映画『ドリーム』はハリウッドの新しい波の象徴となるーー黒人女性たちが成し遂げた偉業

『ドリーム』はハリウッドの新しい波の象徴に

 近年、社会の至るところで唱えられている「ダイバーシティ(多様性)」。これまで白人の、とりわけ男性が優位的な立場にあったアメリカの映画業界にも、変化の波がやって来ている。

 アカデミー賞を選ぶアカデミー会員の多くが白人男性であることが問題視されたことで、会員の構成を見直すことになった出来事や、白人以外の人種の役を白人が奪うことを意味する「ホワイト・ウォッシュ」を行う作品が批判されるケースも増えた。新しい『スター・ウォーズ』シリーズや、リブート版『ゴーストバスターズ』は女性が主人公となるなど、娯楽大作のイメージも変化してきている。

 そんなハリウッドの新しい波の象徴となるだろう映画が、本作『ドリーム』だ。この作品はまさに、白人でもなく、男性でもない存在が、白人男性たちが権威を振るう業界に乗り込み、権利をつかみ取っていくという内容を描き、アメリカ国内で大ヒットを果たしたからだ。ここでは、そんな映画『ドリーム』の内容に迫りながら、描かれたテーマを読み取っていきたい。

NASAの偉業を支えていたのは、大勢の女性たちだった

 舞台は、1960年代初頭、ソ連と熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカ航空宇宙局(NASA)ラングレー研究所である。コンピューターが本格的に実用化される前、研究所には大勢の女性職員が「計算係」として配属されており、そこで開発されたロケットによる、アメリカ初の有人飛行計画成功の裏には、多くの黒人女性たちの努力があったというのだ。我々は、この頃の宇宙開発の人員というと、何となく白人男性をイメージしがちであるが、それは女性職員たちの活躍が、いままで積極的に語られてこなかったのが原因だろう。本作を見ると、性差別や人種差別が現在よりもはるかにはびこっていた当時の社会状況のなかで、彼女たちの成し遂げた業績は、本当に偉業といえるものだったということに気づかされる。

 本作では、そのなかでもとくに歴史的な存在となった、実在する三人の女性にスポットがあてられている。天才少女として期待をかけられ育った、数学なら誰にも負けないキャサリン・G・ジョンソン(タラジ・P・ヘンソン)、管理職を目指すドロシー・ヴォーン(オクタヴィア・スペンサー)、エンジニア志望のメアリー・ジャクソン(ジャネール・モネイ)である。彼女たちはそれぞれの立場で、差別や偏見に遭いながら、あきらめずに努力を重ね、ロケット開発事業に貢献していく。

 ソ連との開発競争に血道を上げていたNASAは、有人飛行のための打ち上げについて失敗を繰り返し、試行錯誤を繰り返していた。そのなかで軌道計算のために数学者が必要となり、複雑な計算ができるキャサリンを宇宙特別研究本部に配属するという異例の人事を行った。研究本部に足を踏み入れた黒人は、キャサリンが初めてであった。やがて彼女は、軌道計算のための決定的な数式を見つけることになる。

欺瞞で成り立っていたアメリカ社会

 その時代、研究所のあるヴァージニア州を含むいくつもの州では、「ジム・クロウ法」という人種を隔離する法律が、いまだに残っていた。社会の秩序を守るという「美名」の下、白人以外の「有色」とされた黒人やアメリカ先住民、黄色人種などは、様々な施設で白人と同じ扱いを受けられず、バスや映画館の座席、水飲み場やトイレなどの公共的な場所が、「白人用」と「有色人用」に分けられていたのだ。その裏にあるのは、黒人や黄色人などと一緒の水を飲んだり、一緒のトイレを使用するのは耐えられないという、きわめて幼稚で差別的な意識だといえよう。

 それまで黒人が足を踏み入れなかった研究本部の棟には「有色人用」のトイレはなく、キャサリンは仕事中トイレに行く度に、片道800メートルの距離を1日に数回往復しなければならない。キャリアのためにコンピューターの技術書を読もうとしたドロシーは、白人用の図書館を追い出され、メアリーはエンジニアになるために必要な授業を受けるため、白人用の学校に行く許可を得るよう嘆願しなくてはならない。当時の黒人たちは多かれ少なかれ、理不尽な法律によって、このような意味のない努力を強要されていたのだ。

 ここで明らかになるのは、これまでの社会に存在していた「欺瞞」である。アメリカで活躍する学者や管理職やエンジニアなど、比較的高い地位のなかに、女性や有色人種が少なかったのは、「アメリカの白人男性が優秀だから」だと、何となく思い込まされているところがあった。だが、アメリカ社会がそのような状況になっていた本当の理由は、“女性や有色人種が活躍できないように排除されたり、ハンデを背負わされていたから”だった。それを証拠に、この研究所は女性職員がいなければ業務は滞り、キャサリンという数学の天才がいなければ、有人ロケットを飛ばすことはできなかったのだ。

 肌の色や性別で人間を判断すると、本当の才能を取り逃してしまう。倫理や道徳的な意味で「差別」が悪であることはもちろんだが、同時に差別は“非効率的“なものなのだ。白人優位社会、男性優位社会を守るという意味においては、「差別」は彼らにとって有効に機能するのかもしれない。しかし、ロケット開発のように、明確で現実的な目的がある場合、そんな了見の狭い行いを続けていては、彼ら白人男性たちにとっても不利益になり得るのである。

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