潘めぐみ×限界トルガル“深すぎるFF愛”対談 ヴァリスゼアとエオルゼア、それぞれのリアルさと自己肯定の物語
『FF16』は「まるで大河ドラマ」 作り込まれた世界観に感じること
――ここからは『FF16』のお話を伺えればと思います。『FF16』はゲーム作品でありながら、登場人物が“リアルな人間らしさ”を持つところが魅力でもありました。この点についてまずおふたりに伺えればと思います。
潘めぐみ:プレイしていて、まるで大河ドラマを見ているような感覚がありました。でも、どこから話せばいいんだろう。
限界トルガル:このテーマは私から出したものなんですが、たとえばホラー作品を例に挙げると、自分はビックリさせるタイプの怖さよりも、現実感があってゾッとする怖さのあるホラーが好きなんです。『FF16』もゲームらしいゲームというよりも、本当にどこか違う世界であった歴史を読んでいるような現実感があって。どこかに本当にこの世界や国があって、いまもなにかが起こっているんじゃないか……。そんな風にヴァリスゼアを感じられたというのが、ゲームをプレイしていて初めての感覚だったんです。そこに寄与しているのが、作り込まれた表情や声優さんの演技だったんじゃないか、と思っているんです。
潘めぐみ:実は私たちが収録に取り掛かる前に、ざっくりとした世界観の資料として、国の成り立ちや年表などを頂いたんです。伝統や文化、政治、軍事、それに宗教などの設定が細かくあって、その土地・国で人を含むいろいろなものが育まれていった歴史が見えるくらいでした。
限界トルガル:え、それは読みたい(笑)!
潘めぐみ:本当にざっくりしたものではあるんですけど、それでも読み取れるくらい、世界観が綿密に作られているんだと思います。そこにいる人たちだからこそ、登場人物もよりリアルなのかなと感じています。そのなかで特に国ごとの特色があると感じたのが、ドミナントの扱いです。称えられたり崇められたりする一方で、国が違えばひどい扱いを受けることもある。それって私たちの知る歴史にあったり、いまも現実に起こっていたりすることでもありますよね。今回のように『FF16』でのお芝居について「実写のようだね」と言っていただく機会も多いんですが、キャラクターたちが生きている世界があって、生きてきた言葉を紡いでいるからこそ、リアルに感じるんだと……。だから、ジルに関しては「演じる」というよりも「生きてきた」という感覚があるんです。
限界トルガル:潘さんは3世代にわたってジルを演じているわけじゃないですか。いま『FF16』をもう1回やり直しているんですが、すべて潘さんが演じているのにどの年齢でも違和感がないのに驚きました。
潘めぐみ:ありがとうございます。
限界トルガル:その一方で、体験版序盤にもあった、ジルがクライヴを心配そうに見つめるシーンあたりでは、ほとんど会話がなかったりするんですよね。ジョシュアがつらそうにしているのをクライヴが察して、ジョシュアはそれに負い目を感じるようにクライヴの方を振り返ったり、ジルは横で聞いていて声はかけないけれど、噂されるクライヴをただじっと見つめていて。一般的なRPGだと、あそこで「気にしないでね」とか「私は味方だよ」と話しかけそうなものなんですが、声をかけないところに現実っぽさを感じたんです。自分自身、なにも言わないけれど肩や背中を叩くだけでなにかを伝えようとする、という経験があります。こういった表現は攻めているなと思いますし、そういう空気感を作っている声優さんや、作り込まれた表情にもビックリしましたね。
潘めぐみ:たぶん、モーションキャプチャー担当の方が最初にお芝居をされて、英語の音声もある状態で私たちに届いているんです。だから、映像は仮ではありますが、おおむね出来上がった状態でお芝居させていただきました。すごく“間”を大切に作られているなという印象がありましたね。語らない美学というのがあって、想像の余地を残して、その感情を名付けず……。「きっとこう思っているんだろうな」「本当はこうしたいんだろうけど、あえてしないんだな」と思わせてくれるところにも、情緒を感じますね。
――キャラクターの描写という意味では、以前『FF16』クリエイティブディレクター&原作・脚本の前廣和豊さんが「自己肯定」をテーマにしていたと話していらっしゃいました。おふたりも感じるところはありましたか?
