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宇野維正の映画『セッション』論評

話題騒然のジャズ映画(?)『セッション』、絶対支持宣言!

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(C) 2013 WHIPLASH, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

 映画ファンはもちろんのこと、一部の音楽ファンの間でも公開前から話題騒然となっている映画『セッション』が、本日4月17日に公開された。名門音楽大学に入学したプロのジャズドラマーを目指す主人公が、伝説の鬼教師からパワハラまがいの激しい指導を受ける姿とその後の顛末を、緊張感に満ちた演出でスリリングに描いた本作。「話題騒然」の中身にはポジティブなものとネガティブなもの、二つの側面がある。

 世界最大のインディーズ作品の見本市であるサンダンス映画祭で上映され、グランプリと観客賞を同時受賞したのが昨年1月。それ以降、世界各国で80以上もの賞を受賞、公開規模を拡大しての大ヒット。その集大成となったのが、今年2月のアカデミー賞での助演男優賞(J・K・シモンズ)、編集賞、録音賞のトリプル受賞だった。事実として、本作は世界中で批評家の絶賛と観客の熱狂に包まれた。一方、アメリカを中心に公開当初から一部のジャズミュージシャン、及びジャズファンからは、本作に対して批判的な意見が多く寄せられていた。日本でも先日、ジャズミュージシャンの菊地成孔氏がブログにアップした『セッション』に対する酷評がネット上で大きな話題となったが、そもそも海外では“Whiplash Backlash”(本作の原題『Whiplash』をもじったもの。「ムチの跳ねっ返り」とでも訳せばいいだろうか)という言葉が生まれるほど、ジャズ界隈においては本作へのアンチを表明するオピニオンは蔓延していた。そして、皮肉なことにそうした批判も含めて様々な意見や感想が飛び交ったことが、この作品を一介のインディーズ作品から、アメリカやヨーロッパにおける昨年最大のサプライズヒット作にして、今年のアカデミー賞最大のダークホースにまで育て上げたとも言えるのだ(言うまでもなく、本稿の意図もそこにある)。

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 近年ハリウッドで大きな話題になる映画といえばシリーズものか実話もの(今年のアカデミー作品賞ノミネート作のうち『アメリカン・スナイパー』『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密』『グローリー/明日への行進』『博士と彼女のセオリー』と実に半分の4作品が実話ものだ)と相場が決まっているので感覚が麻痺してしまうのも無理はないかもしれないが、まず大前提として、本作『セッション』は何ら特定の史実とは関係のない、監督のデイミアン・チャゼル自身が手がけた脚本による完全なオリジナル作品である。その上で、これまで多くのジャズ関係者に批判されている点を大きく3つに分けると次のようなものになる。(1)名門音楽大学のトップクラスにあんなエキセントリックな教師はいないし、あんな授業方法もあり得ない。(2)音声ではミュートされたトランペットが鳴っているのに画面上の奏者のトランペットはオープン状態などなど、演奏シーンがいろいろとテキトーだ。(3)劇中に実名で出てくるチャーリー・パーカー、バディ・リッチ、ウィントン・マルサリスなどのジャズミュージシャンの位置付けやエピソードの解釈がテキトーだ。

 (1)に関しては「それがフィクションのおもしろさでしょう」と言うしかなく、(2)に関しても「ワイルドスピード」を観てあんな車の挙動はあり得ないとツッコミを入れることに近く、あくまでも映画的には見過ごしても構わない、というか積極的に見過ごしていいポイントだと思うが、(3)の、特に劇中で語られるチャーリー・パーカーのエピソードに関しては、本作の根っこにあるテーマとも関わってくるので解説が必要だろう。

 『セッション』でJ・K・シモンズ演じる教師がマイルズ・テラー演じる主人公に語るのは次のようなエピソードだ。「あのチャーリー・パーカーだって10代の頃、ジャム・セッションでヘマをやらかし、ドラマーのジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ、観客から笑われながらステージを降りた。その夜、彼は泣きながら寝たが、翌朝から来る日も来る日も練習に没頭した。もしあの時にシンバルを投げられてなかったら、我々の知っているのあの“バード”(チャーリー・パーカーの愛称)は生まれていない」。劇中では主人公の頭めがけてシンバルが飛んでくるけれど、実際はチャーリー・パーカーの足もとに投げられたとか、ジョー・ジョーンズの投げたシンバルは叱責を目的とするものではなく、これ以上パーカー少年に恥をかかせないためにリングサイドから投げ入れたタオルのようなものだったとか、そもそも評伝によるとチャーリー・パーカーはその後ふてくされて1ヶ月間練習しなかった(!)とか、本作におけるこのエピソードの扱い方に対してはあらゆる角度から事実との齟齬が指摘されている。しかし、「僕はいつも若きチャーリー・パーカーに興味があった」と語る監督デイミアン・チャゼルが、あのクリント・イーストウッドの『バード』でも描かれているこの有名なエピソードの詳細を知らないわけがない。つまり、ここでは意図的にエピソードの改竄、というかアレンジが行われているわけだ。どうしてそのようなアレンジが行われたのか? それは、デイミアン・チャゼルが本作で観客に最も「引っかかって」ほしいポイントがそこにあるからに他ならない。

     
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