配信技研が“マーケティングプラットフォーム事業”をスタートさせるワケ 取締役・中村鮎葉氏に『SCOP』の狙いを聞いた

配信技研という企業をご存知だろうか。2019年に設立された同社はストリーマーの配信を裏側で支え続けてきた企業で、さまざまなデータの収集や提供を通して「社会からのストリーマーの見え方」の変化において重要な役割を果たしてきた。またあるときはストリーマーが家の外に出て屋外配信を行う際の技術面のフォローなどもおこなってきた。
そんな配信技研が、ストリーマーと企業向けに「案件」を仲介するサービスを開始するという。技術屋、あるいはリサーチ会社といったイメージを持っていた筆者にとって、少し意外に感じられる展開だった。
今回、リアルサウンドテックでは、大手配信サービス・Twitchの日本人第一号社員で、現在は配信技研の取締役を務める中村鮎葉氏に、新サービス『SCOP』に関する詳細を聞いた。ストリーマーシーンにまつわる文脈を知った上で聞くと、あらためて配信技研の“目指す世界”が見えてきた。(三沢光汰)
配信業界の10年を振り返って “嫌儲”文化と現代の転換点

——中村さんがTwitchに入社したのが2015年、そこから10年が経ち、配信のシーンも大きく様変わりしましたね。昨今のストリーマー人気と、その変遷について。配信技研からの見え方を教えていただきたいです。
中村鮎葉(以下、中村):10年前の2015年当時は、個人ストリーマーに関して言えば“何もない状態”からのスタートでしたね。ライブ配信というのは、動画のサブカテゴリーに過ぎない時代でした。もちろん、ライブ配信というツール自体はありましたし、やっている人もいました。しかしあくまでも動画の補助ツールというか、動画をやっている人が一緒にやるもの、という見られ方をしていましたね。
そこから「ライブ配信をアイデンティティにする人たちを作ろう」という話をしていたのが、丁度その当時のTwitch Japanだったんですが、市場としては全然そんな段階ではなくて。なにかライブ配信について考えるときは、まずプラットフォームを考える時代でした。Twitchなのか、ニコニコ生放送なのか、YouTubeなのか、OPENRECなのか。どのサービスを選ぶのかが、ユーザーにとって一番大事でした。
次に、イベントが主導権を握る時代が来ました。たとえば、『EVO』(※世界最大規模の格闘ゲーム大会)がまだラスベガスのみで開催されていた頃は、配信にものすごい視聴者数が付いていたんですよ。日本でも、『東京ゲームショウ』や『ニコニコ超会議』、あるいは『リーグ・オブ・レジェンド』の大会『LJL』(League of Legends Japan League)、「ストリートファイター」シリーズの『CPT』(CAPCOM Pro Tour)など、様々なイベントが行われていて、それをみんなが観るときに視聴者数が激増する。
こういった流れが変わって、今のように「ストリーマーが強い時代」になったのは、2017年。『PUBG』が登場した頃ですね。当時『DONCUP(PUBG DONKATSU CUP)』というイベントが開催されていて、一人ひとりの視点をライブ配信するという、当時としてはあり得ないことをやっていたんです。『DONCUP OFFLINE』なども開催されていて、そのためにデスクトップPCを40台ほど会場に持ち込んだこともありました。
ちなみに、その時PCを会場に運び込んだメンバーが、配信技研になる人たちだった、という裏話もあります(笑)。
——なるべくしてなっているという感じもありますね(笑)。確かに、個人の観戦視点にスイッチすることはあれど、一人ひとりの視点を配信し続ける、というのは当時としては珍しい試みですね。
中村:今の時代に、たとえば『Apex Legends』でインフルエンサーを集めたなら、個人配信とワイプは用意されるものだとみんなが思うでしょう。ただ、当時としてはあり得なかったし、斬新でした。
そこから、大会で気になった人の配信を見に行く、という流れが生まれたわけです。月曜日から木曜日は個人配信を見て、週末は大会での活躍を見守る。こうしたムーブメントがここまで大きくなったのは、やはり2017年がターニングポイントだなと実感しています。
——ちょうどその辺りのタイミングで「ゲーミングPC」を買う人が増えて「配信もできるスペックだから始めよう」とか、その後に流行した『Apex Legends』の大ヒットにも繋がっていますよね。専業ストリーマーが増えたのもこの辺りからですか?
