堀江晶太が語る、周囲からの信頼に驕らないための「メンテナンス」 『VRChat』のいち住人として得られた“得がたい経験”とは

連載「堀江晶太が見通す『VRChat』の世界」第1回:後編
ボカロP・作編曲家・ベーシストなど、さまざまな顔を持つ音楽家・堀江晶太。押しも押されもせぬ一流のクリエイターである彼には、これまで公に明かしていなかった趣味がある。それが、ソーシャルVRプラットフォーム『VRChat』だ。
コロナ禍をきっかけに『VRChat』に入り浸るようになったという堀江。普段は音楽家として活動しながら、VRの世界では“ひとりのユーザー”としてこの世界を楽しんでいるという。
今回からリアルサウンドテックでスタートする不定期連載「堀江晶太が見通す『VRChat』の世界」では、堀江の『VRChat』愛、そこで体験したさまざまな出来事、リスペクトする「注目のクリエイター」などについて語っていく。
初回となる今回は、堀江晶太が『VRChat』と出会ったきっかけや、魅了されるものが後を絶たない魅力のポイントについて話を聞いた。(編集部)
一人の住人として語れるように――『VRChat』ユーザーであると公表してこなかった理由
――少し話は変わりますが、堀江さんは今まで、「自分はVRChatでたくさん遊んでいる」と対外的に公表はされてこなかったですよね。
堀江:大きなところでは話していなかったですね。クローズドなイベントで話すことはありましたが、そもそも自分が発信をあまり行わないタイプなので、積極的に話していなかったのはあります。
――しかし、本連載を快く引き受けてくださった。とてもありがたいのですが、ある種プライベートでリラックスできる趣味を大きく公表することになりますよね。どんな心境の変化があったのでしょう?
堀江:仰る通り、もともとはプライベートの遊びなので、大きく触れてこなかったのも理由の一つですが、一番は自分の中で「話してもいいか」と思えるくらいには経験値が蓄積されてきたから、ですかね。
普段、ハマっている漫画やゲームについて誰かに話すことはあると思いますが、『VRChat』について語る時って、ひとつの完成された作品を紹介するのとは、性質が異なると自分は考えていて。これを取り扱うには知識だけでなく、肌感覚で知っておくべきことが多いな、と感じていたので。
そして、一ユーザーとして4年ほど過ごしてきたことで、やっと自分の中で「こういうところだから面白い」と言えるだけの経験値がたまって、理解度も高まったと思えるようになってきました。それでも、まだ「入口に立った」くらいの感覚ですけども、やっと自分が口にしても失礼のないレベルになれた気がしますし、そこに至るまでは『VRChat』について語るのを温めたかったのが大きいです。
――本当の意味で現地に溶け込んだ、一住民の立場として話せるところまできたと。
堀江:おそらくは。みんながどう思っているかはわからないですけども(笑)。
――ちなみに、普段『VRChat』にいるとき、「自分は堀江晶太です」と明かすことはあるのでしょうか?
堀江:一部の仲の良い人には話していますし、明確な線引をしているわけではないのですが、基本はみんなと同じVRChatterであり、“堀江晶太として”ここで何かをしたいわけではないので。初期にできたフレンドたちも、そこを理解してくれた上で、ひとりのフレンドとして扱ってくれていますね。
“堀江晶太であること”に甘んじないため、新たな名義を得る

――SYNCROOMの話でもそうでしたが、堀江さんは割と「ただの一ユーザー」でいることがお好きですよね。ボカロPとして、あるいは編曲家としても、名義を使い分けることが多いように思います。それはなぜでしょうか?
堀江:ひとつは、仕事の状況や関係性によって、異なる名義を用いることが多かったことですね。そういったことが何度かあって、名義を使い分けることに抵抗がなくなったのが大きいです。
それと同時に、名前ありきで認めてもらわなくていいと思っていて。10年強活動している中で、時には「堀江晶太が手がけた曲ならば何でもいい」と言われてしまうことは少なからずあるんです。ですが、自分としてはそう扱われることに甘んじている瞬間がないようにしたいんです。
知名度や過去の実績に甘んじてしまうと、感覚が麻痺して、本来のパフォーマンスを発揮できなくなるかもしれません。そして、明日から曲が作れなくなって、来年にはいらないやつになってしまうのでは……そうなるのが怖いと、ずっと思っているんですよね。
だからこそ、“野良”であることが好きなんです。『VRChat』で何かを成すにしても、誰でもない自分になり、今までの実績を取っ払った時に、何を良いと言ってもらえるか、あるいは良くないと思われるのか、そういったことを自己分析してみたいんですよね。
――自分を過信しないようにするためのメンテナンス、といいますか。慢心してしまうと、静かに離れていく人はいるはずですよね。
堀江:自分が一番鈍感になりがちですし、一方で周りは常に冷静に自分のことを見ているから、慢心はすぐに見抜かれるでしょうし、おごらないようにしたいですね。
あと、知られていない名前で活動するほうが、やっぱり面白いです。新しいことをしようとしても、それまでの名義では、これまでの出力を維持することにエネルギーを費やしてしまいがちです。だからこそ、自分に課すチャレンジとして名前を変えながらでも活動していきたい。そう考えています。
――常にご自身の作家性を磨いて、さらに進化させようとしていらっしゃるんですね。実際、いろいろな曲を何気なく聞いていて、「これいいな」と思ったら堀江さんのお名前がクレジットされていて、「あれ、これも!?」となった人は多いのではないかと。私自身もそうです(笑)。
堀江:友人も含めてよく言われますね。ありがたい限りです。
自分は音楽があったから表現活動を続けてこれたし、自分みたいなやつに「音楽をやっていいよ」といろいろな方に言っていただけたのも、音楽のおかげで。本当に音楽に救われている人間です。未だに「俺でいいんですか?」と思うことも少なくなく、今が当たり前のことじゃないとつくづく思うので、だからこそ当たり前の感覚になりたくないとすごく思います。
それも、自分が野良であることを好む、理由の一つかもしれません。ちゃんと通用するものを自分がまだ持てているか、定期的に確かめておきたいんです。




















