buzzG×柴那典が語り合う「歌詞表現が美しいボーカロイド楽曲」

buzzG×柴那典が語るボカロの歌詞表現

 4月24日・25日の2日間、ボーカロイド文化の祭典『The VOCALOID Collection~2021 Spring~』が開催される。昨年12月に産声を上げ、“ボカロ”というカルチャーが大きく花開いたプラットフォーム=ニコニコ動画をはじめ、ネット会場/リアル会場を問わず、すべてのクリエイターとユーザー&リスナーを巻き込んで大きく盛り上がった「ボカコレ」。その第二弾となる「2021 Spring」の開催を前に、2009年よりバンドサウンドを基調にした数々の名曲を送り出してきたbuzzGと、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』の著者で、シーンを深く分析してきた音楽ジャーナリスト・柴 那典氏による特別対談をお送りする。

 二人には「歌詞表現が美しいボーカロイド楽曲」をテーマに、それぞれプレイリストを作成してもらった。ボーカロイド楽曲ならではの尖った表現がなされた楽曲から、クリエイターの思いがより直接的に反映された名曲まで、「歌詞」を起点にボーカロイドカルチャーの歴史を振り返っていくーー。(編集部)

●buzzGのプレイリスト

におP「帰り道」(2010年)
古川本舗「月光食堂」(2010年)
buzzG「Fairytale,」(2012年)
みきとP「夏の半券」(2014年)
KEI「デラシネ / KEI feat.小春六花」(2021年)
てにをは「キュリオ・シティ」(2021年)

●柴 那典のプレイリスト

baker「celluloid」(2008年)
iroha(sasaki)「炉心融解」(2009年)
古川本舗「Alice」(2009年)
buzzG「GALLOWS BELL」(2010年)
じん「チルドレンレコード」(2013年)
n-buna「ウミユリ海底譚」(2014年)
てにをは「ヴィラン」(2020年)

『The VOCALOID Collection』特集はこちら

ボカロP文化の文脈を背負った「celluloid」


――今回はbuzzGさんからいただいた「歌詞表現が美しいボーカロイド楽曲」というテーマで、お二人に語り合ってもらいたいと思います。

buzzG:最近、Clubhouseで作詞について語る機会があり、それぞれのクリエイターの美学が特に出る部分として、面白いなと思っていました。僕らの世代だと、例えばバンドがうまくいかなくて、ボカロに思いを託して……という、言い方は悪いですが敗者だからこそ書ける歌詞、“敗者復活戦”のようなマインドもあったりして。僕も作詞に関して自分自身にブレイクスルーを起こしたいと考えていて、今回は柴さんの胸をお借りしつつ、作詞についてお話できればと。

柴:とても幅広い楽曲が範囲に含まれるテーマですが、お互いのリストを見ると、重なっているクリエイターが多いのが面白いですね。「ボカロと歌詞表現」というところで考えると、さかのぼって段階的に見る必要があるのですが、初音ミクがニコニコ動画を中心にブレイクを果たした2007年ごろは、「キャラクターソング」が主流でした。『アイドルマスター』のような隣接したカルチャーがあったこともあり、歌詞もあくまで“キャラクターに歌わせる”ものが多かったんです。もちろんこの時期にも素晴らしい楽曲は多いのですが、「歌詞表現」という面でいうと、やはり王道のラブソングとして聴くことができた「メルト」(supercell)がターニングポイントになったと思います。今回はあえてそこを外したところで、ひとつのきっかけになったと思うbakerさんの「celluloid」から取り上げてみました。

buzzG:僕も大好きな楽曲です。希望と失望が入り混じった歌詞で、初音ミクというキャラクターではなく、クリエイターの思想やマインドが直接的に反映されている感じがしますね。それがもう、2008年に登場しているというのがスゴいなと思います。

柴:そうですよね。当初から「○○P」ではなく「baker」というクリエイターネームで活動されていたこともあり、「初音ミクがいるから歌詞を書いた」というより、シンガーソングライター的に、まず伝えたいことがあって、たまたまボーカロイドでそれを奏でている、という印象があります。もちろん、最初期からそういう楽曲を作っている方は他にもいたと思うのですが、「celluloid」が広く聴かれたことで、「こういう表現も受け入れられるんだ」と周知されるきっかけになった気がして。歌詞では喪失感が叙情的に描かれていますね。

buzzG:「celluloid」はボカロP文化の文脈を背負った楽曲だと思うんです。冒頭にも言った通り、当時は“敗者復活戦”的に楽曲を作るクリエイターも多かったなかで、「ただ綺麗なだけじゃない美しさ」を感じる楽曲だと思います。それまでアイドル的な立ち位置だったボーカロイドという存在が、自己表現、自己投影の対象になっているのが面白くて、バンドではそういった作り方をしていたので、自分もボカロでそういうふうに表現したいと思ったんです。

