ゲームと社会情勢は関係している? 『ゲームが教える世界の論点』著者・藤田直哉氏に聞く

ゲームと社会情勢は関係している?

過熱するポリコレを巡る議論。キーワードは「“楽園”に対する侵略」?

――近年では、ポリティカル・コレクトネスの話題も注目を集めやすいですよね。そのあたりに感じていることはありますか?

藤田:個人的には悪い流れではないと感じています。歴史的背景に目を向けるひとつのきっかけになるのではないかと。たとえば、『レッド・デッド・リデンプションII』にはネイティブアメリカンに対する“原暴力”の歴史が生々しく描かれています。主人公の属するギャングの集団は利権の獲得を目的に、彼らの居住区を好き放題に荒らしてしまう。これはフィクションではなく、歴史をベースにした創作です。ゲームにはそういう歴史の暗い部分を現代に呼び起こす役割もある。これまであまりエンタテインメントで描けなかったパターンを新しく生んでくれるわけだから、単純にこれまでと違う新しい作品に飢えている一人の人間として、歓迎です。

Rockstar Games公式YouTubeチャンネル「『レッド・デッド・リデンプション2』公式ゲームプレイ動画」より

 “マイノリティの反乱”的な性質を持つポリコレですが、現在に至るまでの歴史的背景をきちんと認識すれば、きっと反応が違ってくるはずです。全体を俯瞰し、相手の経験や心情を内側から理解することが、賛成か反対か以前に、双方に必要なのではないでしょうか。

――双方に被害者意識がある、という点では「珍しい動き」と言えるかもしれません。

藤田:そうですよね。現代は被害者意識が煽られやすい時代だと思います。一方は差別や迫害に由来する歴史的事実に基づいた被害者意識がある。もう一方は、そのような現実から切り離されていた“自分たちの楽園”を侵略されている被害者意識がある。利害が相反するふたつの意見がぶつかれば、必然的に騒動は大きくなりますよね。

――「“楽園”に対する侵略」ですか。

藤田:私はそう考えていますね。日本では1970年代で社会運動が一服し、80年代には一億総中流の考えに基づく高度消費社会が成立した。日本の歴史上、かつてない平和と豊かさの時代が訪れたわけです。その時代に形成されたのが、ゲーム文化であり、オタク文化だったんですよね。そうしたルーツがあるからこそ、両文化は現実社会のことを考えなくて済むような“楽園”として機能してきた歴史があります。その後、バブルが崩壊し、日本経済が不況となったタイミングで2つの文化が隆盛した事実からもそのことは明らかです。

 ここがゲーム文化、オタク文化における、問題点のひとつだと思うんですよ。社会から目をそらす装置だったからこそ、作品に現実を思い起こさせるようなキツい問題が入ってくると、それを楽園を汚す侵略と感じ、反発が生まれる。双方の歴史的背景というかな、文化的な感性がぶつかっているからこそ、ポリコレの問題は過剰な軋轢を生んでいるように思うんですよね。

 『レッド・デッド・リデンプションII』では最終的に、ギャングの無法が文明化により行き場を失い、主人公の属する派閥が追い詰められてしまいます。これはある種、オタク文化とか、初期のネットユーザーに対するメタファーでもありますよね。

――「楽園」「差別」「侵略」という視点に立つと、両者はおなじ性質のマイノリティだと考えられる。

藤田:はい。ギャングたちが開拓した無法の世界は、後から入植した文明化された人々に侵略され、ギャングの居場所はなくなる。しかし、ギャングたちも、ネイティヴアメリカンの楽園に侵略して奪っている。そういう重層性を描いているから凄いと思うんです。だから、ポリコレに反発する気持ちも、心情的にわからなくはないんです。ただその一方で、マイノリティたちの蒙ってきた差別なども共感的に理解せざるを得ない。そういう時代の対立の中で、ゲームが複雑で繊細なことをやって介入していることに、驚かされたのが、本書の執筆の大きなきっかけでありました。

誕生から50年。ゲームカルチャーは豊かな時代を迎えつつある

――『ゲームが教える世界の論点』のなかには、「ゲームが社会問題に対する予防接種的な役割を果たす面もある」とありました。最近では、ゲーム条例の施行や2次元の女性表現に対する反発など、ゲームカルチャーそのものへの風当たりが厳しい状況もあります。もしゲームに予防接種的な役割があるとするならば、ゲームにおける表現の自由は守られるべきであると考えていますか?

