高畑充希と竹内涼真は“家族”になることができるのか 『過保護のカホコ』に隠された人生のヒント

『過保護のカホコ』に隠された人生のヒント

 『過保護のカホコ』がついに最終回を迎える。高畑充希演じる、両親に過保護に育てられてきた加穂子は、竹内涼真演じる、家族を知らない孤独な青年・初に出会うことによって急速に成長し、様々な問題を抱える家族・親戚一同のために奔走してきた。あまりにド直球の恋愛からの結婚という加穂子と初の展開に若干戸惑いを隠せない部分もあるのだが、ここまで曲者ぞろいの家族と向き合うには、彼らほど真っ直ぐで純粋な、一点の曇りもない「愛」というものが必要なのだろう。

 先週放送の9話では、黒木瞳演じる加穂子の母親・泉の実家である並木家の大黒柱ともいえる、三田佳子演じる加穂子の祖母・初代の死が描かれた。今まで一家を偉大な力で支えてきた初代を失う時、それぞれに問題を抱えた家族たちはどうするのか、加穂子はどうやって彼らを支えるのかが問われてくる。

 初回で加穂子の父親・正高(時任三郎)が分析していた家族像から、登場人物たちは様々な変化を遂げた。猫撫で声で加穂子を褒めてばかりいた姉妹たちは、それぞれの秘密を隠さないようになり、今は本音で向き合おうとする加穂子に時にぶつかり、批判もするようになった。秘密を隠している余裕もなく自分の不幸でいっぱいだからとも言えるが、それでも彼女たちは自分たちの欠点と必死で向き合おうとしている。

 「良さそうに見えて実は」「悪そうに見えて実は」という展開が、何より面白い。特筆すべきは、久保田紗友演じる加穂子のいとこであり節(西尾まり)の娘・糸と、濱田マリ演じる根本家の「出戻りのシャケ」と正高に例えられる教子である。彼女たちは、それぞれ加穂子の対極、加穂子と共通の性質を持っている。

 久保田紗友演じる糸は、加穂子と陰と陽、完全に対極の存在として描かれた人物だ。何もしなくても愛される加穂子と、愛されようと努力してきた糸。当初は、チェリストを目指す親戚一同の希望の星として描かれ、初回で正高に「何のとりえもない加穂子」と比較された神童は、その夢が絶たれたことがきっかけに、隠していた本音を露わにしはじめ、家族と揉め、悪い仲間と付き合い、典型的な「非行少女」の風体に変わってしまう。加穂子の母親・泉と負けず劣らずなかなか厄介な母親を持ち、加穂子と同じように初の絵の本当の魅力に気づき、初に好意を持っているが、ことごとく初は加穂子しか見ていないというのもどうにも切ない。

 濱田マリ演じる教子と加穂子は一見共通性は見出せない。しかし、加穂子の父親・正高は当初から教子が仕事もせず居座っている自分の実家の状態を、「もしかしてこれが我が家の未来図なのか」と危機感を抱いているし、6話で「こんな自分じゃだめだと思っていろいろやってみたんだけど、結局家族の迷惑になるだけでどうしようもない」と言う教子に、加穂子が自分と共通する部分を感じる場面もあったように、教子は、有り得たかもしれない加穂子の未来の姿だ。自分が何をしたいのかもわからず、自分の居場所も見出せなかった教子に、加穂子と、横山歩演じる初の分身のような男の子が、居場所がない子供たちの居場所を作りたいという夢を与える。

 遊川和彦脚本のドラマ『はじめまして、愛しています。』(テレビ朝日/2016年)で尾野真千子演じる主人公の元に突然現われる、親に捨てられた男の子ハジメ役を演じた横山歩が演じる、教子になぜか「ついてきちゃった」子供は、初が児童養護施設に預けられた年である7歳、タモツ(加穂子の祖父はなぜか初のことを間違って「タモツくん」と呼ぶ)という名前、その喋り口調から鑑みても、完全に初の分身である。初のような、愛情を十分に受けて育つことができなかった、それでいて純情で思ったことはズバズバ言う存在が、愛情を受けすぎるほど受け、同じく純情すぎて上手に生きることができない加穂子と教子の2人を、互いに必要としあうことで変えることもあるのだということをこの構造は示している。それぞれに変わりはじめた根本家の人々は、加穂子の家族と同じように、教子の夢に向かって次第に動き始める。

 そして、4話で加穂子に「人はなぜ恋をするのか」と聞かれ、家族にも言えないような秘密を分かち合う相手だから、互いに必要だったからと答えた中島ひろ子と佐藤二朗演じる環と衛のことも気がかりだ。2人のその言葉が、加穂子と初の恋に何らかの影響を与えたはずだが、環・衛たち自身は互いの秘密が大きすぎ、互いに依存しすぎて潰れてしまう。

 こうやって見ると、どの夫婦関係もどの人物も、人生において起こり得る問題が山積みである。希望でいっぱいの加穂子と初にこれからどんな試練が待ち受けるかはわからない。どこでどう進むか、そこで何を学ぶかで人生の方向性は簡単に変わってしまう。

 完璧な母親のように見える祖母の初代が、死ぬ直前に娘たちに向けて「ごめんね」を繰り返したことが印象的だった。「私、ちゃんとやってこれたかしら」と言う彼女の言葉に、5話で母親として後悔したくないから過保護になってしまうと言う泉に対し「子育てで後悔しない母親なんていない」と答えた初代のことを思い出す。どんな人生にも後悔はたくさんある。

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