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栗原裕一郎の音楽本レビュー 第5回:『親のための新しい音楽の教科書』

『親のための新しい音楽の教科書』は教科書にふさわしいか 先生、西洋音楽ってイケナイものなの?

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音楽書評
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 タイトルに「教科書」と謳われているものの、いわゆる教科書のような体裁はしていない。むしろ「音楽」というものを考え直すことを目的とした本である。ここで「音楽」と呼ばれているものは「西洋近代音楽」のことだ。

 「考え直す」といっても、著者の中には確固とした結論があらかじめ用意されている。いちおう音楽教育を問うた体の本ではあるので、音楽教育に対する見解としてもそれは披露される。著者は要するにこういいたいようである。

「音楽教育なんか全部無駄、むしろ害悪だからやめてしまえ」

 もう少しひもといてみよう。結論にあたる第8章は、モーツァルトを例に早期音楽教育を論じた部分だ。

 いうまでもなくモーツァルトは至上の天才として音楽史に刻まれており、早期教育の成果は申し分なく発揮されている。だが、親の想定を超えて「モンスター化」し、親と故郷を捨てて、非常に低い収入で暮らすうちに若くして死んでしまった。

 そんなエピソードを示して著者は「こどもは親の思ったとおりには育たないようですね」と、音楽教育が思うままにならないものであることを強調する。

 まあ、ここまではいい。でもここから導き出されるのはこんな結論なのである。

「音楽教育というのはそれがうまくいけば、後世に残る音楽家になる代償として親を裏切り、一生貧乏のうちに死ぬことになる。うまくいかなければ、音楽からはさっさと足を洗ってサラリーマンになって安定した生活を送る。ということでしょうか」

 これ、おかしくない?

 どうして「音楽教育を受けたおかげでそこそこ立派な音楽家になりぼちぼち幸せに暮らす」とかそういう可能性がすっかり省かれているのか。そんな人もいっぱいいるでしょうに。

 だが、モーツァルトなんていう特殊な例に、こんな極論を一般論であるかのようにくっつけて、それで終わりなのである。

 これが著者の音楽教育に対する思想ということなのだろうが、しかしなぜこんな歪な話になるのか。

日本の音楽教育と西洋中心主義批判

 実はこの本、前回か前々回かに取り上げる予定で、書評も途中まで書いたのだけれど、読めば読むほど疑念が深まってしまい頓挫、急遽別の本に差し替えたという経緯がある。この欄の原稿料もそう高くない、というよりだいぶ安いので(笑)、「実に刺激的な問題提起であり議論を呼ぶことであろう」とか適当なオチでお茶を濁して済まそうかとも思ったのだが、ちょっと無理だった。

 発売前から一部で評判で、わがTwitterのTL上でも、信頼できると思っている人たちがみんな褒めていたもので、まあ、ハズレということはないだろうとパラパラと斜め読みしただけで候補リストに入れてしまった自分のせいではあるのだが、なぜみなさん、こんなきわどい本を諸手を挙げて絶賛しているのか謎だ。

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