限界トルガル:そこが『FF16』で最も好きなところなんですよね。これは持論ですが、「自己肯定」とは自分を褒めることというよりも、なにかをしたときに「自分がやったことだ」と自分の中で処理することだと思っていて。『FF16』の登場人物はできないこと、失敗すること、チャレンジしたけどダメだったこと、いろいろあるんです。でも、そういったことを「自分がやったことだ」と認めていって、それでも生きていかなくちゃいけないということを、テーマとしてすごく感じました。あまりRPGでは描かれない側面というか、勧善懲悪でラスボスを倒して終わるために、どうしてもご都合主義みたいになることが多いと思うんですが、ただ気持ちよく終わるだけにしないという意味で、『FF16』は攻めているなと思ったんです。
現実においてどうにもならないときって、本当にどうにもならないんです。「こうなってくれたらいいけど、どうにもならなかったな」「でも仕方ないよな」ということの連続だと思うんですけど、そうした出来事をいろいろなキャラクターで感じました。それをすごく悲しいと同時に、すごく身近にも感じたんですよね。キャラクターが人としてそこにいるということを伝えたかったのかなと思いました。
潘めぐみ:そう言っていただけて、ありがたいです。きっと、捉え方も人それぞれでいいと思うんです。それも「肯定」ですよね。シドは「人が人らしく死ねる世界」を目指しましたが、遺志を継いだクライヴは「人が人らしく生きられる世界」と置き換えて受け取りましたから。
私事ではあるんですが、ちょうど収録中、自分の中でのテーマも「自己肯定」だったんです。仕事柄、どうしても周りの評価ばかりが気になってしまって、本当の自分を許す、受け止める、良いことも悪いことも認めてあげるというタイミングを逸してしまっていたんです。「はたして、自分とはなんなのだろう」「どうしてあげたらいいんだろう」と思い、「自己肯定」をテーマにしていたとき、ジルに出会いました。このお仕事をさせていただくなかで必要なときに出会う作品や役というものがあると思っていて。だから、きっとみなさんが『FF16』を手に取ったタイミングこそ、それぞれにとって『FF16』が必要になる、そんなタイミングに当たるんじゃないかと思っています。
『FF16』の最後のシーンがどうなったのかというのも、明確にはなっていないですよね。本当に人それぞれの解釈があって、人それぞれのエンディングを迎えて。そうしたエンディングの描き方も、「自分らしく生きていいんだよ」というメッセージだと思うんです。「あなたがそう思ったのなら、それが答えなんです」と。だから、エンディングも含めて「あなたはあなたらしく生きていい」と教えてもらえている気がしますし、みなさんにとっての「自己肯定」につながってくれたらいいなと思っています。
限界トルガル:プレイする時期やタイミングによって、受け取り方や感想が変わるゲームですよね。自分の最初の受け取り方も時期が関係していたはずですし、数年後にプレイし直したらまた違う見え方になっているかもしれない。数年ごとにプレイし直したいなと思える作品でした。
潘めぐみ:定期的に読み解きたいですよね。
限界トルガル:これから先またプレイしたときに、そのときの自分にはどう映るのか、そのときの自分はキャラクターに対してどう思うのか、すごく気になるゲームです。世代によっても見え方は違うと思いますから。
潘めぐみ:あとは、人がなんのために生きるのかがすごく現実的なゲームでもあるなと。誰かが世界を良くしよう、誰かを救おうと思ってした行動が、相手にとっては救いではなかったりもする。これってすごくリアルですよね。
限界トルガル:そうなんですよね。みんながみんな、自分たちが正しいと思って生きていて、そこに正義や悪はなくて。誰もが「こうしたらきっと良くなるはず」と思って動いているけど、うまく噛み合わない。そうしたリアルさもすごく好きなところです。
潘めぐみ:本当に隅々まで楽しんでいただいて、ありがとうございます。
――表現の部分については、限界トルガルさんは「昔のRPG」との比較もされていますよね。
限界トルガル:昔のRPGって、声がついていなかったり、ムービーがなかったりした分、プレイヤー側で補完していた部分があったと思うんです。一方で、テキストで読めていた部分が多くありました。いまの作品はグラフィックの進化によってテキストが削られることも増えて、キャラクターの表情などでより表現されるようになったなと。
たとえば、最初にマザークリスタルに乗り込んだとき、クライヴとシドのやり取りを見ているジルがちょっと笑って、シドから「どうした」と聞かれると、「なんでもない」と答えるんです。このシーンも、「あれってなんだったの?」と気になる人もいたと思うんですよね。クライヴがシドに向けて言った言葉に「あなたもそうでしょう?」と思って笑っているのかもしれないな、とは思うんですが、こういう含みのあるシーンが結構ありますよね。
「FF」シリーズだからこそのオマージュもありますし、いろいろな仕掛けがちりばめられていて、過去作をプレイした方にとってはノスタルジーもある。もちろん、音楽にもノスタルジーを感じるところが多くありました。
潘めぐみ:きっと、“リトル祖堅”さん(※)のおかげですよ! プレイ中の気持ちの高まりや静まりに合わせてくださる心地よさというのは、すごい技術だなと思います。それに、どこか情緒を感じますよね。
※…『FF16』に実装されている音楽が状況にあわせインタラクティブに変化していくシステムの通称。
限界トルガル:まさに。言語化が難しいんですが、情緒を感じるんです。どこにどう感じているのか、うまく伝えられないんですが……。
潘めぐみ:たぶん、すべてに情緒というものがあるんじゃないでしょうか。その場の風景や音だけじゃなくて、物語の進行度やタイミングも含めて感じるものというか。
限界トルガル:音楽って、盛れば盛るほど豪華になっていくものだと思うんですが、あえて引き算的な作り方をして、豪華にしすぎないような作り方もあるのかなと、素人ながら思うところもありました。
潘めぐみ:でも、聞いていると贅沢な気持ちにもなりますよね。「あの曲のアレンジだったんだ!」と思うこともあったりして、すごく巧みな作り方をされているなと思います。
シヴァの氷がイフリートの炎に溶かされていった感覚
――あらためて、『FF16』の伝えたかったメッセージとは、おふたりにはどのように映っていたのでしょうか。
限界トルガル:これは自分からも潘さんに聞きたいのですが、潘さんはジル役を演じることによる、内側からの目線も持っているわけじゃないですか。物語の感じ方について、プレイヤー目線のときと違いはあるんでしょうか?
