子供には見せられない地獄のファミリー・ムービー、『クーデター』が描く“極限の恐怖”

『クーデター』が描く極限の恐怖

 東南アジア某国の水道支援事業に協力しようと、海外赴任するため現地に降り立った男とその妻、そして幼いふたりの娘達。この善良なアメリカ人家族が体験する、想像を絶する地獄を描いたのが、パニック・スリラー映画『クーデター』だ。

 一家の父、ジャックは、数時間前まで、自分の技能を発揮して水道を配備し、現地の人々に感謝され、週末には妻や娘たちとビーチで楽しく過ごすような、明るい生活を想像していただろう。それが、いまは、怯えている自分の幼い娘の両腕をベルトで縛り付け、高層ビルの屋上から隣のビルに向けてぶん投げようとしている。少しでも手元が狂って地面に落ちれば、間違いなく娘は即死だ。完全に父親が娘を虐待しているようにしか見えない姿である。一体、どうしてこんなことになったのか。そして、仔犬や児童など、弱者をいたぶるシーンには敏感なアメリカの商業映画において、この作品は何故、このような虐待的シーンに挑戦しようとしているのか。この世の地獄、『クーデター』の面白さを紹介しながら、その疑問を追求していきたい。

ホラー監督が極限状態の恐怖を描く

 本作の監督、ジョン・エリック・ドゥードルは、スペインのヒット作『REC/レック』のリメイク作を撮ることで、本格的な商業映画でのキャリアをスタートした。その後、『デビル』、『地下に潜む怪人』と、作中のなかのカメラからの視点を利用した、ドキュメンタリー風スリラーやオカルト的演出を持ち味とし、人間の極限状態の恐怖を描いてきた映像作家だ。もともと、弟ドリューと設立したプロダクションで自主的にコメディ作品などを撮っていた彼が、このような作品を作ることになっていったのは、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『パラノーマル・アクティビティ』のような、「ファウンド・フッテージ」と呼ばれる、一人称カメラの視点を利用し、撮影者が行方不明になった後に撮影した映像が「発見される」という設定の、擬似ドキュメンタリーホラー作品のブームがあったという背景がある。

 このようなジャンルが、映画会社や制作会社にとって魅力なのは、なんといっても、「リアリティの追求」という美名の下、制作費を低予算に抑えることが可能だということである。それゆえ、このような商業的リスクの低い映画ジャンルは、主に若手監督が活躍するフィールドになったのである。ファウンド・フッテージ作品であるスペイン映画『REC/レック』のリメイクを、ドゥードル監督が任されたというのも、彼が自分のプロダクションで、ドキュメンタリー風の映像をつなぎ合わせた、"The Poughkeepsie Tapes"(「ザ・ポキプシー・テープ」)という作品にチャレンジしたことが契機だろう。これは、殺人捜査官が、ニューヨーク州ポキプシーの廃屋で、犯行を示すヴィデオ・テープを発見するという設定の、ファウンド・フッテージ作品だった。

 この監督の特徴は、そのような若手の登竜門としてのジャンル演出を利用したまま、新作を撮りつづけているという点である。しかもその技術を駆使した恐怖演出の手腕は、一作ごとに目覚ましくレベルアップしている。なかでも、勇敢な女性考古学者が錬金術伝説に挑み、パリの地下にある広大な闇の世界を探索するという、ドゥードル監督の前作『地下に潜む怪人』は、日本では劇場公開されなかったものの、アドベンチャーとホラーを組み合わせた、この手の映画では他を圧倒する驚くべき傑作に仕上がっている。この作品は、ぜひソフトでの鑑賞をおすすめしたい。本作『クーデター』にオカルト的要素はないが、このような作品で培ってきた技術が、作品の緊迫した演出に活かされているのだ。

タブーに挑戦する地獄のファミリー・ムービー

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 ここで、『クーデター』の主人公達家族が、何故地獄のような状況に突入したのか説明したい。本作の主人公であるジャックとその家族は、勤め先の会社が用意した現地のホテルにたどり着いたものの、会社とは連絡がつかず、部屋のTVはどこのチャンネルに合わせても映らず、外の情報から完全にシャット・アウトされる。翌朝、夫のジャック達が泊まっていたホテルは、大勢の暴徒に占拠され、アメリカ人を含めた人々が、次々に殺されていく現場を目撃してしまう。政変が起こり、新たな執政者による外国人狩りが始まったのだ。部屋のドアは次々に破壊され、宿泊客は問答無用で殺害されてゆく。事情が飲み込めないまま屋上に逃げ延びたジャック、そして彼の妻と幼い娘達は、国じゅうの人々から、絶望的な逃避行を余儀なくされることになるのだ。とにかく、この殺戮シーンのリアリティがものすごい。前述したような監督の演出は、他のパニック映画にはない臨場感と閉塞感を生み出している。

 そして、前半の大きな見せ場となるのが、ビルの屋上からの逃亡シーンである。マシンガンなどで武装した暴徒達に追い詰められた家族達は、隣のビルに飛び移って逃げようとする。幼い娘達に、隣のビルまで跳躍させるのは、おそらく無理だろう。だから、嫌がる娘達を縛り上げ、隣のビルの屋上にぶん投げようとするのである。それ以外に娘を救う道はないのだ。命を救うという大名目があるからこそ、このような不謹慎ともいえるシーンが、かろうじて正当化され得る。これは、例えばゾンビ映画において、「人であった頃の尊厳を守り、人々を守る」というような理屈で、ゾンビなら大量に殺害しても問題ないという、正当化の発想に似ている。これは、やはりホラーに精通したクリエイターの感覚に根ざしたものであろう。そして大勢の暴徒から逃げ回る、この作品自体、ある意味で「ゾンビ映画」であることを意味しているようにも感じられる。タイでロケを行い、カンボジアを舞台にする予定だった本作の設定を、「東南アジア某国」と、明言を避けているのも、下手をすれば人種差別的な作品になってしまうという危惧があったためだろう。

 本作の過激表現はそのような殺戮表現だけにとどまらない。暴徒達から逃れた家族が売春宿に逃げ込んだり、母親が暴漢に襲われそうになるなど、幼い娘達を連れているのにも関わらず、本作は、命を守るという名目で、容赦ないヴァイオレンス&セックスの世界の渦に家族が飛び込まざるを得ない状況を作り出しているのだ。このことが、本作の恐怖を何倍にも高めているといえるだろう。また、コメディ作品への出演が多い、明るい印象のオーウェン・ウィルソンが、主人公ジャックを演じていることも、その怖ろしさを後押ししている。ファミリー・ムービーのような雰囲気を作り出しておいて、子供には見せられない作品に仕上げているのだ。そして、感動的に家族の愛情を描いた場面も、かつてジェームズ・ボンド役だったピアース・ブロスナンが演じる謎の英国人が、白人の傲慢さを語る社会問題の部分も、過激な描写を成立させるためのバランサーとして機能させているように感じられるのである。

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