中村:そうですね。2017年頃に収益化に対するハードルが下がり、一般的になりました。それ以前はいわゆる“嫌儲”と言われる文化が強く、ゲーム実況の収益化は忌避される傾向にありました。
——たしかに、ゲーム実況における“嫌儲”文化は私も記憶しています。好きだった実況者さんがそれで引退したこともあります。時代が違えばと感じている方は多そうです。
中村:配信技研代表の牧野(耕志)も、同じような思いをした一人ですね。彼はもともと『マイクラ』実況をしていた人物だったのですが、当時の状況ではグッズを出したくても出せなかった。あるいはグッズを出した結果、叩かれて引退してしまった実況仲間がいたんです。だから、「この状況を何とかしないといけない」という思想を持っていて、それが理由でTwitchに入社した経緯もあります。
私個人としても、ゲーム実況やゲームに関するイベントではあまり参加費を取ってはいけない、という空気を感じていて、イベントは無料だし、『東京ゲームショウ』のチケットもまだまだ安かった。
——たしかに、昔『サドンアタック』の大会をネットカフェでやっていた記憶もあります。ほぼ施設の利用料金だけ払って参加する……みたいな形だった気がします。収益化の壁を超え始めたポイントでいうと、Twitchのサブスクライブやビッツ(投げ銭)文化、もっといえば“海外ストリーマーのトレンド流入”が大きく寄与している印象があります。
中村:はい。これは完全に海外トレンドの影響を受けていると思います。ビッツ自体は実はかなりあとに実装された機能なので、最初はサブスクですね。そして、このサブスクの効果が大きかった。
『PUBG』が流行していた当時、Twitchを観た人に投げ銭をするにはサブスクしかなかったのですが、Amazonプライム加入者がサブスクライブをひとり無料でできるサービスも同じ時期に始まっているんですよ。日本人は実は人口当たりのAmazonプライム加入率が最も高い国らしく、そういった理由もあって「個人配信にお金を払うこと」が一般化していったのだと思います。
さまざまな理由があるので「一番大きな要因は?」と問われて、ひとつに絞ることはできませんが、重要なのは当のストリーマーたちがしっかり収益化をしていい世界に変えていったことだと考えています。
関優太さんの書籍にもなった「感謝します」という言葉は、もともと『PUBG』をプレイしながらサブスクを受け取るときの言葉だったはずで、これがひとつクリティカルなネタとして受け入れられていった。これも大きく「お金を払うこと」の一般化に繋がった要因だと思います。
——「職業:配信者」として活動できるようになっていった、最初の世代というか。切り拓いていった人たちですよね。
中村:収益化が一般的になったことで、配信者や実況者が活動しやすくなりました。予算も増えるし、物も買える。アングラな文化から、プロフェッショナルとして活動できるようになっていきました。
ただ、また別の壁もあって、いわゆる企業案件はまた別でした。代理店やスポンサーがストリーマーを起用することはまだまだ少ない時代でした。まだまだ「テレビタレントや声優、YouTuberの方が人気でしょう」という認識が業界内にはあったし、それでビジネスが回っていた。つまり、実績があったのでわざわざリスクを取ってストリーマーを起用する理由がなかったんですね。
——真っ当な力学ですね。ただ、近年ではトップストリーマーとの大型コラボも珍しくなくなってきましたよね?
中村:2020年以降、急激にその状況がシフトしたんです。それ以前に『東京ゲームショウ』で起用されている人を見ると、やはり声優さんやテレビタレントが多かった。しかし、ここ数年で顔ぶれが大きく様変わりしていて。
配信技研でもレポートを出しているのですが、やはりライブ配信の市場自体が急激に大きくなったことが理由です。それ以前の調査では、日本での配信総視聴時間はだいたい月30億分ぐらいだったのですが、今は月間で130億分ぐらい、約4倍ほどに成長しています。しかも、この数字はコロナ禍が明けても落ちていないんです。
それを代理店やメーカーも把握していて、その成長過程のなかで「リアルイベントを開くことができないからストリーマーを起用してみるか」とトライする余地が生まれ、実際にチャレンジして集客に成功した企業もいっぱいあったようです。
——それまで起用されていたタレントと同じく、実績が積み上がっていったんですね。
中村:そうです。代理店やスポンサーとしても、実績があるので大きなリアルイベントでも起用しやすくなった。するとファンが押し寄せてきて、“推し活”をする人が現れて、だんだんそれが当たり前になっていったな、という風に感じています。


















