あの頃、みんなレインが好きだった——SF作家・千葉集と紐解く、『serial experiments lain』と現代社会

『serial experiments lain』と現代社会

ロシアより好きをこめて

 では、『lain』はなにを予言していたか。それはフェムセルの例で見られるように、今日のインターネットにおける“気分”だ。そして、この気分は2020年以降に唐突に新しく出現したものではない。27年間、ずっとわたしたちにつきまとってきた。

Russian Experiments Lain
by inLain

(ロシア語の『lain』ミーム。細部は省くが「『lain』には実家のような安心感がある」といったノリらしい)

 『lain』のプロデューサーだった上田耕行は、昨年に行われた安倍吉俊との対談でこんなことを話している。

「一度、何か『lain』コンテンツでアクセスを調べてみたらロシアからのアクセスが異常に多かったんですよ。理由はわかっていないんですけど、『寂しさ』や『孤独』のような普遍的な感情って世界で共通じゃないですか」(※8)

 ロシア人は『lain』が好きなようだ。

 GoogleTrendsによれば、アメリカ合衆国内の『serial experiments lain』の検索インタレストは2019年とそれ以降で3〜4倍に増えているが、ロシアにおける同時期の『Эксперименты Лэйн(lainのロシア語タイトル)』の検索インタレストは5〜6倍ほども伸びている。小中千昭の『lain』20周年特設ブログによれば、2018年時点で「ロシアのSNSで拡散されて急激に伸びた」らしい。(※9)

 アメリカでも近年の『lain』ファンには新規層や若年層が多いという。伸び率を見る限り、ロシアでも変わらないようだ。

 古典は、その普遍性によって古典たりうる。

 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』が今なお参照され続けているのは、ぴったり50年後の社会状況を当てたからではなく、そこに描写されている統治の力学が繰り返し歴史に現れ、誰にとっても「自分の物語」になるからだ。事実、『一九八四年』は左翼から右翼、地球平面論者に至るまで、あらゆる類の人々が誇らしげに座右の書として掲げている。

 『lain』を永遠にしたのは、孤絶の気分だった。そして、その気分は『lain』の物語ではなく、玲音というキャラクター自体に宿る。

『Milk Inside a Bag of Milk Inside a Bag of Milk』

 『Milk Inside a Bag of Milk Inside a Bag of Milk』というゲームがある。制作者はロシア人のニキータ・クリュコフ。なにがしかの精神疾患を抱えているらしい少女が、母親に命じられてミルクを買いに出かける、というだけのビジュアル・ノベル・ゲームだ。インターネットのイの字も出てこないし、作者も特に『lain』に言及した形跡もないのだが、この作品は2020年の発表当時から「『lain』っぽい」と指摘されつづけてきた。不穏でアンニュイな雰囲気に覆われた黒と赤の世界を、不安定そうな少女が頼りなく歩く。

 たしかに、どこか『lain』っぽい。アニメ版『lain』でも、玲音はまず始めに歩く人として登場する。彼女は家から出て、学校へ向かって、白く塗りつぶされた世界をとぼとぼと歩いていた。

 『Milk Inside〜』と『lain』の関係が裏付けられたのは、翌年に続編となる『Milk Outside a Bag of Milk Outside a Bag of Milk』が発表されてからのことだった。オープニングのアニメにおいて前作のあらすじが語られるのだが、そのなかではしじゅうアンビエントなノイズが鳴り響き、主人公の少女が階段を降り、そして、“電柱と電線だけ映るカット”が挿入される。いかにもな画作り。クリュコフはインタビューでアニメ映像に関して、制作スタッフに「リファレンスとなる要素を少し伝えた」と話しているが、ここでなにが「リファレンス」されているかは明らかだろう。(※10)

Milk outside a bag of milk — Animation intro (Анимация Молоко)

 続編の『Milk Outside〜』本編では、主人公とインターネットの関わりもすこし描かれはするのだが、われわれが“『lain』っぽさ”を感じるのはそこではない。

 寝る前に飲まなければならない薬を飲むまでの時間をなんとか引き延ばそうと益体もない思索にひきずりこまれる、あの感覚。眠ろうとして眠れない天井に、空想のホタルを飛ばして見つめるあの感覚。いずれも『lain』にはワンカットも出てこなかった描写だ。しかし、寂しさや孤独は共有されている。1990年代的な味わいのままで。

『Milk Outside a Bag of Milk Outside a Bag of Milk』

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