あの頃、みんなレインが好きだった——SF作家・千葉集と紐解く、『serial experiments lain』と現代社会

みんなレインになりましょう。
〈ワイヤード〉=1990年代的なインターネットと2020年代のインターネットの最大の違いをいうのであれば、「(実在の人間の)顔の多さ」になるだろう。
『lain』では〈ワイヤード〉内における人々はレイン以外(太郎という例外はいる)、顔を持たない。主には声だけの存在として描かれるだけだ。その声が、レインと話し、うわさを広めていく。
もちろん、1990年代のインターネットにも誰かの顔写真を載せられるくらいの贅沢さはあったわけだけれど、しかし現在とでは量が違う。鮮明さが違う。顔に付随してくる情報量が違う。2020年代においては、若者の6割以上が1日に1枚以上のセルフィーをソーシャルメディアへアップしている。(※11)
いまや、ネットは顔であふれている。(※12)
ネットにアップロードされた顔はソーシャルメディアを通じてその持ち主の生活と結びつけられ、ネット内での人物像をつくりあげる。ネットでのある人のイメージはときに、というか、ほぼ確実に現実世界における本人の自己認識とズレるもので、そのズレに悩むのはいまやそこまで珍しくはない。
「そのねじれこそ『lain』で玲音が直面していた問題ではないか」という向きもあるかもしれない。正しい。しかし、デジタル・アイデンティティの問題は『lain』においては玲音固有の問題だった。なぜなら、玲音=レインだけが〈ワイヤード〉と現実の両方で肉体を伴う顔を持っていたからだ。
もちろん、劇中で描かれるネット空間はあくまで彼女視点のものなので、あの世界のユーザーも主観的には顔を持っていたのかもしれない。それでも自分以外、顔を持たないネット空間。それこそが90年代的なインターネットだった。
そうした空間においては、自分以外の顔は現れた瞬間に“崇拝の対象”となる。もっと悪い言い方でいうなら、ネットのおもちゃになる。レインがそうであったように。


2020年代(コロナ禍以後)とそれ以前とのネットミームの傾向を比べたときに、特定の人間の顔は減っているようにおもわれる。顔の量が飽和したせいだろうか? あるいは、自分の顔もまたネットに差し出されるものとみなが気づいたからだろうか?
ミームは他人の顔だからこそ笑える。好きになることができる。自分の顔は、そうではない。私たちが安全に消費できる顔は、もはや二次元のキャラクターとネコとフクロウだけになってしまった。
ネットに顔をさらすことはソーシャルな行為であるにもかかわらず、そこでこうむるストレスは個人の問題に帰される。ネットに顔をアップロードするのはあなたの選択であり、ネットで病むのもあなたの責任だ。
『lain』においてレインが神たりえたのは顔をもつ他者として、劇中ほぼ唯一の存在だったからだ。いにしえのインターネットで顔を出した女性は洋の東西を問わず、「女神」と呼ばれた。今はもう、唯一の神はいない。ただ、神のつらさを知るものは無数にいる。もしかすれば、あなたも知っているひとりかもしれない。
だから、『lain』に個人的な感情移入をする人たちが増えつづける。フェムセルたちが玲音を崇拝の対象としてではなく、みずからの戯画的な鏡像として扱っているように。90年代からの孤独と寂しさをひきずる人々と、2020年代の顔と憂鬱に苛まされる人々が合わさって、『serial experiments lain』はますますそのファンを増やしていくことだろう。
けれど、私たちはもうレインを好きにはならない。
私たちは、レインになっていく。
〈参考文献〉
※1……小中千昭『scenario experiments lain/シナリオ エクスペリメンツ レイン[新装版]』復刊ドットコム、2010年
※2……https://muse.jhu.edu/pub/105/article/901255/pdf
※3……https://jamanetwork.com/journals/jamapediatrics/fullarticle/2785686
※4……https://www.dazeddigital.com/life-culture/article/57533/1/serial-experiments-lain-lainpilled-cyberpunk-memes-tiktok
※5……木澤佐登志「lainは遍在する ──サイバースペースにおけるlainの拡散と伝播」『CONTINUE Vol.85』太田出版、2024年
※6……Steven T. Brown「Screening Anime」『Cinema Anime: Critical Engagements with Japanese Animation』Palgrave macmillan、2006年
※7……小中千昭『恐怖の作法 ホラー映画の技術』河出書房新社、2014年
※8……「対談インタビュー:上田耕行(プロデューサー・脚本家)×安倍吉俊(キャラクターデザイン)」『CONTINUE Vol.85』太田出版、2024年
※9……https://yamaki-nyx.hatenablog.com/entry/2018/12/13/004343
※10……https://www.kamoyanagi.net/post/interview-008
※11……https://photutorial.com/selfie-statistics/
※12……そもそも1998年時点でのネットユーザーで女性は25%、未成年は2%ほどしか存在していなかった。https://www.syaanken.or.jp/wp-content/uploads/2012/05/sh1133p003-005.pdf
※13……ストーリーの最終形が結構似ている。それ以外の細かいところでも、たとえば、ゲーム中でR・D・レインの『好き? 好き? 大好き?』が引用されている。『lain』においてはアニメでR・D・レインへの言及があるほか、ゲーム版でも『好き? 好き? 大好き?』に触れられている。https://note.com/nyalra2/n/nd625a81665f1























