栗原裕一郎の音楽本レビュー 第2回:『「黄昏のビギン」の物語』

「黄昏のビギン」はいかにしてスタンダード・ソングとなったか 名プロデューサーの快著を読む

「黄昏のビギン」が成立した背景

 とりわけページを割かれているのは、中村八大と永六輔の六・八コンビについてだ。

 シングルB面として発表されたもののパッとせず忘れられていた曲が、ある一人の歌手によって発見され、新たな生命を吹き込まれてリバイバルした。

 表面的にはそれだけの話だが、著者の佐藤剛はこの経緯を、偶然ではなく、必然だったと見なしている。だからこそ物語は紡がれねばならなかったのである。

 佐藤がそう考えるようになったのは、永六輔が、「黄昏のビギン」の作詞は、自分じゃなくて中村八大だと漏らしたことがきっかけだった。『中央公論』2013年1月号で対談したとき、永は佐藤にこう切り出したのだった。

 実はあの歌、八大さんがつくったんです、作詞も作曲も。
佐藤 (驚いて)エッ、作詞もですか。
 僕じゃないんです。でも八大さんが「君にしておくね」って言って。(…)それで八大さんは、自分で作詞・作曲をしたから、あれが一番好きなの。

 半世紀後に明かされた驚きの事実だが、佐藤は驚くだけで済ませずに、「黄昏のビギン」という曲が成立した背景と、いうなれば創造の秘密へと分け入っていく。この本がなかば、中村八大と永六輔の評伝の体を呈しているのはそのためである。

 綿密に調査し、集めた情報を分析して仮説を立て、検証していく。

 佐藤のやり方は極めて実証的で、主観や思い入れが先行しがちな音楽評論とは一線を画している。といって学術書みたいに堅苦しいというわけでもない。

 調査の過程でも、これまで知られていなかった新事実がいろいろ見つかっている。

 最大のトピックにして秘密を解く鍵となっているのは、「黄昏のビギン」にはいわば草稿というべき原型があり、水原弘が歌う以前に、映画の劇中歌として歌われていたという発見だろう。

 58年からのロカビリーブームを当て込んで、東宝は59年に2本のロカビリー映画を作った。『青春を賭けろ』と『檻の中の野郎たち』がそうだ。どちらもほぼ同じスタッフ、出演者で撮られた映画で、中村八大と永六輔のコンビが誕生したのも、これらの映画に使う音楽を中村が任されたことに端を発している。

 ドラッグ中毒から抜け出した中村が音楽家としてやっていく決意を新たにし、行き違いから疎遠になっていた渡邊晋に「なんでもいいから譜面を書く仕事をください」と頭を下げ、演出家の山本紫朗に紹介されて映画の仕事にありつき、だが詞をどうしよう、作詞家なんか一人も知らないしと日劇前を歩いていたら早稲田大学の後輩の永六輔にばったり出くわして、作詞などそれまで一行もしたことがなかった永とコンビを組むことになる……といった成り行きも、ドラマチックというか行き当たりばったりで面白いのだが、詳しくは直に読んでいただくとして先を急ごう。

 ともあれそうして即席で生まれた六・八コンビは、山本紫朗に一晩で10曲作ってくるよう命じられ、10曲仕上げた。水原弘のデビュー曲「黒い花びら」もそのうちの1曲で、もともとは『青春に賭けろ』の主題歌だった(「黒い花びら」の発売を巡っても一悶着あったのだが)。

 中村と永がこの晩に作った10曲のうちに「黄昏のビギン」も含まれていたのではないか。そう推理した佐藤は、一度もソフト化されたことがない映画の録画DVDを知人から入手し、果たして『檻の中の野郎ども』の劇中で、名もない挿入歌として同じメロディが歌われているのを発見するのである。

 しかし、歌詞は違っていた。劇中歌の歌詞こそ永六輔が書いたものであり、それを中村八大が改変して「黄昏のビギン」の歌詞は出来上がったのではないか——。

 双方の異同を付き合わせた佐藤は、得られた手掛かりと、収拾したデータから、さらにそんなふうに推理を展開していく。

 その一方で、幼少時から基地を回って歌っていたちあきなおみが、中村八大と接点を持っていた可能性、「黄昏のビギン」を耳にしていた可能性をつぶさに検討していく。むろん、ちあきが「黄昏のビギン」を歌ったことが、偶然ではなく必然であったことを示すためだ。

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