カラオケの“真の発明者”根岸重一 家族が語る「発明家としての素顔」

カラオケの“真の発明者”根岸重一の素顔

根岸重一のその後

――晩年の重一さんはどのように過ごされていたのですか。

高野:75歳くらいまでは働いていましたよ。その後は猿の陶芸に生きて、80歳で初個展を開催しました。

――なぜ猿だったのでしょう?

高野:サラリーマンで営業をしていた頃、東京駅の八重洲口を出て帰るときに猿を並べて売っているおじいさんがいたらしいです。タバコを吸って腕を組みながら「売れても売れなくてもいい」という感じで座っていた佇まいが印象的だったそうです。そういう生き方が憧れだったと。だからリタイアしたら、すぐ猿の制作に取り掛かっていました。

根岸:父はおじいさんから猿を10体ほど買っていて、買った猿が植木鉢や棚においてあったりしました。

高野:猿を買った情報を手掛かりにして、そのおじいさんを訪ねたりしたのですが結局は会えなくて、自分で制作を始めたのです。

――なるほど。歳を経ても創造力豊かだったのですね。

高野:デイサービスにお世話になってからも塗り絵を描かせると、すごいパワーです。他の人は色鉛筆で塗るのに父は色マジックを使って大作を描くような人。あまりに作品が面白かったのでInstagramにあげました。

 しかし、地域の老人会で「自分がカラオケを作りました」とスピーチしても、みんな「はいはい」という感じで真に受けないんですよ。「爺さん何言っているんだよ」という感じになってしまう(笑)。

――いまとなっては話が大きすぎますからね。

高野:私自身も「大丈夫?」と心配されそうで知り合いにはあまり言いません。新聞を見た人から「なぜ教えてくれなかったの?」と言われますが、やはり言いづらいですよ。

根岸:一方で僕の香港の知人は「日本の友人の父親がカラオケを発明した」と香港で話しているようです(笑)。「あなたの友達のお父さん、すごいね。そういう友達を持つあなたもすごい」という反応みたいです。あとはマット・アルトさんが「ウォール・ストリート・ジャーナル」に書いてくれた父の訃報記事の反響は大きかったですね。鳥山明さんが亡くなったのと前後したこともあり、「日本のポップカルチャーの巨匠が相次いで亡くなる」といった切り口で紹介されていたり。これを見て、海外と日本のエンターテイメントやサブカルチャーに対する視点の違いを感じました。

(参考:https://www.newsweek.com/shigeichi-negishi-karaoke-inventor-dies-1879639

――でも根岸さんが発明者だと突き止めたのは、『カラオケ秘史』を書いた日本のジャーナリストの烏賀陽弘道さんでした。

高野:そうですね。突然「伺ってよろしいですか?」と電話が来たのです。あれは父も喜んだ。「お父さんよかったね。とうとう取材が来たじゃん。やっと気づいてもらえたよ」と私も内心喜んでいました。

根岸:父がまだまだ元気な80歳くらいのときです。

高野:ふたりで長い時間話しながら、烏賀陽さんが「やっぱりここだ。根岸さんの話には作った人にしかない物語がある」と言っていたのも印象に残っています。彼の『カラオケ秘史』が刊行されてなかったら、ここまでたどり着けなかったですよ。それからマット・アルトさんが『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』で世界に発信してくれました。

――この「ミュージックボックス」は然るべき場所に展示しないといけないと思います。

高野:そうですね。マットさんはスミソニアン博物館の館長さんと知り合いみたいで、掛け合ってくれるということも言っていました。

根岸:日本のものは置かれない気もしますけどね……。もっとこの発明が日本で認知されれば嬉しいです。

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