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1stアルバム『Progress』インタビュー(後編)

kōkuaが語る、音楽シーンの課題と未来「突き破る精神がないと、オリジナリティは生まれない」

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スガ シカオ
武部聡志
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 スガ シカオ(Vo)、武部聡志(produce,key)、小倉博和(Gr)、根岸孝旨(Ba)、屋敷豪太(Dr)。日本を代表するミュージシャンたちが集うkōkuaが、6月1日に1stアルバム『Progress』をリリースした。今回リアルサウンドでは、メンバー全員に行ったロングインタビューを前後編に分けて掲載。前編(kōkua、メンバー全員インタビュー(前編)「5人の音楽性がミックスされて“らしさ”が生まれる」)では、プロジェクトのきっかけから楽曲制作の詳しいエピソードまで、1stアルバム『Progress』について話を訊いた。後編では、各人から見た音楽シーンの変遷、さらには今後の創作のあるべき姿など、大局的な話をじっくり語ってもらった。(編集部)

160618_kokua_ta.jpg武部聡志

「日本の音楽の今後をすごく憂いている」(武部聡志)

ーー前編ではkōkuaのアルバムとライブについてお伺いしましたが、後編ではみなさんさまざまなキャリアを経てきた方だと思いますので、それぞれの視点からのJ-POPの変遷について語っていただければと思います。

武部聡志(以下、武部):これ、一人3時間ずつ語りたい感じだね(笑)。時間が足りないな。

――まず武部さんとしては、90年代以降、日本の音楽シーンの流れはどう変わってきた実感がありますか?

武部:J-POPっていう言葉がいつ生まれたか分からないんけど、そういう言葉が生まれてから日本の音楽ってすごく面白くなくなってきたんだよね。僕が仕事を始めたのが76年くらいなんだけど、その頃はパイオニアというか、吉田拓郎さん、井上陽水さんのように、それまでにない音楽を生み出してきた人たちが沢山いた。それが、J-POPという括りになってから、フォロワー的な音楽ばっかりになってきて。売らなきゃいけないとか、タイアップがどうだとか、そういう話で「俺これやりたい」っていうのがすごく減ったんだと思うんですよ。だから僕としては、日本の音楽の今後をすごく憂いています。

小倉博和(以下、小倉):J-POPって、いつ言われるようになったんだっけ?

――よく言われている話では89年にラジオ局のJ-WAVEが初めて使った言葉という説があります。それが世の中に広まったのは90年代前半あたりですね。

武部:その前はフォークがあって、そこからニュー・ミュージックがあって。あとはシティーポップスとかだったよね。

160618_kokua_ne.jpg根岸孝旨

「80年代の終わりから90年代はロックがとにかく面白い時代だった」(根岸孝旨)

――根岸さんはその頃、80年代から90年代にかけてはどんな風に見ていますか?

根岸孝旨(以下、根岸):僕、日本で仕事してるくせにあんまり邦楽を聴かない人なので(笑)、僕からすると、80年代の終わりから90年代って、アメリカもイギリスもロックがとにかく面白い時代だったんですよ。ちょうど、ニルヴァーナ、ブラー、オアシスが出てきた頃で。自分もこういう感触の音楽がやりたいって思ってたのがどんどん出てきたので、「俺もやるぞ!」って。あの頃はもう仕事もしてたんですけど、それよりも「バンドデビューしたい」でしたね。それでDr.StrangeLoveを始めて。ロンドンにレコーディングに行ったら、隣でまさにオアシスがレコーディングしてたりとか。

スガ シカオ(以下、スガ):すげえ。

根岸:隣でその後、『〈What’s the Story〉Morning Glory?』の中の「ワンダーウォール」を録ってたんですよ(笑)。ワクワクしてました。本当に音楽が楽しくて、やるのも聴くのも全てが楽しかった。

――屋敷豪太さんはその頃にはもうイギリスにいらっしゃったんですよね。

屋敷豪太(以下、屋敷):そのスタジオにもよく行ってましたよ(笑)。

――91年にはシンプリー・レッドにドラマーとして正式加入していますね。

屋敷:そうですね。どこから話せばいいのかな(笑)。80年代後半は僕はもう向こうにいたし、最初の頃はアシッドハウスが流行ってて、四つ打ちだらけで。「つまんねー」って思ってたんですよ。それが80年代後半で、でもね…何だろう、本当に3時間かかっちゃうよ(笑)。

――イギリスに向かったのはどういう理由だったんでしょう?

屋敷:僕はネギ坊と同じでやっぱり洋楽かぶれで、それがもうバカを通り越してロンドンまで行っちゃったパターンなんですよね。50年・60年・70年代の音楽が大好きだし、やっぱりそのサウンドとかアレンジが大好きで。でも、80年代に入ってから、いろんなデジタル機器が増えてきて、音的にすごくつまらなくなっちゃったっていうのはあったと思うんですよね。一つのきっかけは、日本だとレコーディングのメーターが振りきれちゃうと録り直すのが普通なんですけど、向こうで俺が「振り切れてるよ」って言ったら「ああ、別にサウンズ・グッドだからいいんじゃない?」って言われて、「俺がやりたいのはこれだ!」って思って。でも、さっき言ったアシッドハウスの感じが「つまんねぇな」と思って。僕は特にドラマーだから、ドラムのパターンが面白い方が好きだし、そういうことをやってるうちに、そういう集まりのやつらがいて、それがソウル・II・ソウルになって。グラウンド・ビートとか、アシッド・ジャズとか、あの辺のものが枝分かれしていって。それをやってるうちに僕がシンプリー・レッドに入ってやっていくんだよね。90年代はだんだんインターネットとかも普及し始めて、どこにいても同じような気持ちになってきたんですね。で、やってることは面白いし、オアシスだのブラーだの、僕らもよく知ってるし、一緒に遊んだり飲んだりしてたけど、その後はだんだん、日本が面白くなってきたんだよね。それこそスガくんがデビューした97年のあたりから。その頃から日本語の歌詞が今度は逆に刺さるようになってきた。

――90年代後半になって、イギリスから日本を見るようになった。

屋敷:うん。だんだん、イギリスがつまらなくなってきたんですよ。オアシス・ブラーの後くらいから。日本の方が面白くなってきちゃって。で、日本に戻ろうかなと思いはじめたのが2000年を越えたくらいの頃で、少し経った頃にこのkōkuaが始まった。だから今は僕が日本に戻ってきて10年ちょっとくらいなんですよ。だから、本当に僕としては幸せな状況にあると思いますね。スガくんとか、他にも何人かすごく面白い作詞をする人がいたし、アレンジとかコード感とかも日本の方が面白く感じるようになったんで。

――全然見方が違うんですね。武部さんはJ-POPの登場以降日本の音楽が面白くなくなったと言う一方、豪太さんはロンドンから日本の音楽の面白さを再発見した、と。

小倉:時間軸で言えば、豪太くんの言ってることの方が後ではあるけどね。

――小倉さんは90年代を振り返っていただくと、。どうでしょうか?

小倉:僕は80年代の終わりくらいから、友達とやってた小さいスタジオに桑田佳祐さんがやってきて『稲村ジェーン』のデモを作るっていうところから始まって。小林武史さんと出会って。桑田さん、小林武史さんとSUPER CHIMPANZEEというグループで、北京の天安門広場でゲリラライブをやったりね。かなり特別なところにいたんで(笑)。本当に面白かったですよ。

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