in translation』など、人格の一部に影響を与えてもらったような映画を観てきた場所なので、「オーナーに会ってみたい」と、実際にお会いしてみたところ、僕がやりたいことを理解して頂けて一緒にやらせていただくことになりました。

――こけら落としは神聖かまってちゃんでしたね。スペシャの生中継、ニコニコ生放送、DOMMUNEの3元中継を仕掛けるなど、最先端のライブハウス感が強かったことを覚えています。このブッキングや企画は、原点だった『beatrip.com』を意識したものだったりしますか?

名取:あ、全然考えてなかったです(笑)。今って、長く続いてきたものや間違いないと思われてきたエスタブリッシュメントが崩れてきている。そういう意味で、神聖かまってちゃんは自覚的かどうかギリギリのところでそれを独自のやり方で壊しているという意味で象徴的で、時代性があって面白いですよね。このライブで松江(哲明)監督が撮った映像を『極私的神聖かまってちゃん』という作品にして、上映会をWWWで行いました。映画監督が作った作品を、もともと映画館だったところで上映するのは、感慨深いものがありました。

――おっしゃるように「もともと映画館だった場所」に新しいライブハウスができたわけで、具体的に例えば損益の面とか、公演を埋めていくというところで、1~2年目あたりで苦労したところもあると思うのですが。

名取:最初の頃は悲惨でしたね(笑)。そもそも、スペースシャワーの予算でライブハウスをやってるみたいなのは、あまり意味がないと思っているので。親に援助してもらってるライブハウスって、嫌じゃないですか(笑)? 自分も大衆文化にこだわりがあるので、自分の足で歩いていないと辻褄が合わない。同時に新しい音楽やシーンを発信しなければやる意味もないので、そのためには多様性が必要だし、チャレンジを続けないといけない、且つ持続可能でなければいけない。ただ、始めてみたらすごく大変で……。

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