なぜ『タイタニック』の弦楽四重奏団は心に残るのか? “クリエイティヴ経済”から読み解く

『タイタニック』の弦楽四重奏団を分析

 『金曜ロードショー』で『タイタニック』が2週連続で放映されている。前編を見逃してしまったという人も無問題。本作は、2本の映画をひとつに合体させたような構成だからだ。

 煌びやかな装飾や衣服と、オレンジ色の光⸺甲板で人物の顔に水平に差す西日や、室内の暖炉の光⸺に満ちた前編ではロマンスが展開される一方、船が氷河に衝突し、一大水難スペクタクルとなる後編で印象的なのは金属やもちろん水、それから青い光であり、ジャンル的にはほとんどパニック映画へと急展開していく。後編だけでも、ドキドキハラハラの映画体験ができることは間違いない。さらに言えば、金曜ロードショーの作品ページにもあらすじが紹介されており、こちらで簡単に追いつくことも可能だ

 『タイタニック』には非常に多くの名場面や名セリフがある。そのうちのひとつに、沈みゆく船で弦楽四重奏団が自らの命を顧みず演奏し続けるシーンがある。これはストーリーそのものには直接関係しないにもかかわらず、非常に印象的なシーンとして多くの人々の記憶に残っているのではないだろうか。なぜ、彼らはそれほど印象的なのだろう?

『タイタニック』を“労働”から考える?

 じつは、この問いに答える刺激的名著がある。三浦玲一『村上春樹とポストモダン・ジャパン』(彩流社)がそれだ。

 タイトルは『タイタニック』とまったく関係のなさそうな本書は、しかし実際には村上春樹を中心としつつ、かなり多様な、ポップカルチャーまで含むさまざまな作家や作品⸺カズオ・イシグロ、宮崎駿、『インディペンデンス・デイ』などなど⸺が俎上に挙げられる批評書であり、じつはそれら分析対象の中に、『タイタニック』も含まれている。

 三浦によれば⸺驚くべきことに⸺『タイタニック』には、1990年代の新自由主義・グローバル化という社会状況に伴う、「労働」概念の変化という出来事が描き込まれているというのだ。この大ヒット「恋愛スペクタクル映画」に「労働」? 三浦の議論を追ってみよう。

 本作の主人公のひとりジャックは、身一つでその日暮らしをする貧乏人である。没落寸前とはいえ名家の令嬢であるローズとの恋はもちろん、古典的な「身分違いの恋」の物語になっている。しかし、ジャックはただの貧乏人なのではなく、「貧乏なアーティスト」⸺もっと言えば、「聡明で貧乏なアーティスト」なのであり、この点こそが重要だ。

 実際、ローズがジャックに⸺一度は口論になりかけながらも⸺結局好意を抱いてしまうのは、彼の抱えていたスケッチブックをきっかけにしてだったし、加えて、隣り同士に座ってふたりでそのスケッチブックをめくっていく際の、パリの人々についての彼の思い出話が魅力的だったからだ。ローズは、階級の差もさることながら、ジャックの職業や、それを成立させる彼の聡明なありさまにもまた、大いに惹かれている。

 そしてこの背後にあるのが、「クリエイティヴ経済」のロジックだと三浦は指摘する。1980年代以降、新自由主義の浸透に伴って、労働運動は大きく縮小していく⸺これと同時に「労働」という概念自体も変質し、もはや単純労働の時代は終わり、クリエイティヴであること、アイデンティティを適切に維持・管理することこそが富の源泉なのだ、という幻想が共有されるようになる。現在であれば、SNSを通じて自分の存在を広く知られることがそのまま「マネタイズ」につながり得るような事態が、その一例かもしれない。これは極端な例としても、時代の変化にフレキシブルに順応し、創造的であることが要求されるというのは、現代では広く前提となってしまっている感があるだろう。ジャックはまさしく、「自己実現を目標とするフレキシブルな『アーティスト』」として、1990年代の「クリエイティヴ経済」における理想的な個人を象徴している。ジャックはその意味で、「特別な貧乏人」なのだ。

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