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渡邉大輔の『溺れるナイフ』評:情動的な映像演出の“新しさ”と、昭和回帰的な“古さ”

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 現在、大ヒットしている『溺れるナイフ』は、ジョージ朝倉の人気少女コミックを原作にした山戸結希の最新作です。

 東京で人気ファッションモデルをやっていた少女、望月夏芽(小松菜奈)が家族で引っ越してきた紀州の海辺の田舎町で出会った鮮烈なオーラを発する同級生、コウ(菅田将暉)と恋に落ちる青春ラブストーリー。山戸といえば、上智大学在学中に制作した自主映画『あの娘が海辺で踊ってる』(12年)が映画ファンや映画人たちの注目を集め、その後も短編『おとぎ話みたい』(13年)、そして女性アイドルグループ「東京女子流」を主演に迎えたメジャーデビュー作『5つ数えれば君の夢』(14年)など、この数年で瞬く間に輝かしいキャリアを積み重ね、今後のさらなる飛躍を期待される気鋭の若手映画監督です。

 そんな山戸ワールドには、すでにいくつかの特徴があります。たとえば、自意識過剰な少女を主人公とした青春映画という枠組み、主人公の内省的なモノローグ、「音楽」と「ダンス」、映像の巧みなコラボレーション、とりわけ情動と情念に溢れた演出とキャメラワーク……といったところでしょうか。総じて山戸の演出は、従来の映画のキャメラワークや編集の規範を統御する、安定的かつ経済的な構成感覚とはかなり隔たった、作家やキャメラの身体的情動が剥きだしになった(ように見える)スタイルが顕著に見られます。それが、この弱冠27歳の若い映画作家の魅力であり、ある種の「危うさ」ともなってきたといえましょう。

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 実際、そうした彼女の作風がこれまでのキャリアですべて奏功してきたかと問われれば、必ずしもそうは思えません。たとえば、『おとぎ話みたい』の演出の稀有な迫真性や叙情性に比較すると、初長編『5つ数えれば君の夢』はややそれが全体の散漫さや構成の破綻につながっていたように感じられました。

『溺れるナイフ』に見る山戸演出の新しさ

 今回の『溺れるナイフ』も、基本的には以上のような山戸ワールドが全面的に展開されているといえます。たとえば、映画冒頭近くの田舎に越してきた夏芽がひとり、波が打ちつける岩場が突き出た入江を歩く途中、岩場の影の波間に漂うコウをはじめて見つけるシーン。画面の手前から奥にかけて弧を描きながら広がる入江のさきに、浜辺を歩く小さな夏芽の姿が映されます。すると、続くショットでは、岩場の奥まった波間に全身を浮かべて仰向けに漂うコウの姿が映される。さらに、夏芽の顔のクロースアップ。その後、夏芽は海から上がったコウとすれ違い、ふたりの最初の出会いの場面となります。

 この物語上、最初の、そしてもっとも重要なシークエンスは、にもかかわらず、明らかに通常の映画のショット連鎖からは逸脱しています。海面のコウを写したショットも、それがいわゆる三人称客観ショットなのか、それともそのあとにコウを見つけることになる夏芽の主観ショット(POVショット)なのか――おそらくはあえて――あいまいに宙に吊られるような、きわめて「粗暴」な編集になっているのです。『溺れるナイフ』はこの冒頭のシークエンスの演出が何より典型的であり、その後も映画は極端なロングショットと人物のクロースアップがしばしば用いられ、また、――これもいかにも山戸作品に特徴的な、ぎこちなく動くズームや手ブレのショットが火まつりのパッシブなシークエンスで頻繁に用いられます。
撮影監督の柴主高秀の言葉からは、こうした一連の映像演出は撮影スタッフというよりも、やはり監督の山戸の意向が大きく反映されているようです。すなわち、この『溺れるナイフ』においても、山戸は物語映画としての映像的・叙述的な結構(安定性)よりも、言葉にならない身体的な情動性こそを過剰に映像に籠めようと試みているように思えます。その試みが「映画作品」として成功しているかといえば、個人的には非常に懐疑的です。

 ですが、今日の映画や映像文化において、かつての古典的映画のような端正な物語構成力や安定したキャメラワークなどよりも、この手の身体的で脊髄反射的な情動性のほうが全面化しがちな傾向にあることは、ぼく自身もだいぶ以前から指摘してきたことです(拙著『イメージの進行形』第二章などを参照)。ですので、山戸のような若手作家の台頭は、何ら不思議ではありません。たとえば、TwitterのVineやInstagram、GIFアニメなどを思い浮かべてもらえればすぐに納得できるだろうと思いますが、とりわけSNSなどのリアルタイムウェブが社会に急速に浸透して以来、映像の表現や受容の場においてもこうした情動的な傾向やリアリティはますます強まっています(いま話題のテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の「恋ダンス」も「踊ってみた」動画の文脈を意識したものです)。それにたとえば、山戸はデビュー以来、音楽とのコラボレーション企画にも積極的であり、『溺れるナイフ』でも「ドレスコーズ」の志磨遼平が重要な役どころで出演し、主題歌を担当しているほか、大森靖子やtofubeats、おとぎ話など、サブカル系で人気のミュージシャンの楽曲を多数、劇中でフィーチャーしています(このMV的な手法は『君の名は。』にも共通する最近の映像コンテンツのトレンドです)。

 いずれにしても、以上のような要素から、『溺れるナイフ』やそこでの山戸の演出が、これまでの邦画にはあまり見られない「新しい」ものだということはできるでしょう。

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