倉木麻衣は「ビーイング系」の枠を超えたか? 15年のキャリアにおける変化を読む
人気女性シンガーの倉木麻衣が1999年のデビューから今年で活動15周年を迎える。この記念すべき年を迎えるにあたりライブツアー「15th Anniversary Mai Kuraki Live Project 2014 BEST “一期一会” ~FUN FUN FUN☆彡~」の開催が決定。「今だからこそ改めて初心を大事にしたい」との思いから、本ツアーはライブハウス公演で幕を開ける。現在発表されているのは6月21日の愛知・Zepp Nagoyaから8月10日の福岡・郡山HIP SHOT JAPANまでの全8公演。その後には全国ホールツアーや海外公演をはじめ、12月に15周年の集大成となるスペシャルライブの開催も予定されている。
豪華作家陣の手がける楽曲。実力派ミュージシャンによるアレンジ。人気アニメとのタイアップ。極端に抑えられた本人露出…。90年代に隆盛を極めたビーイング系ミュージシャン、その究極系としてシーンに登場した倉木麻衣。当時はMISIAや小柳ゆき、そして宇多田ヒカルなど和製R&Bディーバ全盛の時代。倉木麻衣もまた「和製ディーバ」のひとりとしてデビューを果たしたが、そのサウンドは徹頭徹尾ポップが貫かれた耳当たりのよいもの。プロデューサーにより完璧に作りこまれた楽曲は、デビュー曲『Love, Day After Tomorrow』が140万枚となる大ヒットとなるなど、確実に結果を出した。翌年リリースのファーストアルバム『delicious way』も新人としては異例の400万枚以上の売り上げを記録し「2000年オリコン年間チャート」で1位を獲得した。
その後もコンスタントにリリースを重ね、台湾や韓国などアジア圏にも活動の幅を広げていった倉木麻衣。しかし国内ではビーイング系ブームが過ぎ去り、また音楽市場全体の縮小もあってデビュー時のようなヒットを出すことが徐々に難しくなっていた。そして迎えた2009年、デビューから10年となるアニバーサリーイヤーを転機に彼女は活動のスタイルを大きく変える。KOSE「エスプリーク プレシャス」のイメージキャラクターに就任し美しい大人の素顔を大々的に露出(当時「あの女性は誰?」と世間では大きな話題となった)。テレビ番組や雑誌でも精力的にプロモーション活動を行った。またアルバム『touch Me!』ではビーイングお抱えではない外部の作曲家や編曲家を多く起用。その結果、同アルバムは2004年1月1日発売の『Wish You The Best』以来、5年ぶりにオリコン週間ランキングで1位を獲得。
さらに2009年9月9日にリリースされた自身2枚目となるベストアルバム『ALL MY BEST』は、60万枚を超える売上を記録。こちらもオリコンランキングで首位を獲得し、2作連続の1位となった(2009年度のアルバム1位獲得2作品は倉木麻衣とGreeeeNの二組のみ)。当時のインタビューで彼女はこう語っている。「私自身の新しい挑戦という部分も含め『わたしの、しらない、わたし。』を見せていく作品になりました」。10周年というアニバーサリーイヤーを契機に新たなステージへと歩み始めた彼女。「ビーイング系」という枠を超え、ひとりの女性ソロシンガーとして更なる高みに飛躍するきっかけとなる1年だった。
あれから5年。その間も10万人を動員したツアーやさいたまスーパーアリーナでのライブ、日中友好40周年記念映画『明日に架ける愛』の主題歌、マカオで開催されたアジア音楽祭「2012 Channel [V] “Migu” Chinese Music Award」で「The Most Popular Asian Influential Japanese Singer」 (アジアで最も影響力のある日本人歌手)受賞などミュージシャンとして充実した活動を行ってきた彼女。円熟期を迎えた現在、15年の集大成として一体どんな姿を見せてくれるのだろうか。
(文=北濱信哉)