蘇るデスマーチの記憶…… 『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』の“お仕事映画”感

『ボーダーライン』続編の“お仕事映画”感

 休憩はおろか帰宅すらできない過剰労働、いわゆるデスマーチ(死の行進)を経験したことはあるだろうか? 私はある。家には帰れず、たまに帰ってもシャワーを浴びるだけで即出社。同僚は過労で次々と倒れ、遂には40歳に差し掛かった先輩が突如「俺には友達がいない」と泣き出した。もちろん上に抗議はする。しかし、管理監督者は「納期を守れ」「さっさと自分の仕事をしろ」と一点張り。さらにもっと酷いことになるのだが、それは後ほど書こう。ともかく、私はデスマーチを経験した。若い頃の苦労は買ってでもしろと言うが、あれは大嘘だ。人生屈指の嫌な思い出である。そんな記憶を、まさかハリウッド映画で思い出すことになるなんて。前置きが長くなったが、『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(2018年)は、そういう映画である。

 麻薬戦争の最前線を描いた傑作『ボーダーライン』(2015年)は、FBIのケイト(エミリー・ブラント)が、鬼畜捜査官マット(ジョシュ・ブローリン)と、謎の男アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)に連れられて、メキシコ×アメリカの麻薬戦争の最前線で地獄を見る話だった。銃撃戦が日常茶飯事、拷問・脅迫といったダーティーな手段を平気で使うマットたち。ケイトは横暴な捜査に反発するが、一方で麻薬組織側の暴力も常軌を逸しており、正義を成すためには、マットたちのやり方しかないのかも、いやいや、でもマットたちの行いは間違っている、でも……そんなふうに自身の常識が揺れ始める。正義と悪のボーダーは曖昧になり、自分が何をやっているのか、何が正義で、そもそも何のために自分は戦っているのか分からなくなってくる。こうしてケイトは精神を擦り減らし……。いわば理想を持って飛び込んだ会社がブラック企業だったような話だった。

 そんな地獄の新人研修映画の続編である本作は、1作目でケイトを追い詰めたマットとアレハンドロが主役になっている。しかし、ではダーティーな2人による情け無用の麻薬組織壊滅作戦が描かれるかと思いきや、今度はこの2人が(さながらケイトのように)追い詰められる話になっているのだ。2人は上司に、そして「この業界こういうもんだろ」という現実に追い詰められていく。前作で自身らを「狼」に喩えた2人であるが、所詮マットも組織内では中間管理職、アレハンドロはフリーの立場。何もかもがうまくいくわけではないのだ。実際マットに至っては、上司からの理不尽な命令に反発した際、「何年この仕事やっている!? こういうもんだって決まっているだろ!」と一喝されるシーンまである。前作を観ている人間的には、「あれだけ好き勝手に振る舞っていた人間が、組織内ではこんな扱いなのか……」と思うこと必至だ。また未見の方も心配ない。2人が“ダーティーな作戦”を始める前に、散々上司(アメリカ政府の要人)に「汚い手を使いますよ」と警告するシーンがある。ここで上司らは「Youやっちゃいなよ」と軽いノリでOKを出してくれるわけだが、それが鶴の一声でヒックリ返されてしまう。このように1作目を未見でも、しっかりちゃぶ台返しが味わえるようになっている親切設計なので安心してほしい。

 こうした上からの鶴の一声で現場がひっくり返って、そのせいで人が死にまくるというメインプロットのせいで、前作以上にブラック企業を舞台にした「お仕事映画」の感が増している。私が本作で一番気に入ったのはこういう点だ。最初の思い出話に戻る。私が働いていた現場が、成人男性が泣きじゃくる地獄と化した頃だ。上からは「この業界はこういうもんだ」と言われていたが、それでもさすがに限界だと思い、現場の人間数名で管理監督者へスケジュール変更の嘆願に向かった。すると今度は、その管理監督者が泣き出したのである。彼は涙ながらに「俺だって休みたい」と訴えた。我々には加害者に見えた彼も、より上に立つ者に苦しめられていたのだ。そのとき私は、この問題が思った以上に根深いことを知った。『ボーダーライン』で言えば私はケイトであり、彼はマットやアレハンドロだったのだろう。そして働けば働くほど、こういうケースは決して珍しくないと知った。往々にして「この業界こういうもんだろ」の「こういうもん」は、立場が上に行けば行くほど狂っていく。上と下では見えている世界が違う。そのズレが認識されないまま、上から下に滅茶苦茶な命令が下りてきて、デスマーチが始まるのだ。耐えかねて上に訴えても、「こういうもんだろ」という無情な一言が返ってくるだけだ。

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