さやわかのゲーム放談
さやわかのゲーム放談 第2回:『ファークライ5』が描く、現実に重なる狂気と悪夢
ドナルド・トランプ大統領、控えめに言ってヤバいですよね。メキシコとの国境に壁を作るとか、それが有効かどうか以前に、そんなアホみたいなこと言い出すのって、やっぱ正気を疑うじゃないですか。平然と他国をディスってるわけだし。だいたい、そんなデカい壁とか作りたがるのって古代史に出てくる奴でしょ? 文明人の言うことじゃない感がある。
しかし、そういう人を支持して大統領にしちゃうんだから、アメリカ全体がどうかしているとも言える。いや、もっと言えば、そういう人がアメリカの大統領になっちゃうような、今の世界ってのがヤバい。
『ファークライ5』は、そういう今のヤバみがあふれ出してくるようなゲーム。なので、今作はシリーズ最高の売り上げになりそうだけど、もっと多くの人に遊んでほしい。ちょいちょいバグがあるのは残念だが、今さらこういうオープンワールドの海外ゲームに細かく目くじら立ててもアレなんで、そこは積極的に大人な態度で歩んでいきたい。
狂ったジョークが面白い
だいたい、出てくる人間がみんな狂ってる。主人公の敵となるのはアメリカはモンタナ州の小さな街を占拠したカルト宗教。教義を否定する者をバンバン殺したり、信者をクスリ漬けにしたり、動物や人間を洗脳して殺人マシーンを作ったりと、頭のイカれたことをやりまくってる。まあカルトって、そういうもんだしね。そのくらい、やるよね。
ちなみにこの宗教は、70年代に集団自殺を図り900人以上の死者を出した「人民寺院」を筆頭に、アメリカに実在したいろんなカルトをミックスさせたような団体。教祖の演説がSNS批判だったり、賛美歌がいわゆるクリスチャン・ロック調のポップな曲になっていたりというのも、いかにも今のアメリカの新宗教やカルトにありそうで笑える。
つまりこれは、キリスト教のパロディである米国産カルト宗教の、さらにパロディを描いている。そういえばカルトの幹部たちの名前もジョセフ、ジェイコブ、ジョンなどユダヤ系だし、ゲームのキービジュアルは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の構図でカルト信者たちが居並ぶ、強烈なものだ。面白すぎる。
そういうブラックな笑いのあるゲームなもんだから、アメリカの一部ユーザーは発売前に、侮蔑的な内容を改めよとか署名活動をするほど激怒していた。まあ、発売元のユービーアイソフトはフランスの会社だし、作ってるのはカナダにあるスタジオなんで、自国をバカにされたと思ったのかもしれない。敬虔なクリスチャンみたく保守的な人なら、よけいに。
まあ、ブラックな「笑い」なんだから、バカにしてると言っても間違いではない(言い切った)。しかし、これは単に、かの国をバカにしてるだけのゲームなのだろうか。
『ファークライ』というシリーズは、前作や前々作でも、理性が失われて暴力の支配する土地で主人公が活躍するうち、次第にその狂気に取り憑かれていくという物語を描いていた。今作もまた同じパターンだってことではある。
正義のために戦えないプレイヤー
ただ少しだけ、しかし確実に違うところがある。というのも、前作までの主人公は、あくまでも悪がはびこる地を解放する、ヒーロー然とした行動を取ることができたのだ。ミッションを依頼してくる人たちは困っていて、主人公は彼らを助けるという正義のために戦った。
ところが実は、今作だと、カルト教団だけでなく、街の住人も変な奴ばかりなのである。カナダ人が嫌いで国境に巨大な氷の壁を築くべきだと主張するオヤジとか(しかも彼が依頼してくるミッション名は「モンタナを再び偉大に」だ)、政府が飼料に毒を入れて俺たちをマインドコントロールしてるから家畜を皆殺しにしようぜと誘ってくる男とか、脳がスカーッと開放的な人ばっかりである。
前作までも、ブラックジョークじみた部分はあったけど、さっきも書いたように基本は正義を目指す物語だった。しかし今作は、狂気的なユーモアが明らかに前面へ出ている。先ほど、このゲームに出てくる人間がみんな狂ってると書いたのは、実はそういう意味だ。
しかし、常軌を逸した連中の依頼をこなすとなると、プレイヤーは動物をクルマで轢き殺せと言われればそうしなきゃいけないし、電波塔に地球外生命体の仕掛けた盗聴器があると言われればアンテナを破壊しに行かねばならない。つまり、前作までと違って、プレイヤーがやってるのは必ずしも英雄的な行いではないってこと。
しかもですよ、敵であるカルト教団は一応、世界を崩壊の危機から救おうという活動をしている人たちなのです。どれだけ凶悪でも、奴らは善意なのである。困ったもんだけど、まあカルトって、わりとそんなもんかもしれないですよね。しかし、そうなるともう、主人公が善でカルトが悪っていうことも、できなくなってくる。