KEMURI 伊藤ふみお&津田紀昭が明かす、不屈の音楽精神「未来は明るいと言いたかった」

KEMURIが語る音楽への不屈の精神

 昨年結成20周年を迎え、通算11枚目のアルバムをリリースしたKEMURIが、マキシシングルという形態では実に13年ぶりとなる新作『サラバ アタエラレン』を完成させた。表題曲は、彼らの90年代の代表曲である「Ohichyo」や「Ato-Ichinen」あたりにも通じるような、疾走感と安定感を兼ね備えた楽曲。「まだまだいける!」と綴られる歌詞は、デビュー当時から彼らが掲げる「P.M.A(ポジティヴ・メンタル・アティテュード)」に貫かれた、あらゆる世代へのエールとなっている。

 日本のスカパンク・バンドの代表格としてシーンを牽引しつつ、幾度かのメンバーチェンジや、メンバーの不慮の死、そして2007年にはバンド解散に至るなど、紆余曲折を経ていながら、今なおひたむきに前進しようとする、その不屈の精神はいったいどこから来るのだろうか。今年は海外遠征も本格的におこなう予定だというKEMURI。ボーカルの伊藤ふみお、ベースの津田紀昭に、新作のこと、海外遠征の思い出などを語ってもらった。(黒田隆憲)

「KEMURIにとって、新たなる代表曲にしなければ」(伊藤ふみお)

ーーKEMURIにとって通算11枚目のアルバム『F』がリリースされ、ちょうど1年が経ちます。改めて今、あのアルバムをどう位置付けているのか聞かせてもらえますか?

伊藤ふみお(以下、伊藤):バンドを再結成して3年目に作ったアルバムが『F』で、その間ずっとライブでやってきたこと、メンバーと色々なことを話し合い、コミュニケーションを重ねてきたことが丸ごと詰まった、あの時点でのKEMURIの等身大の姿を表した作品といえるでしょうね。『F』をひっさげたツアーも終わり、ここにきてまたKEMURIにいい曲が増えたなあっていう実感とともに、今、この状態のKEMURIをもっと多くの人に知ってもらうための努力をするべきなんじゃないかと思っています。「俺たちまだ、バンバン新曲作ってるし、こんなに精力的に動いているんだぜ?」って。

ーーここにきてそのバイタリティには頭が下がります。一度解散したことにより、かえって吹っ切れたというか、リセットできたという部分もあるのでしょうか。

伊藤:うん、それももちろんあると思う。でも、音楽的にも今KEMURIが作っている音楽の方が、昔より好きだし、バンド全体でお客さんを盛り上げようとしている感じとか、そういうところにものすごい情熱を感じるんですよね。

津田紀昭(以下、津田):それと、再結成以降、オリジナルギターだったTくん(田中幸彦:97年に脱退、13年に再加入)が戻ってきたことも大きいと思いますね。彼は結構曲も書くし、ドラムの(平谷)庄至くんやコバケン(コバヤシケン:テナーサックス)も、それに刺激されたのか前にも増して曲を持ってくるようになって。いろんな人の音楽性が、KEMURIの中に広がっている感じはします。

ーーそれで、今回はマキシシングルという形態での作品『サラバ アタエラレン』がリリースされます。表題曲はどのようにして生まれたのでしょうか。

伊藤:作るときに思っていたのは、「この曲はKEMURIにとって、新たなる代表曲にしなければ」ということでした。なので、歌詞には非常にこだわりましたね。今回は2パターン書いて、読み比べつつ「このフレーズはこちらのパターンがいい」などと話し合いながら、良い部分をピックアップしていきました。言葉の選び方をものすごく吟味しながら。

ーーテーマとしては、どんなことを歌おうと思いましたか?

伊藤:KEMURIは昨年で結成20年目の節目を迎え、「この先、どうしていこうか?」ということをメンバーたちと話し合ったときに、ブラッド(津田)にしても他のメンバーにしても、それぞれのビジョンっていうのが明確にあったんですよ。「KEMURIの未来」というものを、メンバー全員が個々に思い描いていてくれて、それにジーンときたっていうか。その心の中の景色を、全て現実にしていきたいって思ったんですよね。

ーーええ。

伊藤:強く願っていることは必ず叶う。「まだまだ俺たちはいけるんだ!」っていう気持ちを、曲の中に込めたというか。それはメンバーに対しても、お客さんに対しても、自分に対しても言いたかったんです。「未来は明るいぞ」って。なかなか今、そんなこと言える人はいないと思うんだけど、俺は天邪鬼だからさ(笑)。

ーー 「まだまだいける!」という歌詞はライブでふみおさんがよくファンに投げかけている言葉ですよね。

伊藤:そう。しょっちゅう言ってるのに、歌詞にしたことがなかったから今回入れてみた(笑)。あと、日本語と英語が交じり合っている曲っていうのも、KEMURIでは珍しいんじゃないかな。今まで英語は英語、日本語は日本語っていうふうに、意識的にこだわって分けて作っていたから。そのへんの制約というかタブーを、今回は破ってみました。

ーーそれはなぜ?

伊藤:ブラッド(津田)がアイドルソングを聴くのが好きで(笑)、それを僕もたまに聞かせてもらうんだけど、最近の曲って日本語と英語が交じり合ってても違和感がないんですよね。昔の歌謡曲って、サビでいきなり英語になったりしてダサイなって思ってたんだけど、今はそういうレベルじゃ全然ない。で、聞いているうちに自分でもやりたくなったっていうのは大きい。

ーーそれは貴重な裏話です! 聞くところによると、25~30歳の社会で壁に当たった人たち、現状に満足できず、それでも「やらなきゃ!」と思っている人たちへのエールも込められているそうですね。

伊藤:それぐらいの年齢の人たちって、社会人になって3年目くらいだったりするじゃない? だから、結構今の僕らが思っていることと通じる部分があるんじゃないかと思ったんですよね。実際、そのくらいの年代のスタッフからも、「伊藤さんの言いたいこと、わかります!」って言われたりして(笑)。それを聞いて、ちょっと歌詞の部分にも余白をもたせようと思いましたね。様々な年代の人たちに共感してもらえる内容というのを心がけました。

ーー考えてみれば、伊藤さんや津田さんがKEMURIとしてデビューしたのも、25〜30歳くらいだったんですよね。当時、伊藤さんはバンドを解散したばかりで、「これが最後のチャンス」と思っていたとか。今のアラサーが抱える、焦りや不安を理解できる部分もあるのではないでしょうか。

伊藤:ああ、確かにそうですね。あの頃はねえ、「あ、俺30歳になっちゃった。もう若くないな」っていう焦りや不安は、半端ないものがあった。今考えると、全っ然そんなことないんだけどね(笑)。

津田:そう。でもやっぱり30代になる頃ってデカいんだよね。

伊藤:そうだね。あの頃は一人でバックパック背負ってアメリカのライブハウス回ってさ、デモテープ渡したりとかしてたけど。常に不安だったし焦ってましたよ。そんな自分たちの過去を、今の若者たちに重ね合わせた部分はあったかもしれない。ただ、あんまりうるさいことを居丈高にはいいたくはなかったな。自分が若かった頃を思うと、年寄りにとやかく言われたくなかったし(笑)。

ーー(笑)。

伊藤:たった一人だけ、「好きなことだけやってりゃいいんだよ」って僕に言ってくれた大人がいて。そのときは、「いやあ、あなたみたいな立場だから言えるんじゃないですか?」なんて思ったけど(笑)、今思うと、本当にその人の言う通りだったなって思う。

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