懐かしいテクノロジー技術解説

90年代女子高生の必携ガジェット”ポケベル”の歴史 その栄華と衰退をたどる

・「ポケベル語」と「ベル打ち」あらわる

 ポケベルは当初アナログ方式(150MHz帯)を採用していたが、1978年に携帯電話に先駆けてデジタル化(250MHz帯、200bps)される。さらにNCC参入と前後して、通信速度が400bpsへと高速化され、12桁の文字を送信できるようになる。これはプッシュ回線からポケベルに電話をかけ、続けて数字を入力すると、送られた数字はポケベルの液晶に表示されるという仕組み。数字と一部の記号しか表示できないため、通常は連絡を返してほしい電話番号を表示するためのものだったが、やがてここに語呂合わせで意味を持たせることで、コミュニケーションを取り合うような文化が生まれた。

 たとえば「0840」であれば「0」(ゼロ)を「O」(オー)と読み替えて、「8」(ハチ)の「ハ」、「4」(ヨン)の「ヨ」、もう一度「0」で「オハヨー」になる。語呂合わせには「5」が「ゴ」と「フ」(ファイブのフ)を兼ねる、「10」(テン)がタ行全体を代用するなど、かなり頭を捻らないと文章にならないものもある。こうした語呂合わせ、通称「ポケベル語」は、限られた条件下でのコミュニケションという涙ぐましい努力の産物ではあるが、同時に親しい仲間同士でしか通じない暗号のような役割を果たし、仲間意識の醸成にも一役買ったのだろう。

 カナ文字を表示できる機種が登場すると、「あ」が「11」、「い」が「12」というように数字の組み合わせで文字に変換する、通称「ベル打ち」が登場する。電話番号のあとに「*2*2」を入力すると、ここからカナ文字という指定になるので、文字表に従って数字を入力する。最後に「## 」と入れて文面が完成する仕組みだ。文字数は当初12文字(NCC系は9〜14文字)、その後は50文字程度まで送れる機種も登場。後期には、定型文で漢字が送れるもの、最終的にはフリーワードで漢字を送れる、電子手帳一体型の製品(シャープ「ページングトーク」)も現れた。

 こうやって可読なテキストが送れるようになると、女子高生など若い世代の間でブレイクし、あちこちの公衆電話からメッセージを送り合う姿が見られるようになる。中には高校の公衆電話に休み時間毎に行列ができてしまうため、学校側が「*」や「#」のボタンを押せなくしたり、ポケベルを禁止にしたりする学校も多かった。

 ちなみに文字変換の組み合わせは50音+アルファベットと数字で100種類近くなるため、多くの人は紙の変換表を持ち歩いて入力していたが、見ながらの変換なのでかなり遅く、公衆電話からの入力で人が多く並ぶ羽目になったのはこういう事情からだった。このため、あらかじめ文面を入力しておき、プッシュトーンとして発信する「トーンダイヤラー」という機能を持った端末(前述の「ページングトーク」や、テレメッセージ系「ニコット」「コロンボ」など)も登場した。

 一方でヘビーユーザーになると、表をすべて暗記していて、目にも止まらぬ早打ちでメッセージを入力し、颯爽と去っていったという話もある。また、ベル打ちの数字だけで会話できる強者もいたとか、いないとか。

 また、このころは「ベル友」という言葉があった。これは文通のポケベル版のようなもので、お互いに顔や本名も知らないが、メッセージを送り合うポケベルだけの関係の友達、というもの。これはその後、携帯電話のメッセージで「メル友」となって続いていく。現代でいえばSNSの「相互フォロー」のような関係性に近いだろうか。

・90年代を席巻したポケベルの興隆と衰退

 こうして若年層を中心にポケベルは普及し、1993年には「ポケベルが鳴らなくて」というテレビドラマが放送され、同名の曲がヒットするなど、1990年代にはポケベルはすっかり社会に浸透していた。1995年、ポケベルの累積出荷台数は1000万台を突破したが、同年の東京テレメッセージ社の新規契約者数の約8割が高校生、その大半が女性と言われるほどで、「ポケベル」「プリクラ」「ルーズソックス」が女子高生三種の神器といわれたのだ。

 しかし、1995年にPHSがサービスを開始すると、1996年の1077万加入をピークに、1999年末には加入者数が約280万と、急激にユーザーを失っていく。これに伴い、経営が悪化したNCC系事業者らが1999年までに多数業務を廃止して会社を清算する。そして2007年にはドコモもサービスを終了することになる。東京テレメッセージおよびその継承会社は引き続きポケベル事業を続けていたが、2019年にサービスを終了し、日本のポケベルサービスはすべて終了した。

「PHS Japan 1997–2003 (Willcom, NTT DoCoMo, ASTEL)」Photo by Marus(Public Domain)

 一方通行の連絡、県単位のエリア、面倒な入力方式など、今の時代からすると不便極まりないポケベルだが、当時としては若者から社会人まで幅広く愛され、ある種の文化を築き上げた、画期的なコミュニケーションサービス・デバイスだった。興隆を極めたのは10年程度と短かったが、その煌めきは日本の通信文化史を語る上で欠かせない、大きな存在だったと言えるだろう。

参考:NTTドコモ「テクニカル・ジャーナル」Vol.3 No.2「無線呼出特集 1 お買い上げ制時代を迎えた無線呼出サービス -ポケットベルシステムの生い立ち-」

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