藤田:さまざまな面があるので一概にして回答するのは難しいですが、基本的には守られるべきであると考えています。ネガティブな面ばかりがクローズアップされがちですが、ポジティブな面もある以上、新しい文化、生活の変化として受け入れ、マイナスを減らすような方向に工夫するほうが建設的なのではないかと。実際、本書で論じているのも、そういう試みです。

 私には4歳になる子どもがいるのですが、1歳のころから当たり前のようにタブレットを操作し、自発的にYouTubeを観ています。最近では『Minecraft』にハマっていて、自分でゲーム実況を観て勉強し、私にノウハウを教えてくれるんですよね。

Minecraft公式YouTubeチャンネル「Minecraft Live 2022: Building a Better World with Minecraft Education」より

 このようにしてデジタルコンテンツに触れることが日常になると、脳の成長に悪影響がある、依存を助長するという見方もあります。けれども、そういった経験をしていく中から、新しい産業で活躍する才能が生まれていくのかもしれないとも思うわけです。ゲームなどをやらず電子端末を操作できない状態で社会に出て、今後60年近く働くという方が、むしろ結構なマイナスになるかもしれないとも予測されるわけです。

 それならば、定期的に離れる時間を設けるとか、良いゲームを作ってやらせるとか、折衷案を考えるほうが建設的に議論が進むと思います。「問題があるから禁止」という方向性は、文化的な成熟と言えないのではないでしょうか。

 一方で、2次元における女性表現についてはセンシティブな面があります。それらを否定する人たちには、性被害のトラウマがあるなどと言われますよね。その意見を全て一概に受け入れるべきだとは思いませんし、先ほどから言っているように「対話」と「共感」と「理解」が互いに必要なことだと思う。しかし、トラウマのフラッシュバックの苦しさというのは確かにあるのだろうと考えます。「表現の自由」は守るべきでしょうが、公共空間などで目に付かないようにするとか、ゾーニングなどの配慮はした方がいいかなと思います。「表現の自由」は、人類が進歩していくためにとても重要な概念であり、守られるべきものですが、それによって特定の人が健康的に生きられないならば、あり方のバランスを整備する余地があります。2次元のポルノ表現を糾弾してこの世から消そうとするのも、自分の気にくわない内容や思想だったからといって嫌がらせしたり炎上させて経済的打撃を与えるのも、どっちもあまり良い行動ではないですね。それこそポピュリズム時代の、他者なき行動かなと。

 ゲームにはプレイを通じて自分の外にある歴史や価値観に触れられるメリットがあり、それを柔軟に捉えていくことこそが大切なのだと、ここまで話してきました。けれども、そうした情報とフラットに向き合えない人も一定数いることも事実です。それならば、公共性の高い場所にはそういった表現を用いないといった住み分けが必要になる部分もあるでしょう。ほかのカルチャーに鑑みると、その区別がエンタメとアートの境界線という面もあると思います。万人が触れないような場で過激なことが展開されている例は、今でもあるんですよね。ネットに出なければ、小説なんかでも、相当ヤバいことが書けます。

――エンタメとアートという区別は、商業性・文化性の区別とも似ているような気がします。

藤田:現代はあらゆるカルチャーが過剰な商業主義にさらされていますよね。文化的であるかを度外視し、売上だけを中心に考えていく風潮がひろがっているように感じています。

 しかし、カルチャージャンルにおける商業性が、ただちに悪いとも言えない、複雑な部分もあります。なぜなら、商業的な評価を獲得しているがゆえの自由もあるわけですから。昔でいうとVシネマなどがわかりやすく、一定の興行成績が見込めるからこそ、政治的・社会的な問題を作品のなかに盛り込めたし、芸術的な実験もできた。そして、そこから立派な映画監督が育ってきた事実もあるわけです。つまり長い目で見れば、商業的であることがただちに文化性を窄める結果になるとは限らないんですね。

 ざっくり映画が誕生してから120年、ゲームが誕生してから50年とすると、ゲームカルチャーはようやく映画史でいうところのヌーベルバーグ周辺に差し掛かるころにあたる。商業性から脱却し、実験的な手法が試されはじめた時代です。大局的に見れば、商業至上主義に映るかもしれないけれども、アンチゲーム、ラディカルを標榜した作品も世に出るようになってきていますよね。たとえば、『UNDERTALE』の成功は良い例だと思います。最近では、インディペンデント系の開発会社によるヒット作品も増えてきました。予算のある大手だけが市場を形成している状況も変わりつつあります。

UNDERTALE公式YouTubeチャンネル「【公式】UNDERTALE 発売記念トレーラー (Nintendo Switch)」より

 このように対極にあるもの同士がお互いに影響し合いながら市場を形成していく現在の状態はとても豊かだと思いますよ。色々なタイプの作品があることが、豊穣さなわけですから。ここ10年のゲームは、かなり刺激的な文化状況になっていたと思う。私が『ゲームが教える世界の論点』で取り上げたタイトルたちの面白さは、そういう部分に宿っているような気がしています。

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