特集「プロゲーマーになる方法と、そのセカンドキャリアについて」(Vol.3)
FPSで日本のチームが世界一になるための“目的意識”ーーREJECTチーム運営部長・YamatoNと考える「プロゲーマーのセカンドキャリア」
YamatoN(ヤマトン)こと、林 祐人(はやし ゆうと)は、韓国発のFPS(ファースト・パーソン・シューター)ゲーム『CrossFire(クロスファイア)』をはじめとする数々のタイトルで、日本王者の座を総なめにする勢いで活躍した元・プロゲーマーだ。現在は、プロゲーミングチーム“REJECT(リジェクト)”のチーム運営部・部長 兼 ストリーマーとして活動している。
長きにわたる現役選手時代を経て、現在はストリーマー活動も継続しつつ、“eスポーツの産業化”という目標に向かって邁進するYamatoN。そうした足跡の原点を探ってみると、ある一貫性が浮かび上がってきた。
プロゲーマーやストリーマーを目指すうえでも、また、その先で望ましいセカンドキャリアを掴み取るうえでも、重要なのは自分自身の“目的意識”なのだ。
【特集】プロゲーマーになる方法と、そのセカンドキャリアについて
現役選手時代から培ってきたチームマネジメント能力
――まずは、YamatoNさんの現役時代を振り返っていきたいと思います。そもそもプロゲーマーを目指そうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
YamatoN:僕は『CrossFire』というタイトルで本格的にFPSをやり込むようになり、2009年ごろから“Liebe(リーベ)”というクランの一員として複数回にわたり国内王者を経験しました。
その後、2010年に設立されたクラン“Vault(ヴォルト)”に移籍してからは、『CrossFire』公式の世界大会に日本代表チームとして出場することもできました。その大会では国内史上初めて韓国代表チームに勝利することができたものの、残念ながら決勝では中国代表チームに負けてしまい準優勝に終わりました。
そこでの敗北から、いまのままの状態で努力し続けるだけでは世界王者になるのは難しく、中国チームのように、フルタイムで練習に打ち込める環境が必要だと感じたため、世界一になるための手段としてプロゲーマーになる道を選びました。
――2011年には“Vault”がゲーミングデバイスメーカー“ARTISAN(アーティサン)”とスポンサー契約を締結しプロチーム化。それに伴って、ベトナムでのブートキャンプを実施するといった活動も話題となりましたね。
YamatoN:ベトナム遠征については、僕が尊敬する元FPSプロプレイヤーであり、現在はプロeスポーツチーム“Jadeite(ジェダイト)”でヘッドコーチを務めるnoppo(ノッポ)さんの影響が大きいですね。
2006年に『Counter-Strike(カウンターストライク)』でスウェーデン遠征を行ったnoppoさんから、「ブートキャンプは技術向上のうえで大きな成果があった」と聞いていたんです。
やはり、日本よりもハイレベルな競技シーンが存在する国や地域で練習をすることは非常に大切です。実際に現地に身を置くことでしか得られない情報やフィードバックなどは、どれも掛け替えのないものでした。
――2012年以降は、『スペシャルフォース2』や『Alliance of Valiant Arms(アライアンス オブ ヴァリアント アームズ』(以下、AVA)といったFPSタイトルでも活躍されていました。
YamatoN:そうですね。『スペシャルフォース2』は、2度ほど国内大会で優勝しています。その後、2014年に友人たちと『AVA』をプレイしていたところ、“Galactic(ギャラクティック)”というクランからスカウトを受けました。
その“Galactic”のメンバーとして公式の国内大会で優勝し、のちに“DETONATOR(デトネーター)”(当時はDeToNator表記)に移籍してからも、『AVA』の国内大会で優勝を経験させてもらいました。
――さらに2016年には、“DETONATOR”の『Overwatch(オーバーウォッチ)』部門の立ち上げメンバーとして名を連ねることになります。
YamatoN:『Overwatch』に関しては、ゲームがリリースされるという情報が出た段階から、「世界中のFPSプレイヤーがこのタイトルに集結することになるだろう」と、その注目度の大きさを感じていました。
間違いなくFPS競技シーンのひとつのターニングポイントになるタイトルだと思ったので、当時“DETONATOR”に所属していた自分は、『Overwatch』部門を設立するために、必要な人材を考えたり、実際にスカウティングをしたりという部分にも積極的に関わっていたんです。
――2016年当時から、すでにチームマネジメント的な業務にも携わられていたのですね。当時はどのような方針でチームを組織していったのでしょうか?
YamatoN:じつのところ、自分主導でチームを組織するという経験は、『Cross Fire』や『スペシャルフォース2』時代にも何度かあったんです。
『Overwatch』のときは、高い実力を持ち合わせていることは大前提として、話題性も重視しながら選手をスカウティングしていきました。FPSならタイトル問わず知名度があって、かつ上手なプレイヤーを軸にしたい、と思ったんです。
――その後、『Overwatch』部門のメンバーとして国内王者に輝き、世界大会にも出場。約10カ月間の活動の末、YamatoNさんを初めとする第1期メンバーは選手活動を終えられました。
YamatoN:どのようなタイトルであっても、チームの立ち上げメンバーというのはだいたい1年程度で、ひとつのピークを迎えるものだと考えています。
『Overwatch』部門に関しても、第1期メンバーはだいたい1年程度で入れ換えのタイミングを迎えるだろう、と初めから想定していました。だからこそ、その後の活動に幅を持たせられるようにと考えて、競技シーンと広報活動の両面に注力していた部分もあります。
そんな活動を続けていくなかで世間からの注目も大きくなり、やがて朝から夕方までイベントに出演してからそのまま国内大会に出場する、なんてことも増えてきました。結果として、出場する試合には勝てていたのですが、選手への負担も考えて、本格的に選手活動と広報活動を切り分けていく方向にシフトしていったんです。
事前に準備していたぶん、そのあたりの移行はスムーズに行えましたし、部門の黎明期に積極的な広報活動を行ったことで、その後も良い選手が加入してくれる好循環が作れたと思っています。