“奇跡”から始まる不穏で痛切なドキュメンタリー 『グルスポングの奇跡』監督インタビュー

ドキュメンタリー映画『グルスポングの奇跡』が9月4日より公開中だ。2023年にトライベッカ映画祭でプレミア上映され、翌年スウェーデンのアカデミー賞にあたるグルドバッゲ賞で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞した衝撃の実話で、タイトルの明るさとは裏腹の不穏な展開に心をかき乱されること間違いなしである。
ノルウェー人姉妹のカーリとマイは、あるきっかけでスウェーデンの小さな町グルスポングで家探しを始める。理想的な家を見つけたふたりは、売主の女性オーウラグと対面した瞬間、息を呑む。彼女は、何年も前に自ら命を絶った姉リータにそっくりだったのだ。その後、オーウラグはマイとカーリの異母姉妹であり、リータの双子の姉であることが判明する。かつてのナチス・ドイツ占領下のノルウェーで、双子の人体実験から逃れるため、オーウラグは誕生時に“死亡”と偽って別の家族に託されたのだった。
そんな“奇跡の再会”を映画にしてほしいと姉妹に依頼されたのが、ドキュメンタリー監督のマリア・フレデリクソンだ。しかし、撮影開始からほどなくして家族たちの間には亀裂が生じはじめ、話は思わぬ方向へともつれにもつれてゆく――。
この『グルスポングの奇跡』で待望の長編デビューをかざった監督自身に、本人のキャリアからこの映画の“真相”まで、じっくり話を聞いた。
困難を極めた4年間の撮影

ーー監督は長年ドキュメンタリーを撮られており、今回の『グルスポングの奇跡』が初長編とのことです。まず、監督がドキュメンタリーの制作を始めた理由を教えてください。
マリア・フレデリクソン(以下、フレデリクソン):私はもともといろいろな方法で物語を語ることが好きでした。はじめは広告業界で働いており、企業のストーリーを伝える仕事をやっていたのですが、だんだんと自分自身の伝えたい物語を語りたいと思うようになり、会社を辞めてドキュメンタリーの映画学校に通いはじめました。ドキュメンタリーの映画監督であれば、どんなひとに対しても「あなたを取材して映画にしたいんです」とアプローチすること自体は可能で、興味があるひとや事柄について語ることができる。なので、ドキュメンタリー監督という仕事を選びました。
ーー今回『グルスポングの奇跡』のプロジェクトが始まったきっかけは、カーリとマイから「私たちに起こった奇跡について撮ってくれ」と連絡があったことだそうですね。
フレデリクソン:はい。私がカーリとマイとそしてオーウラグに初めて会ったのは、彼女たちがDNAテストをして姉妹だと判明したすぐあとのことでした。つまり、奇跡がもうすでに起こってしまったあとだったわけで、「ここからどうすれば映画にふくらませることができるのだろうか」と悩みながら向かったのを覚えています。ただ他方で、彼女たちにはとても興味を持ったので、もしかしたらなにか新しいことが起きるかもしれないとも思っていました。だからこそ会いに行ったところもありますね。

ーー彼女たちに会いにいって撮影を始めた段階で、長編映画になるとは思っていましたか?
フレデリクソン:できれば長編映画にしたい、という思いはありました。それまで15分から30分ぐらいの短編映画を多く作っていたので、長編映画にできるような題材をずっと探していたんです。結果的には想像以上に膨大な素材を撮ることができて、もしすべての要素を入れたらとてつもなく長い映画になってしまうほどでした。
ーー「これは長編映画にできるぞ」と思ったタイミングはいつですか?
フレデリクソン:それはむしろ財政的な状況に関わる問題ですね。撮影期間中にスウェーデン、ノルウェー、デンマークなどのさまざまなところから資金や助成金をすこしずつ集めるなかで、「これで長編映画にできる目処が立った」というタイミングがありました。ただ、スウェーデンの助成金は映画が完成するまでもらえるかどうかわからないものだったので、最後まで大変でした。その助成金は最終的にもらえたので良かったのですが。

ーー今回の作品は撮影期間も長かったと思いますし、映画を観ればわかるように取材対象との関係をうまく保つのも難しかったと思います。くわえて財政的なプレッシャーもあるとなると、撮影を続けるモチベーションを保つのはかなり大変だったのではないでしょうか。
フレデリクソン:一緒に映画を制作している同僚が私を含めて3人いて、全員女性なのですが、お互いにサポートし励まし合いながら作っていました。この映画にたくさんの時間と労力を費やしていたので、途中で諦めてしまったらすべてが無駄になってしまうと。それでなんとか完成させることができました。もちろん、助成金をすでにくれていた団体にも「完成させるから」と約束していました。撮影を続けられるかどうかというより、「とにかく完成させるしかないんだ」という思いでやっていましたね。
ーー撮影期間中にはコロナ禍による中断もあったそうですね。
フレデリクソン:はい、トータルの撮影期間は結果的に約4年に及んだのですが、撮影開始から1年半ほどでコロナ禍になりました。ノルウェーとスウェーデンの国境が封鎖されてしまったので、そこで半年ほど撮影を止めることになってしまった。ちょうどオーウラグとマイたちの関係に亀裂が入りはじめたころで、「彼女たちのやり取りや関係の変化は進んでいっているのに、それを撮ることができない」というフラストレーションは大きかったです。そこで、各人と私が電話で話し、それを日記のように記録していくことにしました。録音したものは映画でも使用したのですが、興味深いのはそれぞれの言っていることが食い違っていくこと。その期間についてはコロナ禍のせいでこの手法をとるほかなかったわけですが、結果的には良い効果につながったかなと思っています。




















