『豊臣兄弟!』の“本能寺の変”はなぜ成功したのか? 歴代大河との比較で見えた現代性

『豊臣兄弟!』本能寺の変はなぜ成功?

 巨星墜つ。この言葉がまさにふさわしい「本能寺の変」。天下一統を目前に、天空の城も作った織田信長(小栗旬)が京・本能寺にて明智光秀(要潤)率いる軍に急襲された。予期せぬ大軍を迎え撃つには少ない手勢。信長はもはやここまでと観念して切腹するが、首は決して敵の手に渡すなと森乱(市川團子)に命じる。

 これまで大河ドラマでは何度も本能寺の変が描かれた。『豊臣兄弟!』でその数、17回となる。何度も何度も擦られた本能寺の変。回を追うごとに過去作と比較されるプレッシャーが積み重なっていくことだろう。明智光秀のおみくじ、名台詞「ときはいま」、「敵は本能寺にあり」、「是非もなし」、「人間50年」(敦盛)、出るのか気になる濃姫(帰蝶)、森蘭丸(森乱)、弥助……おなじみの要素を盛り込んだり盛り込まなかったりしながらその番組の個性ある本能寺の変が形作られていく。

 小栗旬が演じる信長の本能寺の変には何があって何がなかったか。検証する前に、過去の大河の本能寺の変を振り返ろう。

 大河ドラマ、最初の「本能寺の変」は1965年の『太閤記』だ。原作は吉川英治、脚本は茂木草介。豊臣秀吉は緒形拳、織田信長は高橋幸治、明智光秀は佐藤慶、森蘭丸は片岡孝夫(現:片岡仁左衛門)。NHKオンデマンドでも第42回「本能寺」の回のみが公開されている。昔は録画を消去してしまっていて(もったいない!)現存する貴重な一話が「本能寺の変」だったのは不幸中の幸いだ。

 貴重なアーカイブがほとんど残っていないいま、このことを皮肉るようなエピソードがこの回にある。天正10年6月2日早暁、急襲にあたふたするなか、床の間に飾った絵を商人・宗湛(土屋嘉男)が持って避難しようとする。そのときの言い分は「これは牧谿の名作。戦で滅ぼしていいわけありません」。この絵を気に入っていた信長はしばし絵を眺め、宗湛に持っていくことを許す。敵が攻めてきているときに悠長に絵を見ているのだ。そんな信長を宗湛は「ご立派な方じゃ」と感無量で去っていく。

 こんな状況になる少し前、信長が濃(稲野和子)に「静かに己が村に帰っていく漁師どもの心がうらやましいのだ」と語る。このあとの自分の運命をわかっていたかのようではないか。そして信長は燃え盛る炎のなかにひとりになると、50年(49年)の人生を静かに振り返る。人間の人生は50年ほど。天上界の一日に比べたら夢や幻のようであるというような「敦盛」の歌詞のようだ。

 絵画や能のなかに人生を見ている教養人としての信長。弱音ははかず、最期まで堂々と、己の宿命に潔く向き合う。濃も逃げず、信長と共に人生を終える。蘭丸も信長に髻を切ってもらい髪を振り乱して闘い、殿の最期を襖越しに見守る。細部に目配りの効いた脚本。1965年の多くの日本人がこのドラマをおそらく感動をもって受け止めていただろう。まさに「これは大河の名作。消去していいわけありません」と言いたい。

 では、2026年の本能寺の変はどうだったか。

 『豊臣兄弟!』は「兄弟」がテーマであると同時に「生きる」ことがテーマになっていると感じる描写がたびたびある。主人公の小一郎(秀長〈仲野太賀〉)は首尾一貫して生きることを重視している。いざとなると武士のプライドをかなぐり捨て無様でも生きることを選ぼうとする人物だ。それは彼が武士の家系の生まれではなく、農民の家庭に生まれ育った所以かもしれない。

 兄・秀吉(池松壮亮)や家族や仲間と共に生き延びていく秀長。対して信長は弟・信勝(中沢元紀)を殺したことに端を発し多くの殺戮をしながら天下を駆け上がってきた。史実では秀吉、秀長も殺戮は行っているのだが、そこを『豊臣兄弟!』ワールドはぼかしている。

 『豊臣兄弟!』版本能寺の変は、信勝の息子・信澄(緒形敦)が父の復讐心を20年来抱えていたことが原因になっている。信長憎しで明智光秀(要潤)を焚きつける信澄。真面目で忠実な光秀は度重なる信長のハラスメント的な行為がストレスになっていて、ある瞬間、タガが外れ、信長を討つ行動に出てしまう。信長ももともとは理想の国をつくろうと思っていたが、その強引さに周囲はついてこられず、それが綻びを生んだ。信長なりに頑張ったけれど……。

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