栗原裕一郎の音楽本レビュー 第10回:『詩的で超常的な調べ 霊界の楽聖たちが私に授けてくれたもの』

リスト、ベートーヴェン……霊界の楽聖たちの作品を代筆!? 音楽霊媒師が書き残した奇書を読む

音楽霊媒師となるまで

 ローズマリー・ブラウンは1916年、ロンドン南西部のクラッパムに生まれた。クラッパムは中流階級地区だったが、彼女が生まれた頃から次第に貧しい地域になっていった。ローズマリーの家も裕福ではなく、音楽に触れることはほとんどなかったという。

 ローズマリーがリストの霊に初めて会ったのは7歳くらいのときのこと。それ以前から彼女は日常的に霊を見るようになっており、特に驚きはなかった。リストは名前は告げず、作曲家でピアニストであるとだけ自己紹介をし、「君が大きくなったらまた会いに来るからね。そのときは君に曲をあげよう」と言い残して去った。

 リストの霊に会ったあと、ローズマリーは突如ピアノを習いたいと思うようになった。「ことによると彼がそれを私の頭の中に吹き込んだのかもしれませんが、実際のところ私には分かりません」。

 そうしてピアノを習い出すのだが、彼女がどのくらいレッスンを受け、どの程度習熟したのか記述が曖昧ではっきりしない。訳者は、断続的に都合で3、4年程度ではないかと述べている。

 自伝では幾度となく、自分に音楽的素養がないこと、ピアノの技術が拙いことが強調されているのだが、先のレコードは半分ほどを彼女自身が演奏しており、そこそこは弾けるレベルであったことが確認できる(訳者は「中級のピアノ学習者のレベル」と評している)。

 露出が増えるにつれ、当然ながら、本当は音楽的な訓練を積んでいるのではないのかという疑惑が付きまとうようになり、それらに対する牽制もあって誇張気味になっている節もあったのかもしれない。意地悪い見方をすれば、音楽的素養や技術が低ければ低いほど、彼女が書き付ける音楽の意外性という価値は高くなるわけだ。そうした詮索——彼女は「懐疑派」と呼んでいる——もまた散々やられてきたことだった。

 15歳でグラマースクールを卒業した彼女は郵政省に就職した。戦後、フリーのジャーナリストと結婚し一男一女をもうけたが、61年に夫を病気で亡くすと、リストが再び彼女の前に現れるようになる。死んだ夫も常に彼女と子供たちのそばにいたと彼女は書いている。

 この再会からローズマリーはリストの要望に応え、彼の伝える曲を楽譜に記録する「仕事」を始める。

 作曲家たちが霊界から降りてきて音楽を現世の人々に授ける意味を、彼女は、指揮者ヘンリー・ウッドの霊が霊媒を通じて彼女に伝えてきた言葉としてこう書き記している。

「できることなら私たちはあなた方の世界を変えたいと望んでいます。人々の考えを変えたいのです。ここにいる多くの魂たちの努力によって、きっと私たちは生きる目的への大いなる気づきと理解を人類にもたらすことができるでしょう」

 リストが音楽を伝える方法は、しばらくの試行錯誤の末、口述筆記に落ち着いたとされている。つまり、リスト(の霊)が音名や和音を口にし、それを書き取るというのだ。他の作曲家についても同様だったという。

「彼等は、どこで和音になり、その和音を構成する音が何であるのかを私に言ってくれるのです。彼等は調号を指定し、一つ一つの音符を言ってくれます」

 作曲家によっては、彼女に憑依し彼女の手を操って自ら楽譜を書くこともあった。たとえばベートーヴェンがそうで、BBCの番組で彼の曲を書き留めてみせたときは、ものすごいスピードで自動書記のように楽譜が仕上げられていった。

 前出のリチャード・ロドニー・ベネットはこのときの様子を目撃しており、「楽譜を書くことに慣れている人々ですら、あれほどの速さで五線譜に楽譜を書きつけることには難儀するだろう」と述べた。ちなみに霊界でのベートーヴェンはもはや耳が不自由ではなくなっていたそうだ。肉体から解放されたため、そうした制約は解除されたのである。

 作曲家たちのなかにはテレパシーで音楽を送り聴かせることのできる者もいた。それらは「協奏曲や交響曲の全曲をわずか数分で」聴けるよう時間を「圧縮」して送られた。彼女はシューベルトから『未完成交響曲』の続きを聴かされたそうで、楽譜として完成させられたらと願っていると書き記しているのだが、結実はしなかったようだ。

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