大杉漣、『アナザースカイ』で高田渡「生活の柄」を歌唱 自身の死生観についても語る

 3月2日放送の『アナザースカイ』(日本テレビ系)に、先月21日に亡くなった俳優の大杉漣が出演。生前、韓国でロケ収録に参加したVTRがオンエアされた。

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 番組冒頭には、司会の今田耕司が今回の放送についての経緯を説明。「『アナザースカイ』は、大杉漣さんと1月中旬に海外ロケを行い、本日はそのVTRを大杉さんご本人にご覧いただく予定でした。大杉漣さんのご家族、所属事務所とも相談した結果、今夜はそのVTRを大杉漣さんに届けたいと思います。大杉漣さんのアナザースカイは韓国。ロケでは積年の役者生活のこだわり、人生の転機を赤裸々に語られています。俳優・大杉漣さんの熱い生き様を是非ご覧ください」と挨拶した。

 7年前、大杉はソウルで1カ月間ほど生活をしていた。日韓合同部隊のために滞在した当時の国立劇団「ペク・ソンヒ チャン・ミンホ劇場」を訪れる。そこで演じた一般的ではない特殊な沈黙劇「砂の駅」は、俳優人生のテーマとなる劇であったという。沈黙劇とは、台詞を一切排除した演劇で音楽もほとんどない。大杉が在籍していた劇団「天形劇場」の演出家・太田省吾により、1988年まで行われていた。大杉はそこから16年間もの間、沈黙劇に魅せられることに。

 大杉は語る。「人は聴きやすかったり、見やすかったりする方に行きたがるっっていう習性があると思うんですね。僕らが7年前にやった演劇って、聴こうとしないと聴けない部分があったり、見ようとしないと見えなかったり、僕は正直もっと日本の若い人たちにこの舞台を観てもらいたいって思っていました」と当時23歳の壮絶な劇団生活を振り返る。

 その後、劇団は解散となり、36歳の大杉は舞台俳優から映像の世界へと飛び込んでいく。ピンク映画やVシネマとオファーを片っぱしからこなしていた時、大杉は北野武監督の作品に巡り合う。大杉は北野の1991年の作品『あの夏、いちばん静かな海』を観て、「こんなに黙っている映画で成立するんだっていう、僕ひょっとしたらたけしさんの映画に出たいな」と思ったという。大杉は、オーディションに合格し、『ソナチネ』『HANA-BI』といった北野作品に出演。「黙ってていいよ」という北野の呼びかけに、劇団生活から通ずる喜びを感じたという。「そういう手法を味わえたのは、北野武、黒沢清監督でした。これは僕にとって劇団解散してから本当に大きな出来事であったし、励みになったんですよね」と大杉は振り返る。

 番組終盤には今年、劇団「天形劇場」主催の太田省吾と没年と同じ歳になろうとしていることから、自身の死生観についても語っていた。「いつか、僕もそういう身では、すごくリアルに考えなくちゃいけない“死”というものがあるんでしょうし。ただ、僕ね。死にたくないとも思わないし、と言って死にたいとも思わない。死ぬっていうことが分かってるってだけであって、死ぬまでの間に俳優としてどれだけできるかっていうことは分からない」と語る一方で、別の席では「申し訳ないけど、もうちょっと生きたいなって思ってます。っていうか僕はもうちょっとやりたいこともあるので、66歳でも希望がいっぱいありますよ」と笑顔で話していた。

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