『嵐はなぜ最強のエンタメ集団になったか』先行公開PART.5

嵐が描いてきたゼロ年代の情景とは? ドラマ作品における軌跡をたどる(前編)

 嵐が日本一の男性アイドルグループとなった理由を、音楽性、演技・バラエティ、キャラクター、パフォーマンスという4つの視点から読み解いた書籍『嵐はなぜ史上最強のエンタメ集団になったか』が、4月16日から17日にかけて、全国書店やネット書店で発売される。同書はリアルサウンド編集部が制作を手がけ、青井サンマ氏、柴 那典氏、関修氏、田幸和歌子氏、成馬零一氏、矢野利裕氏など、嵐に詳しい気鋭の評論家・ライターが寄稿。嵐の魅力を多彩な角度から解き明かしている。

 書籍の発売に先がけ、掲載記事の一部を紹介してきた同シリーズ。今回は、嵐がドラマ作品を通じてゼロ年代の情景をどのように描いてきたかを、ドラマ評論家の成馬零一氏が読み解いたコラムをお届けする。(編集部)

参考1:【嵐が次にめざす方向性とは? “日本一のエンタメ集団”を徹底分析する書籍登場】
参考2:【嵐の楽曲はどう“面白い”のか? 柴 那典×矢野利裕がその魅力を語り合う】
参考3:【嵐がジャニーズの後輩に与えた影響 各メンバーの姿勢はどう引き継がれていったか(前篇)】
参考4:【嵐がジャニーズの後輩に与えた影響 各メンバーの姿勢はどう引き継がれていったか(後篇)】

「嵐」以前、ジャニーズアイドルの90年代

 嵐を筆頭に、今ではテレビドラマにジャニーズアイドルが出演することは当たり前のことになっている。新クールのドラマが出揃うと「ジャニーズアイドル主演のドラマが何本あるのか?」がマスコミで話題となるのは、もはや慣例行事だが、こんなことが話題になるのはジャニーズアイドルくらいのものだろう。

 古くは、『3年B組金八先生 第1シーズン』(79~80年・TBS)にたのきんトリオ(田原俊彦、近藤真彦、野村義男)が出演したり、トレンディドラマの『抱きしめたい!』(88年・フジテレビ)に本木雅弘が出演したりといったことはあったがこれらは、あくまで例外的存在で主演作も決して多くない。アイドルと俳優という仕事がまだ住み分けられており、ジャニーズアイドルが本格的に俳優活動をする場合は、アイドル活動を卒業して、次のステップとして俳優業に向かっていくということが、ほとんどだったからだ。

 テレビドラマはアイドルにとっては主戦場ではなく、テレビドラマもまた、アイドルを戦力と見ていなかった。あくまで当時のアイドルたちの活動は、『ザ・ベストテン』(78~89年・TBS)などの歌番組が中心だったのだ。

 しかし90年代に入り歌番組が減っていくと、それにともない、アイドルたちは活動の拠点を歌番組の外に求めざるをえなくなっていく。そんな時代に、全方位的な活動が要求されることになった最初のジャニーズアイドルがSMAPである。

 彼らは生き残るためにアイドルでありながら、歌番組だけでなく、バラエティ、スポーツ、報道、そして映画やテレビドラマといった俳優業へとアイドルとして進出していき、それぞれの分野で独自の地位を勝ち取っていった。

 SMAPの活躍により、人気はあるが専門的な技術は劣る半人前の存在の象徴であったアイドルが、何でもこなすマルチな存在へと意味が変わっていったのだ。

 その結果、当時のドラマの中心だった月9(フジテレビ系月曜9時枠)を中心としたフジテレビ系のポスト・トレンディドラマの主演を、木村拓哉を筆頭とするSMAPが占めるようになっていく。

 一方、今までとは違うフロンティアを俳優として開拓していったのが、KinKi Kidsの堂本剛である。彼が主演したTBS金曜ドラマで放送された『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』(94年)という野島伸司・脚本の文芸色の強い青春ドラマと、土9(日本テレビ土曜9時枠)の『金田一少年の事件簿』(95年)を筆頭とする漫画原作のジュブナイルドラマ。これらの作品はトレンディドラマで若返ったドラマファンの年齢層をさらに若返らせ、10代の中高生にも訴求するテレビドラマの流れを作りだした。

 なかでも土9は、今日のジャニーズドラマを考えるうえで、もっとも重要なドラマ枠。少年マガジンの原作漫画×演出家の堤幸彦らによる実験的な映像×若手ジャニーズアイドルという組み合わせから、数々の傑作が生まれた。ここでの実験は、漫画原作の映像化した“キャラクタードラマ”という形で、00年代に入ると様々な形で開花していく。

 ここにうまくハマったのが、TOKIO、V6といったポストSMAPとしてのジャニーズアイドルたちだ。彼らもまた、SMAPと同じようにオールジャンルへと進出していった。

 一方、土9で頭角を現した映像作家の堤幸彦はやがて、舞台をTBSに移し、カルト刑事ドラマ『ケイゾク』(99年)を発表。土9時代の10代向けジュブナイルドラマという枷から解放された堤演出の映像美と複雑怪奇な先が読めない展開は、各方面から高い評価を受け、テレビドラマの流れを大きく変えた。

 その後、堤は00年には長瀬智也主演の『池袋ウエストゲートパーク』(00年・TBS)を手掛ける。その時に大抜擢されたのが脚本家の宮藤官九郎で、その後の『木更津キャッツアイ』(02年・TBS)等のクドカンドラマへとつながっていき、ジャニーズアイドル×クドカンドラマという盤石の組み合わせが席巻することになる。

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