『アイドル楽曲ディスクガイド』出版イベントレポート

ザ・ピーナッツからBABYMETALまで……11人の論者がアイドル楽曲の43年史を語る

イベントは、新宿ロフトプラスワンにて行われた。

 3月15日。新宿ロフトプラスワンにて、『アイドル楽曲ディスクガイド』(アスペクト)の刊行を記念するトークイベントが開催された。

 ハロプロ楽曲大賞、アイドル楽曲大賞の主催者として知られるピロスエ氏が編者となった「アイドル楽曲ディスクガイド」は、1950年代から現在の2010年代までのアイドルとアイドル的な女性歌手のシングル850枚+アルバム100枚の950タイトルのレビューを収録したものとなっている。

 2010~12年からはじまり、50年代から2000年代までの歴史を振り返りながら、間に井上ヨシマサ、tofubeatsのインタビューを挟み、最後に2013年を振り返るというボリュームのある構成の本書を読むと、アイドルという概念がいかに幅広く、様々なものを内包していて、その全貌を捉えることがいかに困難なのかがよくわかる。

 トークイベントは二部構成でアイドル史を振り返るものとなっており、ピロスエ氏と本書に執筆したライター諸氏が登壇。雑多で混沌とした戦後のアイドル史を時系列順に語ることで歴史的な流れを整理する談話となった。

 第一部では50~60年代のプレアイドル期から80年代後半まで。第二部では90年代から現在まで語られた。以下はその簡単な概要である。

さやわか「敷居の高さが今のアイドルとは違う」

第一部 登壇者 ピロスエ、岡島紳士、さやわか、栗原裕一郎、原田和典、岩切浩貴、【VJ】fardraut films

●1950~60年代(美空ひばり、江利チエミ、中尾ミエ、奥村チヨ、黛ジュン、吉永小百合、山本リンダ、ザ・ピーナッツ etc)

原田:この時代は、いわばスターの時代で、テレビに出る歌手は天上人だった。

栗原:テレビ放映 が53年。59年に「ザ・ヒットパレード」という歌番組が開始される。ロカビリー歌手だったミッキー・カーチスや長澤純、当時デビューしたばかりのザ・ピーナッツが出演していた。そこでカバーポップスの時代になって洋楽のカバーを歌う番組がヒット。そこからアイドルの概念が生まれたのではないか? 一方で当時は映画の時代で、吉永小百合はそこから出てきた。

さやわか:敷居の高さが今のアイドルとは違う。

栗原:『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』(宝島社新書)の北川昌弘さんは「アイドルとはテレビのものである」と言っている。テレビが登場したことでアイドルが登場した。また、当時の女性歌手は譜面が読めた。プロのミュージシャン。 進駐軍の外国人相手に歌っていたような人たちだった。

原田:英語の歌が日本でヒットしてたのは、今、考えると凄い。

●70年代前半(南紗織、天地真理、山口百恵、麻丘めぐみ、アグネスチャン、太田裕美、キャンディーズ etc)

ピロスエ:アイドルの歴史は南紗織の「17才」からスタートした。

栗原:彼女のデビューは71年、沖縄本土返還の一年前だった。政治情勢が変わると歌手の傾向も変わる。

岩切:この頃から、ポップスを書ける人が増えてきた。カバーを繰り返す内に和製ポップスが成熟していく。専属作家制度が崩壊したことが大きい。

ピロスエ:太田裕美はアイドルなのか?

栗原:この曲までは自分でピアノを弾いていて、他のアイドルに楽曲を提供していた。でも歌うのは他の人が提供した曲で自意識はシンガーソングライターだった。「木綿のハンカチーフ」ではじめてハンドマイクで歌った。

ピロスエ:あとは、後のグループアイドルに影響を与えるキャンディーズが73年に登場する。

●70年代後半(ピンクレディー、岩崎宏美、大場久美子、石川ひとみ、榊原郁恵 etc)

ピロスエ:デビュー年で分けているけど、70年代後半に人気が絶頂だったのは山口百恵。

さやわか:子どももいるし、セクシーもあるし、宇宙人もいるし、70年代後半になると、今のアイドルの概念に近くなる。

岩切:当時のアイドルファンは大学生以下で、小中学生から上は高校生まで。

栗原:いい年過ぎてアイドルを聴いていると、頭悪いんじゃないのと思われてたんじゃないですかね?

原田:大場久美子はピアノで表現できないフィーリングがいいですよね。僕は北海道出身でNHKと民放が数局しかなくて全部、後追いだった。地方によって受信できたテレビ番組の違いが大きかった。

岩切:当時は歌番組自体が細分化されていて、アイドルはワイドショーや天気予報でも歌っていた。

栗原:フォークもありニューミュージックもあり、音楽的にも充実していた時代。テレビを見ていたら様々な歌が流れていて、ポストモダン状態だった。

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