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『黄金のアデーレ 名画の帰還』が伝える歴史の真実、そして戦争責任を巡るメッセージ

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黄金のアデーレ
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 グスタフ・クリムトによる代表的な絵画作品、通称「黄金のアデーレ」は、 まさに輝く黄金に包まれた美しい女性の肖像画だ。絵画技法に工芸の技術を組み合わせることで従来の絵画表現を超越し、独自の境地を切り拓いた傑作である。その美しさから「オーストリアのモナ・リザ」とも讃えられ、市場価格は100億円をゆうに超えるという。

 オーストリア政府が所有し、ウィーンの美術館に展示された「黄金のアデーレ」を、1990年代の終わりから、「自分のもの」だとして、一人のアメリカ人女性が所有権を主張し、裁判を起こした。この絵画は、第二次大戦中にナチスドイツによって、当時ウィーンに住んでいた彼女の家から略奪されたものだったのだ。世界的なニュースになった、この実際の出来事を映画化したのが『黄金のアデーレ 名画の帰還』である。

 しかし、この裁判は、単なる財産の所有権争いという個人的な問題のみにとどまらず、隠された歴史の真実をも明らかにしていくことになる。ここでは、本作で描かれた、民族と国家の誇りを賭けた闘いの意味、そして、戦争に関わった国々に突きつけられる痛烈なテーマに迫っていきたい。

「私は祖国には戻りたくない」

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 訴えを起こした女性、マリア・アルトマンを演じるのは、舞台、そして映画界でキャリアを積み、英国女王を演じた『クィーン』で、アカデミー主演女優賞をはじめ、世界各国で賞を多数獲得したヘレン・ミレンである。受賞によって、本物のエリザベス女王とのディナーに誘われるも、多忙を理由に断ったというエピソードも痛快な彼女は、芯の強さとセクシーさを併せ持ち、近年は激しいアクションまでこなす。社会問題や歴史の裏側を扱った作品を多く手がける、英国の公営放送局BBC制作の映画やドラマ作品において、ジュディ・デンチやマギー・スミス、イメルダ・スタウントンなど、英国の大女優との仕事をこなすサイモン・カーティス監督は、マリア役として第一に彼女を指名した。それは、ヘレン・ミレンの演技が持つ気品やユーモア、そして精神的な強さが、実際のマリアにも共通していたからだという。

 マリアは幼い頃、クリムトの絵画のモデルになった美しいアデーレ伯母さんと仲が良かった。マリアにとって、ナチスドイツに略奪された絵画「黄金のアデーレ」は、彼女の家の宝であり、憧れの伯母さんの思い出の品でもあったのだ。戦後、絵画は一族の手に戻されることはなく、オーストリア政府のものとなってしまう。

 絵画を取り戻そうと、長年にわたるマリアの裁判を手がけ、彼女を助けたのが、ライアン・レイノルズが演じる、若き弁護士・ランドル・シェーンベルクだ。彼はオーストリア出身の著名な作曲家、アルノルト・シェーンベルクの孫でもある。本作の脚本は、実際のランドル弁護士の協力を得ているという。マリアとランドルは、ドイツ語圏でヒットした、ダークなユーモアにあふれた絵本「もじゃもじゃペーター」の思い出話で盛り上がる。彼らは、アメリカで生活しながら、同じく文化的なオーストリアのユダヤ人というルーツを持っているのだ。

 だが意外なことに、ランドル弁護士が訴えの手続きのため、マリアをオーストリアへの旅に誘うと、絵画を取り戻そうと情熱に燃えていたはずの彼女は、「祖国にだけは戻りたくない」と言うのだ。それは、どのような心情からなのだろうか。この謎は、映画のなかで徐々に明らかにされていく。

オーストリアはナチスの被害者なのか

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 第二次大戦下のオーストリアを舞台にした最も有名な映画作品のひとつに『サウンド・オブ・ミュージック』がある。修道院出身の女性の家庭教師が、オーストリアの一家と心を通わせ、ナチスドイツの魔の手から逃れるという物語が、楽しい歌と美しいアルプスの風景とともに語られていくミュージカル作品だ。このような映画からイメージするのは、ナチスドイツがオーストリアの善良な人々を支配し、一方的に虐げていたという構図だ。しかし、本作『黄金のアデーレ 名画の帰還』を観ると、そのようなイメージが覆されてしまうことになる。

 そのときウィーンの街は、ナチスドイツやその協力者によって、ユダヤ人弾圧が行われていた。ユダヤ人の家々には目印が書かれ、財産は没収された。彼らは四つん這いになり、道路をブラシで清掃させられ、また、ユダヤ教の聖職者(ラビ)達が、特徴でもある長い髭を、衆人環視の中で切られるという屈辱を与えられる。最も驚かされるのは、このようなドイツでも行われてきた、人の尊厳を踏みにじる行為を、ウィーン市民達は傍観するばかりか、その一部が嘲り笑って見ているのである。映画で再現された、このようなショッキングな場面は、当時の証言だけでなく、記録写真として実際にそのまま残っている。この描写は、本作が膨らませた創作などでなく、歴史の事実なのである。

 オーストリアは、ナチスの侵略によって併合され、拡大するドイツの巨大な一区とされた。ドイツ系のオーストリア国民のなかでは、このナチスによる併合を、旗を振って歓迎する者が多数いたという。劇中で描かれるように、ユダヤ人に同情し助けてくれる人もいたが、多くの市民が進んでナチスの一部となってしまったことも事実だ。だから、オーストリアで迫害されるユダヤ人達は、ドイツでナチスに迫害されるユダヤ人達と何の変わりもないのである。そして亡命が叶わなかったユダヤ人は、ホロコースト(大量虐殺)の犠牲となった。そのような場所にマリアが戻りたくないと言うのも当たり前である。だが彼女は覚悟を決めて、ウィーンに乗り込むことを決意する。

 マリアが所有権を訴えると、必然的にこのような過去のオーストリア政府の戦争責任や、当時の市民の酷薄さをも公に表明することになる。オーストリア政府へのマリアの必死な訴えを聞いたウィーン市民の一人は、彼女に近づき、「いまさらホロコーストにこだわるなよ」と言い放つ。それは、「いつまで被害者ぶってるんだ。いい加減に、この国の足を引っ張るのをやめろ」という意味である。このような一般の市民からの「忘れろ、あきらめろ」という否定や圧力は、逆に、戦後のオーストリアが、いまだに戦中の価値観を引きずっている部分があることを示している。そしてそれは、オーストリアだけではとどまらない歴史認識の普遍的な問題として描かれているように感じられるのだ。

     
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