柴:buzzGさんは“2009年組”ですが、この頃になると、初音ミクをキャラクターとして面白がるクリエイターだけでなく、バンドマンが曲を作り始めていますね。お互いに楽曲を挙げているところだと、古川本舗(古川P)さんの存在は大きかったと思います。その後の音楽シーンという観点からすると、米津玄師=ハチさん、wowaka(ヒトリエ)さんの名前が挙がることが多いと思いますが、古川さんも最重要人物の一人ではないかと。

buzzG:僕もめちゃくちゃ影響を受けていると思います。歌詞が文学的で、そんな作詞をする人は少なくとも僕の周りにはそれまでいなかった。古川さんにしかできない、という独特のブランディングを感じていて、ボーカロイドを使ってできることの幅を大きく広げてくれたと思います。

柴:あるボカロPにインタビューをしたときに、「古川さんはボーカロイドシーンに“センス”を持ち込んだ」と言っていたのが印象的でした。惜しいのは、ボカロP時代の音源が消えてしまっていること。「Alice」も「月光食堂」も本当に美しい曲だし、古川本舗としてのアルバム収録バージョンでも聴いてもらいたいですね。またこの2曲以外だと、「恋する惑星」に〈哀れ、僕は消える!〉という歌詞があり、感嘆符を使っていることに驚いたことを覚えています。ボカロ曲に限った話ではなく、歌詞の表現として新しいと思いました。

buzzG:感嘆符があることで緊張感が生まれていますよね。

柴:buzzGさんに挙げていただいた「月光食堂」も、描写が綺麗ですよね。〈右手にスープ、左に星の屑〉――と、視点の置き方が一人称というより三人称的なのも、古川さんの歌詞の特徴だと思います。

buzzG:視点が高い感じですよね。

圧倒的な語彙力を持つ「ヴィラン」のてにをは

――近年の活躍がめざましいクリエイターでは、お二人ともてにをはさんの楽曲を挙げています。

柴:僕はてにをはさんの登場時(※ボカロ楽曲の初投稿は2010年9月)からずっと追いかけていたわけではないのですが、昨年もっとも聴かれた楽曲のひとつである「ヴィラン」に衝撃を受けました。マイノリティの視点から世の中との“ズレ”を描くという、とてもボーカロイド楽曲らしい歌詞なのですが、いまの時代だったらここまで踏み込めるのかと。しかもその葛藤に、みんなが心を重ねられる書き方がされている気がしました。

buzzG:実際、テーマになっているのはセクシャルマイノリティですが、自分がそうでなくても、テーマを通しての世間や周りになんとなく感じていたズレに気付かされるという意味で共感できますよね。そのことを物語の悪役を意味する「ヴィラン」の一言で例えているのがてにをはさんらしいなと思いました。てにをはさんは小説家でもあって、語彙力がひとつ抜けていますね。


柴:今回のリストを選ぶときに、自分の中で絞り込もうと考えて、キャラクターソングではなく、物語音楽でもなく、ストレートなラブソングでもなくて……と、あえて消去法で考えていったんです。もちろん、悪ノPさんに象徴されるように、ある種ファンタジーの世界を設定して、登場人物がそれを歌うミュージカルのような楽曲も、HoneyWorksさんが得意とされているような恋愛青春群像劇も、ボカロカルチャーの大切な要素ですが、「歌詞表現が美しい」というテーマにぴったり来なかった。そうして選んでいったときに、結果としてボカロシーンが持っているある種の鋭角性というか、それこそ「世の中とのズレ」を表現したロックな楽曲が多くなったのが面白かったですね。

――buzzGさんは最新楽曲の「キュリオ・シティ」をピックアップしています。

buzzG:本当に最近リリースされたばかりで、「初音ミク」×「ドン・キホーテ」コラボのテーマ曲になっているのですが、おそらくドン・キホーテのことを「キュリオ・シティ」と表現しているのが非常に面白いなと感じました。

