【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』の“炎上”から考える、ポリティカル・コレクトネスに向き合うということ

『ラスアス2』を巡る“ポリコレ”議論

 先日書いた「【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』に向けられた批判は妥当か? “不快さと誠実さ”併せ持つ問題作について考える」という記事では、先月発売され、今もなお議論が続くゲーム、『The Last of Us Part 2』について、ゲーム中の「ある仕掛け」を軸に本作が招いた賛否両論の背景についてまとめた。

 一方で、本作を巡っては、並行して別の議論も存在する。いわゆる「ポリコレ=ポリティカル・コレクトネス」についてだ。

エンターテイメントとポリティカル・コレクトネス

 そもそもポリティカル・コレクトネス(Political Correctness)とは、差別や偏見を取り除くため、公正・中立な言葉や表現を使用するという意味を指す。つまり、性別や人種、国籍、宗教、民族、あるいは容姿に職業、健康状態、etc……と様々な物事に対して公正であろうとすることを意味する。この考え方は、現代においてある種の前提となっている。何故なら、差別や偏見は良くないからである。

 ……当たり前の事だが、しかし今でもあらゆる場所で「ポリコレ」という言葉が聞こえてくる。それは現代でも差別や偏見はありとあらゆる場所や文化において存在しているということの裏返しだ。そして、それを是正しようとする動きに対する反発も大きい。また、過剰な是正によって、新たな差別や偏見を生み出すという場合もあり、議論は更に泥沼化していく。

 この議論の舞台となりやすいのが、不特定多数の人々が触れる映画や音楽、そしてビデオゲームなどのエンターテイメント文化である。例えば、これまで男性だった主人公枠の性別が最新作で女性に変わったり、ヘテロ・セクシュアル以外の恋愛描写が取り入れられたり、白人以外の人種がフィーチャーされたり、これまでの価値観に対する批判的なメッセージが込められたりする。当然、今までの作品に対して思い入れを寄せていた人々(特に、元の作品に感情移入していた人々)の反発を招き「この作品は過剰なポリティカル・コレクトネスへの意識に支配されている。そのせいで本来の作品の良さが失われてしまっているのではないか」という批判が寄せられることもある。

 そして『The Last of Us Part 2』もこの批判の対象となった。大手レビューサイトのmetacriticを筆頭に、あらゆるユーザレビューサイトに発売直後から大量の低評価レビューが投稿され、そのスコアを材料にして更に「The Last of Us Part 2は駄作」という意見が出回るようになり、それをまとめたバイラルメディアの記事やYouTube動画が更にSNSで拡散され……という、いわゆる炎上を招いている。本稿では、何故本作がポリティカル・コレクトネスの側面から批判を受けているのか、そして実際のゲームではどのように表現されているのかについてまとめていく。

※本記事は、『The Last of Us Part 2』の終盤を除く重要な要素、及び前作のエンディングについてのネタバレを多く含みます。本作を既にクリアしている人々、あるいは本作を巡る批判意見を目にして作品を手に取ることを止めた人々、あるいはゲームの途中でプレイを止めた人々に向けた文章となっておりますので、未プレイの方はご注意下さい。

 とはいえ、この側面について「男性の異性愛者」である筆者が書くこと自体、それが正しいことなのかどうか迷いがある。是非、当事者側が書いた感想を読んでみたいと思っているし、出来ればゲームメディア側にもそのような取り組みを進めてほしい。

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