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ステージの姿はまさに“鬼神” ドン・マツオのオルタナティヴ・ロック20年を振り返る

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ソロアルバム『Magic Mountain』をリリースしたドン・マツオ。

 ローリング・ストーンズの来日公演の興奮も冷めやらぬ中、ふと思い出したのは、ストーンズ・フリークを自認するオルタナティヴ・ロックバンド、ズボンズのことだった。ストーンズのスピリッツを受け継いだ、正統なロックバンドであることを公言し、その圧倒的なライヴ・パフォーマンスによって、日本のみならず海外のロック・フリークたちを、熱狂の渦に叩き込んで来たズボンズ。奇しくも昨年9月、約20年にも及ぶその歴史に終止符を打ったズボンズの足跡と、その首謀者ドン・マツオ(Vo&G)の現在について、ここでは書いてみたいと思う。

 94年、満月の夜に東京で結成された4人組のロックバンド、ズボンズ。ガレージと呼ぶにはあまりにも激しい、そしてときにブラック・ミュージックに近接するようなグルーヴと、恍惚のサイケデリアを生み出すそのサウンドは、ストーンズと言うよりも、むしろ当時人気だったアメリカのバンド、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンと並べて語られていたように記憶している。観る者すべてを圧倒させる、とてつもない爆発力を持ったロックンロール。いつしか“対バン・キラー”の異名を持つようになった彼らは、97年、無名のインディーズ・バンドでありながら、ザ・ハイロウズザ・マッド・カプセル・マーケッツ、ボアダムズらとともに、記念すべき第一回フジロックに出演する。そして、現在も名盤の誉れ高いアルバム『LET IT BOMB』をインディーズでリリースした後、99年、満を持して東芝EMI/Virgin(当時)よりメジャーデビューを果たすのだった。

「ズボンズというか、僕が作る曲はどれもそうなんだけど、一旦完成して録音した時点が、スタートになるんだよね。曲というものは、出来たときにそのポテンシャルのすべてが分かるわけではなく、それをライヴで演奏し続けることで様々な発見があって、それを補完していくように感じている。まあ、それは僕がそういうタイプの音楽家だから、そう考えるんだと思うけど。ビーチ・ボーイズとかビートルズは、レコードが完成するまでに相当いろんなものを注ぎ込んで完璧な音源を作ろうとしたけど、僕には全然そういうことができないんだよ(笑)。そういうものに憧れはあるんだけど、残念ながら僕はそのようなタイプではなく、もっと素朴なブルースやフォーク、あるいはジャズのミュージシャンに近いのかもしれない」(ドン・マツオ)

 しかし、メジャーでの音楽活動に疑問を覚えた彼らは、EMIから2枚のオリジナル・アルバムをリリースした時点で、突如日本国内での音楽活動の休止を宣言。その主な活動の場を海外に移し、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで積極的にライヴを展開するようになる。その後、再び国内での活動を開始するも、EMIでの最後の作品となった『love is funky』(02年)を出した時点では、いつの間にかオーストラリア人2名を含む、6人編成となっていたズボンズ。そんな彼らの歴史は、ほぼ5年ごとに変わるドラマーの歴史でもあった。現在はZAZEN BOYSで活躍している松下敦、FULLARMOR、Nothing's Carved In Stoneで活躍している大喜多崇規が、その歴代ドラマーに名を連ねていることは、いまやあまり知られていない事実なのかもしれない。

「その日そのとき、どんなステージになるのかなんて、僕にもわからないよ。だから、僕の中にあるイメージを具現化するみたいなのとは、ちょっと違うんだよね。そうではなくて、今鳴っている音楽が、どのような方向に向かっているかを踏まえながら、それに沿った臨機応変なプレイをメンバーに求める。例えて言うなら、“船長”みたいな感じかな? 微細な波や風の動きを読みながら、その都度その都度、適切な航路を決定して行くという。僕はそういう役割に長けているんだと思う。だから、僕が新しい音楽を作るために必要とするのは、新しいネタを集めたり刺激を求めたりすることではなく、正確に波目を読み、的確な判断が出来るような状態に、自分を持って行くことなんだよ」(ドン・マツオ)

     
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