柴:面白いですね。「珍品街=キュリオ・シティ」が、2番では「好奇心=キュリオシティ」になっている。この仕掛けは、耳で聴いただけでは気づけない。ドン・キホーテといえばどうしてもあのテーマ曲が思い浮かびますし、どうやったらこういう距離の取り方ができるのかと。

buzzG:読み方は同じだけれど文字が違うというのはルビが振られる前提で作詞されていて、リリックビデオを意識している部分も感じますし、〈鮮明にほころぶ花房は最新の色彩を取り入れる〉という歌い出しからカッコよくてどういったテーマなのか歌い出しで何となく掴めてしまうくらいのキャッチーさがある楽曲です。

柴:確かに、リリックビデオの存在は大きいですね。視覚的に伝えるなら難しい言葉も使えて、シンプルなメッセージを込み入った表現で伝えることができる。須田景凪さんなども使っている言葉はとても難しくて、「シャルル」をパッと聴いて何のことを歌っているか理解できる人は少ないでしょう。あえて対照的なものを挙げるならば、いきものがかりの「ありがとう」は、聴けば誰もがストレートにメッセージを受け取ることができる素晴らしい楽曲ですが、それとはまた違う魅力があるというか。

buzzG:リズムのハマりとか、メロディの心地よさがあって、ある意味では記号的な歌詞とも言えるかもしれませんね。

世の中の閉塞感を敏感に察知してきたクリエイターたち

――柴さんがbuzzGさんの「GALLOWS BELL」を挙げたのは、どんな理由からでしょうか。

柴:僕がボカロシーンの盛り上がりをきちんと認識したのは2010年で、fhánaの佐藤純一さんに「THE VOC@LOiD M@STER」(ボーマス。ボーカロイド作品を対象とした同人即売会)に行ってみなよ、と言ってもらったことでした。そこでブースを回るなかで、出会ったのが「GALLOWS BELL」だったんです。音楽ライターとしてロックバンドのシーンにある種の閉塞感を覚えていたなかで、この楽曲から、ロックの衝動的な表現があると感じました。

buzzG:「GALLOWS BELL」を書いたとき、世の中で痛ましい事件が起きていて、SNSなどで極刑を望む声をたくさん目にしました。それに伴って死刑存廃論の本や記事などを読むようになって自分なりの意見を持つようになりました。それが歌詞に反映されています。

柴:なるほど、確かに生死の問題がモチーフになっていますね。

buzzG:殺人事件に美しい物語をつけたら、聴く人は何を感じるだろうか……という、実験的な歌詞でもあります。

柴:特にゼロ年代末くらいのJ-POPシーンには、このように死をモチーフにした楽曲は本当になかったと思うんです。当時は着うたカルチャーが全盛で、「会いたい、会えない」というような切ないラブソングが取り沙汰されることが多かった。東日本大震災以降はまたムードが変わりますが、リーマンショックもあり、経済的に不況が続いていたこともあってか、特に若い世代に行き詰まり感があって、その空気を敏感に察知していたのがボカロシーンのクリエイターだった気がします。


buzzG:ある意味、メジャーシーンに対するアンチテーゼのような雰囲気はありましたね。ハチさんの「結ンデ開イテ羅刹ト骸」も死のにおいがするし、柴さんのリストにある「炉心融解」や「Alice」もそうですが、社会の閉塞感のなかで、死にある種の解放を求めるような想像力が、ボカロシーンに見られた感じがします。カンザキイオリさんの「命に嫌われている。」もそうかもしれませんが、ボカロシーンにはやはり、人々が感じている生きづらさを表現して、そこに共感して集まる、という部分があるというか。

柴:そうですね。これはネットカルチャー全般に通じることかもしれませんが、基本的に家にいて、夜起きているが飲みには行かない、というような人が作るカルチャーだというか。全員が全員、リアルタイムで生きづらさを抱えているということではないけれど、どこかしら心当たりがある。

――buzzGさんがご自身の楽曲から「Fairytale」を選んだのはなぜでしょうか?

