『未来のミライ』に見る、非アニメーションの才能を活かした多様なセンスの混在
真っ青な青空に大きな入道雲、その前面に斜めに画面を横切る構図で、中学生の女の子と4歳の男の子が手を取り合っている。女の子と男の子は影のない平面的な人物画でダイナミックな動きを切り取られている。
細田守監督の最新作『未来のミライ』のメインビジュアルには、細田作品のエッセンスが凝縮されている。入道雲は、細田作品の代名詞と言って良いほどに頻繁に出てくるが、これを細田監督は変化や成長のメタファーとしてよく用いる。リアルな雲と影のない人物画の組み合わせもまた細田監督らしい。実際、細田守の映画作品のメインビジュアルは全てこの組み合わせだ。
細田守作品の持つ絵の魅力は日本画の伝統に即しつつも独特の色合いを持っている。この原稿ではそんな細田作品の絵の魅力に迫ってみることにする。
アニメーションは絵画の歴史の一部
細田守は、東京国立博物館研究員の松嶋雅人との対談で「アニメーション映画は映画の中の一分野じゃなくて、絵画の歴史の一分野だと思っている」(美術出版社刊『細田守 ミライをひらく創作のひみつ』P69)と語っている。
細田守の作品のテーマや個性を物語から読み解こうとする議論は多々あるが、絵画の一分野であると語るからには、細田作品の絵そのものには、物語以上に作家性が反映されると言ってもいいかもしれない。
細田作品の特徴として真っ先に挙げられるのが「影なし作画」だ。通常、人物の立体感を表現するために、色の塗り分けによって陰影をつけるが、細田作品の人物画は特別なシーンでない限り、影が描かれない。
これは、作業の効率化の意味合いもあろうが、立体感は動きによって表現すべしとする細田監督の考えに基づいている。先述した対談相手の松嶋雅人は、こうした細田作品の陰影のないフラットな人物描写を日本画の伝統に延長線上にあるものだと指摘している。影なし作画は、細田監督の出身である東映動画がかつて多用していたスタイルだが、その影響もあるのだろう。
浮世絵などの日本絵画は、顔に陰影がないのが特徴だが、影のない平面的なキャラクターは、一層記号的な存在となる。記号的な分、動きや型を追求したのが日本画であったなら、動きを追求するアニメーションとは相性が良いかもしれない。細田監督は、東映退社後にこの影のない作画の特徴に自覚的になったそうだが、人物が平面的であるからこそ、アニメーション本来の魅力の源泉である動きの芝居には手を抜けない。ここから細田作品のダイナミズムが生まれているのだ。
この他にも細田映画には、日本画の伝統に即した描写が用いる。例えば人物が異世界に突入する際に、輪郭線が朱色に変転するのだが、これは仏教絵画と同じアプローチだ。
さらに細田作品の絵コンテにも日本画的特徴が見いだせる。彼は絵コンテの達人で、特徴的なレイアウトと、印象的な同一ポジションの使用が特徴的だが、これは異時同図法と呼ばれる絵巻物でよく使われる手法と同じものだと松嶋は指摘している。この手法も効率化という点で歓迎されるものだと思われるが、日本アニメの制約と絵画の歴史の一部にアニメを置く監督自身の考えが反映されてもいるのだろう。
『未来のミライ』では、主人公のくんちゃんの家周辺を上空から捉えたショットが頻繁に登場する。昨今、実写映画で主流のドローン撮影のような印象を与えるこれらのショットは同じポジションから、現在、過去、未来の時間経過を端的に表すために用いられている。
細田守は日本的な美意識に極めて敏感な作家だ。日本アニメは細田のみならず、伝統的に日本絵画の影響下にあると思われる特徴を備えているが、細田守は最も自覚的にそれを取り込み、自身の作家性としていると言えるだろう。