『風、薫る』はなぜ“辞める”ことを肯定的に描くのか りんの旅立ちに映る現代的な仕事観

『風、薫る』はなぜ“辞める”を肯定的に描く

 NHK連続テレビ小説『風、薫る』では、りん(見上愛)が看護婦の仕事を続けられなくなり、新たな岐路に立っている。担当患者・山本(本田大輔)の死をきっかけに、患者を前にすると手が震え、脈を取ることも包帯を巻くこともできなくなった。それでも家族を養うために病院へ向かおうとするりんに、直美(上坂樹里)は「看護婦辞めな」と告げる。

 りんにとって看護婦は、ようやく手に入れた夢であると同時に、家族の生活を支えるための仕事でもある。父・信右衛門(北村一輝)の死を乗り越え、養成所で学び、厳しい現場で経験を積んできた。そんなりんが仕事を辞めるとなれば、これまでの努力をすべて手放すように感じてしまうのも無理はない。

 しかし興味深いのは、『風、薫る』がここでりんに「もう一度頑張れ」と立ち直ることを急かさない点だ。直美は、無理を重ねて働き続けることよりも、いったん看護から離れることを勧める。捨松(多部未華子)も、新潟・上越の女学校で舎監として働く道を紹介した。看護婦を辞めても、そこで人生が終わるわけではない。これまでとは違う場所で、別の仕事を始めることができるのだ。

 7月13日放送回では、環(英茉)と離れられないために新潟行きをためらうりんに、直美が「環ちゃんの2人目のお母さんになる」と申し出た。りんが新しい道を選べるように、環の生活を自分が支えるという。単に「辞めてもいい」と背中を押すだけではなく、辞めたあとに生じる現実的な問題まで周囲が引き受けようとするところに、この物語の優しさがある。

 振り返れば、『風、薫る』ではこれまでも、看護の道を離れた女性たちが何人も登場してきた。ゆき(中井友望)は、患者の死を受け止めきれず、自分には人の生き死にに関わる仕事はできないと考えて養成所を去った。看護婦になる夢を諦めたわけだが、その決断を責める者はいなかった。自分の限界を知り、別の道を選ぶこともまた、一つの誠実な判断として描かれていた。

 養成所を卒業したしのぶ(木越明)と喜代(菊池亜希子)も、病院で看護婦として働き続ける道は選ばなかった。しのぶは結婚して家庭に入り、喜代は教会で伝道者として働くことを決めた。看護を学んだからといって、その後の人生を病院だけに捧げなければならないわけではない。身につけた知識や、人に寄り添った経験は、家庭や教会でも生かすことができる。

 一方、看病婦のツヤ(東野絢香)は、働きながら学ぶという無理が重なり、投薬を忘れて病院を解雇された。ヒデ(池田朱那)は、そんなツヤを切り捨てた病院や、身を削るように働くりんの姿に疑問を抱き、看護婦になることをやめた。2人の離脱から見えてきたのは、続けられなかった本人の弱さよりも、働く者の献身に頼りすぎる現場の問題だったのではないかと思う。

 令和の現在でも、仕事を辞めることにはどこか後ろめたい響きがある。せっかく就いた仕事なのだから続けるべきだ、つらくても耐えることが成長につながる、と考えられることも少なくない。だが、『風、薫る』は、看護婦を続けることだけを正解とはしていない。自分の適性を見つめて別の道へ進む人もいれば、結婚や新たな仕事を選ぶ人もいる。さらに、心身の限界や働く環境への疑問から、その場を離れる人もいる。それぞれの事情を丁寧に描くことで、辞めることもまた、その人が人生を選び直すための決断として示しているところがどこか現代的でもある。

 りんが看護婦を辞めたとしても、看護を学んだ時間や、患者と向き合ってきた経験まで失われるわけではない。仕事は人生の大きな一部ではあるが、その人のすべてではない。辞めることは、これまでを否定することではなく、その経験を抱えたまま、これからの生き方を選び直すことでもある。新潟編では、看護婦という肩書きを離れたりんが、自分の中に残ったものをどう見つめ直していくのかに注目したい。

■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK

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