市川哲史の「すべての音楽はリスナーのもの」第3回
X JAPANはU2よりも27年早かった!? 市川哲史が明かす、無料配信にまつわる秘蔵エピソード
思い起こせば1980年代はレコードの時代で、パンクやメタルやニューウェイヴの国産バンドのほとんどがアングラ的存在だった。レコードはコスト高だから割安のソノシートやカセットテープが彼らの作品メディアで、まさに<自主制作>という言葉が似合っていた。
やがてバンドブームが萌芽してロックのレコードやCDがメジャー流通されるようになると、ハンドメイド感全開のカセットを宣材としてライヴ会場で無料配布するアマチュア・バンドが次々と現われる。だってタダだもん、話題性は充分だ。
すると、《人がやってないから、やる》《周りから反対されたから、やる》が基本行動原理のYOSHIKIが黙っていられるはずもなく、1987年当時まだ一介のインディーズ・バンドのXは、PV3曲入りの自主制作ヴィデオ『XCLAMATION』の無料配布を敢行してしまった。その話題性が目論み以上だったのは当然だろう。
だがしかし、20分収録のVHSヴィデオ(←死語)の制作コストは尋常ではない。そのためYOSHIKIから、『明日までに一人7万円!』『4万円、明日持ってきて!』とのお達しが他のメンバーに下される毎日だったという。家が金持ちのYOSHIKIにとってこの程度の出費はどうってことなかっただけに、他のメンツの苦労が偲ばれる。
PATAはバイト先のヴィデオ屋で、いつ終わるとも知れぬダビング作業。hideは美容師、TOSHIはヅラかぶってカラオケ屋でバイト。そして家具を売ってなんとか工面していたのが、TAIJIだった。部屋から家財道具がどんどん失くなり、電気も止められたから灯りはローソク。毎朝、コンビニで届いたばかりのパンや牛乳をかっぱらって生活していたらしい。