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映画『恋は雨上がりのように』のトーンを決定づけた、大泉洋の絶妙なバランス

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 『恋は雨上がりのように』は、女子高生の橘あきらが、バイト先のファミレスの店長で45歳の近藤正己に恋をする話だ。この設定を聞いたとき、都合のよいファンタジーになっていたら嫌だなと思ったし、少しでもそういうところが見えれば、がっかりするだろうなと思っていた。しかし、映画を観ても、そんな描写が見当たらない。

 店長は、あきらのことを女子高生という記号で見ているところがないのだ。それを表しているのが、あきらが好意からじっと見つめているのに対し、店長は、それを好意の逆で嫌われているからこその視線の強さだと勘違いしていたというところだろう。

 そんな気の弱さをコミカルに演じている大泉洋がこの映画のトーンを決定していると思う。原作は、店長があきらの気持ちに揺れる部分がウェットに描かれていたが、映画はときに笑え、そして泣けるさわやかな青春映画になっていると感じる。同時に、中年ともいえる男性の、これまでにない魅力を描いていると思う。それは、あきらをひとりの人間として扱っているという点に尽きる。

 普段、店長は、店の従業員たちから臭いと思われているし、すぐにへこへこ謝るしで威厳もなく、女性から好かれるような対象ではないとされている。店長は、この状態をきちんと受け止め、臭いと言われればシャツを着替え、じっと見つめられれば、自分に何か嫌われる要因があるのではないかと、常に自分を疑って過ごしている。

 また、あきらが怪我をしたときには、もちろん病院に連れていくし、バイト中の怪我ということで責任を感じ、家に謝罪に行こうともするのだが、あくまでも店長という枠を超えてこない人であるとも描かれている。

 そんな店長に、なんのきっかけもなく、あきらが好意を寄せているわけではない。あきらが打ち込んでいた陸上競技の夢を絶たれ、ちょうどそのときに入ったファミレスでふと優しくしてくれたのが店長だったからこそ、あきらは店長のことを好きになったのだが、そのときのことを店長は覚えてもいないようにも、実は覚えているのにそれをあえて言っていないようにも見えた。

 もし、覚えていないのだとしたら、店長があきらに見せた優しさは、あきらが女子高生だからというものでもなかったし、あきらが気になったからでもなく、そこに元気のない一人の人間がいたからこその行動であったともとれる。

      

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