潘めぐみ:どうでしょう……。ジルとして物語を歩む場合はまた視点が変わってくるかもしれません。ジル自身、置かれた環境のなかで背負うべき償いとともに生きてきたので、そこに折り合いをつけること、自分に“けじめ”をつけることを目的とした旅でもありました。だから、クライヴと再会できてうれしいけど、昔のままじゃいられないというところもあって。自分のしてきたことに対する償いをせずして、クライヴと共に生きていくことはできない。そんなクライヴ自身にも抱えているものがある。だからこそ、クライヴとは対等な立ち位置にいられたんじゃないかなと思います。
ジルはヒロイン然としつつも、どこか目線が対等でしたよね。ジルもクライヴも、一緒にいることによって互いに自分の償いを果たし、因果を断ち切った。クライヴ=イフリートの炎に、ジル=シヴァの氷が溶かされていく感覚があったんです。ジルも柔らかくなって、だんだんと声色も優しく温度感を持つようになっていった。だから、ふたりがイフリートとシヴァのドミナントだったことは、すごく意味のあることだったんじゃないかと思っています。
限界トルガル:ジルはそこまで感情をあらわにしないので、わりと「いま、内心ではクライヴに怒っているんじゃないか?」と感じることもあったんですよね。
潘めぐみ:「怒ることができない」のかなと思っています。『FF16』は自己肯定の物語という話もありましたが、自分を肯定したうえで、他者をもっと受け入れて、もっと尊重できるようになっていくということでもあると思うんです。だから、自己肯定の向こう側にある、受け入れることや尊重すること、他者を思いやるということを、ジルはクライヴと共にしてきているのかな、と感じました。
限界トルガル:お互いが負い目を感じつつも、なんとか乗り越えようとする。だから、ひとりだけでは無理だったんでしょうね。再び出会うことがなければ、ジルもクライヴも生きることを諦めていたんじゃないかなとも思うんです。
潘めぐみ:そう思います。
限界トルガル:これは聞いていいのかわからないんですが……青年期のときに、ジルがクライヴに「メティアにかけた願いがかなった」と言っていたと思います。その願いが何なのかは明かされていませんが、自分なりにこれは「生きたクライヴにもう一度会えますように」という願いだと解釈しました。
潘めぐみ:そこに私からなにか言うのもあれかなと思うので、「ありがとうございます」とだけお伝えして、個人的に受け止めておきます。でも、メティアの意味もみなさんいろいろと解釈してくださっていますよね。流れ星に対する願いは3つだけとか、それがかなったんじゃないかとか……。ポジティブなご意見もたくさんあって、そうやってみなさんの受け止め方によって広がっていった物語が、『FF16』なのかなと。
限界トルガル:答えは知りたいけど、知りたくないような気もする。そこがすごくおもしろいところですし、『FF16』の好きなところでもあるんですよね。
潘めぐみ:その物語を歩んできたからこそ、決定的な答えが欲しいという思いもありますよね。でも、それぞれが思うままに受け止めるのが、一番の自己肯定なのかもしません。
――『FF16』のテーマは、受け取る側のタイミングや年齢でもいろいろと解釈が変わると思います。最後に、この点に関しておふたりのお考えを教えてください。
限界トルガル:先ほどの話でも少し触れていましたが、経験してきたことや置かれている立場は、行動や感情に投影されると思うんです。すごく悲しいときに他者に怒りをぶつける人もいれば、悲しいときこそ他者に寄り添える人もいる。『FF16』に向き合ったとき、クライヴに怒りを覚えるのか、共感して一緒に落ち込むのか、それとも励まそうとするのか。
個人的に『FF16』では言葉にしない部分が多いと感じましたが、そう感じる人もいれば感じない人もいて、感じたとしてもそれが絶対の正解ではなくて、歩んできた人生を反映したその人なりの解釈なんだと思っています。
潘めぐみ:『FF16』はきっと、その人にとってやるべきときに出会えるゲームなんだと思います。もしいま『FF16』が手元にあるけどプレイしていないという人がいても、実際にゲームを始めてスタートボタンを押したら、それが“そのとき”になるというか……。そのときの年齢や状況、環境によって感じ方は違ってくると思うんですが、だからこそずっと楽しめる。経験として、体験として楽しんでもらえるゲームだと思っています。
協力:ファイナルファンタジーエオルゼアカフェ
https://www.pasela.co.jp/paselabo_shop/ff_eorzea/
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