青柳翔とハ・ヨンスが“異文化交流”を体現 『ディッシュアップ』の言語化しがたい魅力

『ディッシュアップ』の言語化しがたい魅力

 大仰すぎる演技だったり、不自然な台詞回し、リアリティから離れた特殊効果 、そして送り手と受け手の間の感覚のズレなどなど、破綻や失敗のなかには不思議な魅力が発生することがある。映画史的に表現するならば、それは、作家のスーザン・ソンタグがかつて映画作品などに対して提唱した、「キャンプ」と呼ばれる概念である。それをギャグに近いかたちで、各シーン全てに浸透させようとしているのが、池本陽海監督の最も挑戦的な部分ではないだろうか。同時にそこには彼持ち前の、エンターテイナーとして“ギャグを盛り込まざるを得ない”チャーミングな作家性が存在するのだと考えられる。

 こういった「キャンプ」というアンバランスな魅力を、後年のクリエイターが敏感に察知し、自作に意図的に取り込もうとする流れもまた、映画の醍醐味である。そのような感性が発揮されるというのは、かつて日本映画が隆盛し、その大きな祭りの後で、相米慎二のような監督が実験的な演出を繰り返したという、豊かな歴史があってこそだともいえる。その点は、近年勢いのある韓国映画に対し、日本映画がアドバンテージをとれる、数少ない部分かもしれない。

 

 興味深いのは、このような“超展開”がたびたび起こりつつも、物語の本筋はそれほどエスカレートせず、あくまで料理屋の存亡というスケールからは大きく離れないということだ。そうした突飛な展開と設定の重力を体現しているのが、主演二人の佇まいだろう。日本では、宮﨑あおいに似ていると言われていたハ・ヨンス。本作ではオーバーサイズのデニムをトレードマークに、軽やかに突き進んでいく。それは実直な職人になりきっている青柳翔と好対照を見せ、その両極の価値観が作品のバランスを取っているのだと感じさせる。

 さらにそれは、国際的な“本音と建前”の感覚の違いにも波及していく。この二人が接近することは、他人同士が異なる考えを持ち寄り、互いの欠点を補い合い高め合うという、人間同士の重なりであり、それは恋愛のみに限らない、国や異文化同士のつながりといったグローバルな交流にもつながっているといえるだろう。劇中で描かれる、ベトナムからの留学生とアルバイターとの恋愛は、そんなつながりをファンタジーだけではない、厳しい障害としてリアリティを下支えしている。

 上原とジュリが向き合う瞬間に登場するのが、少年たちがサッカーをする光景である。現在、北中米で共催されているサッカーW杯だが、ここで暗示されているのは、日本と韓国で開催された2002年のW杯だろう。両国の交流と平和を象徴するはずの日韓大会だったが、そこで一気に互いが融和したかといえば、そうではなかったと言わざるを得ない。接近することで逆にバックラッシュも発生してしまった。しかし、そこで二つの歴史や文化が反発を呼び起こしつつも接近することがなければ、現在の両国の文化交流は、立ち遅れていたかもしれない。

 そういった多くの人々が感じている感覚を、本作はビジュアルで表現し、演出でマジカルな瞬間として描き出している。そういう意味で池本陽海監督は、同じようにアクロバティックな演出で観客を魅了してきた相米慎二監督の作品の感覚を、ただ表面的に消費しているわけではなく、そこに意図的な思考が存在していることが、しみじみと分かるのである。

映画『ディッシュアップ』予告編

■公開情報
『ディッシュアップ』
6月20日(土)新宿K’s cinemaにて公開
出演:青柳翔、ハ・ヨンス、三河悠冴、ドン・ニャット・クイン、西村和泉、菅原大吉
監督:池本陽海
エグゼクティブプロデューサー:土川勉、澁澤陽平
プロデューサー:廣瀬敏、小林徳行、田中佐知彦
脚本:池本陽海、深井戸睡睡
制作プロダクション:Ippo/デジタルSKIPステーション
製作:埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ
配給:MomentumLabo.
2025年/カラー/5.1ch/ヨーロピアンビスタ/80分
©2025 埼玉県/SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ
公式サイト:http://dishup-movie.jp
公式X(旧Twitter):@dishup_yurie

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