buzzG:手前味噌ですがせっかくなので一曲入れさせていただきました。この曲は何百年に一度という金環日食をモチーフにしていて、月と太陽が完全に重なり、金色の美しい輪を見ることができるその一瞬を、「数百年後にまた会おうね」という当てのない約束をする男女に見立てて書いたんです。誰かに対する感情というのは親愛や恋愛感情以外にも様々なグラデーションパターンを持っていて、季節が過ぎゆく中で今大切にしたい人はいるけれども忘れられない人や特別な位置づけの人もいて、もう二度とは会えないかもしれない、けれども果たせるかわからない約束をしよう、という曲なんです。自分のなかでは、歌詞としてそれが美しく表現できたなと。

柴:素晴らしいですね。このロマンティックな歌詞は、自分で歌うというより、ボーカロイドが歌うという前提で成立しているのかなと思いました。

buzzG:そうですね、自分で歌うなら、こんなにまどろっこしい書き方はせず、もっとストレートな表現にするかもしれないですね。おっしゃるように、ボカロだからこそできた表現もあるのかなと。

――さて、柴さんのリストで目立つのが、じんさんの「チルドレンレコード」です。柴さんがあえて対象外にした、物語音楽/キャラクターソングの側面も持っている曲でもありますね。

柴:そうですね。カゲロウプロジェクトの一連の作品は確かに物語音楽的な楽曲なのですが、それがこの「チルドレンレコード」に至って、非常にシンガーソングライター的な表現が出てきたと思っていて。

buzzG:確かに、普遍的なものが描かれていますね。


柴:そうなんです。「カゲロウデイズ」から多くの楽曲が連なり、ミュージックビデオから小説、映画に至るまで広くメディアミックス的な展開があり、それがじんさんの才能、新しさと捉えられましたし、実際に巧みだったと思うのですが、それまでの作品を伏線として、ここで“刺しにきた”という感じがしたというか。カゲプロを追いかけてきたリスナーは当然、出だしからメカクシ団のキャラクターたちを思い浮かべるわけですが、メッセージは〈少年少女、前を向け〉というストレートなもので、10代の子たちが奮い立つような熱さがある。そこに至るまでの組み立てが本当にすごいなと思いました。じんさんは物語音楽の作家でもあるのだけれど、彼のルーツにはTHE BACK HORNやASIAN KUNG-FU GENERATIONがあったりして、「異世界を作って、そこでキャラクターを遊ばせる」というより、その仕掛けを通して自分の熱い思いを伝えることを志向しているように思えるというか。その象徴的な楽曲として、「チルドレンレコード」を選ばせてもらいました。

 buzzGさんが選んだ、みきとPさんの「夏の半券」は、ロマンチックで美しい楽曲ですね。僕があえてオミットしてしまったラブソングのなかで、非常に高い作家性を発揮している方だと思います。

buzzG:「夏の半券」は単純に好きな楽曲でもあるのですが、歌詞表現という意味では、ものすごく情景が浮かぶ作品だと思っていて。〈いつもと違う午前3時汗ばむ部屋着を取り替えて もうダメだって声を枯らす蝉時雨〉というのもまさに夏らしい刹那的な情景が浮かびますし、〈君の真似をして朝食は多めにとろう〉なんて、とてもかわいくて同時に「わかる!」とも思える発想ですよね。それを歌詞に取り入れているのが素敵だなと。純粋なラブソングだけでなく、「サリシノハラ」だったり、「いーあるふぁんくらぶ」だったり、「ロキ」だったり、本当にいろんな歌詞が書ける人だと思います。

柴:「サリシノハラ」のようなアナグラムもそうですし、赤い糸とカイトを重ねた「アカイト」だったり、言葉の仕掛けも面白いですね。その上で、人が歌いたくなる言葉が綴られていて、実際に歌い手さんのヒット動画も多いのも特徴的だと思います。

buzzG:また、「夏の半券」と同様に情景が浮かんでくるのが、におPの「帰り道」です。夕方の美しい情景が浮かびます。しかし胸を締め付けられるようなメロディーに乗っているのは、本当に寂しく、前向きな要素の少ない歌詞で。「celluloid」と同じ文脈だと思うのですが、寂しさの中にもどこかあたたかさを感じる曲です。ムーブメントの真っ最中でBPMの速い楽曲が特に流行っていた時代にこういうゆったりとしたバラードが評価されたのはホッとしたと同時にボカロ文化の懐の深さも感じましたね。

柴:速い楽曲が受けるようなムードが出てきていた時期で、「帰り道」は異彩を放っていましたね。

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