『ミステリー・アリーナ』が映画の殻を打ち破る 唐沢寿明の“ゲス怪演”が令和に爆誕

リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、クイズブームにいまいち乗り切れてない玉置が『ミステリー・アリーナ』をプッシュします。
『ミステリー・アリーナ』

堤幸彦監督は、常に日本の映像界の第一線を全力で走り続けてきた。だが、彼の作品は決して一筋縄の楽しさだけでは終わらない。そのどれもが、王道のエンターテインメントでありながら、観客の予想を斜め上へと裏切る独自の“毒”や“メタ的な遊び心”が潜んでいるからだ。そして、本作『ミステリー・アリーナ』もまた、そんな堤監督の作品群において、最もエッジの効いた「怪作娯楽作品」の一つとして語り継がれることになるだろう。
まず驚かされるのが、本作がミステリー映画として、あまりにも稀有で異常な構造を持っているという点だ。物語の舞台は、100億円という賞金が懸かったクイズ番組のステージ。100億を巡るデスゲーム的な狂騒を想像するかもしれないが、映画の時間は潔いくらい「どっぷりと、ゆっくり」進行していく。なぜなら、劇中で出題されるクイズは、最初から最後まで、たったの「1問」だけだからだ。
その問題とは、「密室の館で起きた殺人事件の犯人を答えよ」というもの。解答権は各参加者に一度きり。そのため、映画は変に色々なクイズが次々と行われたり、目まぐるしく状況が二転三転したりするのではなく、観客も解答者も「その1回に正解できるか」という一点のみに全集中することになる。

劇中、登場人物たちのバックボーンや人間関係の紹介は最低限の「振り」として処理されるだけだ。それが終われば、あとは“基本的には”ただただクイズ番組の映像が、異様な緊張感の中で淡々と流れていく。
この構成によって、私たちは映画を観ているというより、「リアルタイムで視聴者参加型クイズ番組をテレビで観ている」かのような、奇妙な錯覚に囚われる。スクリーンを眺める我々もまた、自然と頭をフル回転させて犯人を探しはじめ、気づけば劇中の解答者たちが導き出すそれぞれの推理に「あ、その説もあるかも」と没入してしまう。映画的文法やドラマチックな人間ドラマを清々しいまでに吹っ飛ばし、「システムとしてのクイズ番組」をただ体験させる。この体験型ミステリーとしての試みはあまりにも新しく、映画として極めて不思議な感覚を味わわせてくれる。

そして後半、物語は思いもよらないどんでん返し的な展開を迎える。ここで初めて人間的な描写やドラマが生まれるのだが、これがまた見事なまでに安っぽい。だが、決して否定的な意味ではない。堤監督があえて重厚な人間ドラマを作り込まず、そこにフォーカスしていないことがヒシヒシと伝わってくるのだ。あくまで観客を楽しませ、純粋に「あっ」と言わせるエンターテインメント性に徹している潔さが、この作品にはあるともいえる。
だからこそ、本作にはいわゆる映画的な「キャラクター」がほとんど存在していない。描かれるのは、倫理観の欠如した司会者と、ただ餌食になる者、推理を口にするだけの者、そして闇を暴こうとする者といった、役割を振られただけの解答者という記号だけであり、過剰な感情移入を誘うようなドラマは排除されている。





















