さやわかのゲーム放談
さやわかのゲーム放談 第1回:『メタルギア サヴァイブ』に思う、「死にゲー」を享受する条件
ゲームにおける「餓死」の説得力
で、ようやく本題なわけだが『メタルギア サヴァイブ』の話である。『メタルギアソリッド』のスピンオフ的な位置づけの本作。まあこのシリーズは最近いろいろゴタゴタが発生しているのだが、ゲームは面白ければ勝ちなので、そんなのはどうでもいい。大事なのは、このゲームが面白いかどうかだけだ。
しかし、そうは言っても私だってこのタイトルが最初に発表された時は思いましたよ、さすがに『メタルギア』でゾンビものはないだろ。何を考えているんだコナミ。正気か。
でもまあ一方で、ゾンビというのはひとつの面白ジャンルであり、何でもとりあえずゾンビ化しちゃいたくなるというサブカルチャーの習俗がこの世にあると聞く。どんな食べ物でもマヨネーズかけるようなものですかね。そういうもんだと思えば、まあ結構じゃないですか『メタルギア サヴァイブ』。そういう気持ちで、積極的に味わってゆきたい。
というわけでプレイしてみる。と、これがけっこう面白いのだ。しつこいけど、いろいろゴタゴタがあったアレとは思えない面白さ。そして、である。このゲームが、じつは、死にゲーなわけです。僕はそこそこ難易度の高いゲームが好きなんだけど、これは序盤、おおっと思うくらい歯ごたえがあった。
サヴァイブっていうくらいだから生き延びなきゃいけないんだけど、まずこのゲーム、『メタルギア』のくせに戦争よりもとにかく食糧難が深刻なのである。餓死する。やっかいなことに飢えと乾きは別パラメータになっていて、水もかなりマメに飲まないとスタミナ切れになってすぐ死ねる。
さらに、オープンワールドっぽい世界なのに、景色を楽しむどころかフィールドの大半は酸素マスク必須な視界の効かないエリアで、そこも長くとどまると、酸欠で死ぬ。食料、水、酸素が常に限られた中で生きねばならないわけで、もはや宇宙かよ。リドリー・スコット監督の映画『オデッセイ』みたいな感じです。
『風来のシレン』みたいに、放っておくと餓死するゲームってたまにあることはあるけど、たいていはメニューやマップを開いたりしてるときは時間経過が停止する。つまりメニューを開いていれば腹は減らない。ところがこのゲームは、設定変更などをする純然たるポーズメニュー以外は、アイテムの使用だのマップ画面だの部隊の編成だの、ほとんどあらゆるところで時間が経過し、腹も減っていく。わたくしめなどは最初のプレイ時、それを知らずにコントローラーをそのへんに投げ出して、原稿の締め切りが遅れてすみませんというメール返信をしていたら、画面の中でいきなり自分が餓死した。何この過酷な人生。
スペランカーより、マリオの方が不自然
そもそもコナミは過酷な状況でサヴァイブさせることには長けているのだ。1999年からゲームボーイやニンテンドーDS用ソフトとして発売されていたシリーズ『サバイバルキッズ』というのがあるのだ。あれもマジで過酷だった。無人島に流れ着いた僕は、毎日、生きていくために魚を取るので精一杯だった。つまりこのゲームは単に『メタルギア』とゾンビを融合しただけではない。『サバイバルキッズ』も合体しているのだ!
それはともかくとしよう。しかし序盤は特に難しかったものの、嫌な感じはあまりなかった。当たり前のことだがメシ食わなきゃ死ぬ、というのは理にかなっているのだ。むしろコントローラーをほっぽり出して、画面の中にいる人物を放置できると考える方が間違っているのだ。どんなに死ぬゲームでも、死ぬ理由があれば、納得しやすい。
死にまくりゲームとして有名なあの『スペランカー』だって(そもそも、あれはあの難しさのゲームバランスとして抜群の調整がなされた非常によいゲームなのだが)、普通の人間が洞窟内でちょっとした段差を踏み外して死ぬのは当たり前だと考えれば、納得できるのだ。むしろマリオみたいに、自分の何倍もの高さをジャンプできるおっさんの方が、本来は理不尽でブキミな奴なのである。