『プラダを着た悪魔2』は“理想”を体現した続編に 前作を凌駕する挑戦心と奥深さを解説

多くの人々が憧れるファッション雑誌の内幕を描き、長く愛されてきた映画作品『プラダを着た悪魔』が約20年もの時を経て、続編『プラダを着た悪魔2』として帰ってきた。メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチという、いまや呼ぶのがさらに難しくなった俳優たち、そしてデヴィッド・フランケル監督、脚本のアライン・ブロッシュ・マッケンナらが奇跡的に再集結した。
早くも前作の興行成績を上回り、世界で大ヒットを遂げている本作『プラダを着た悪魔2』だが、第1作が広い世代からの支持を受け、年々伝説化していった作品だっただけに、その反応はさまざまであるようだ。しかし、この続編は蛇足であるどころか、前作で描かれた要素がきれいに着地しながら、現代のさまざまな問題を扱った、テーマ性の強いものに仕上がっている。ここでは、そんな本作の本質に迫り、この映画が何を描き、何を照らし出そうとしているのかを明らかにしていきたい。
※本記事では、映画『プラダを着た悪魔2』のストーリーの核心部分に触れています
物語の幕開けは、前作から20年後のニューヨークだ。ファッション業界を代表する『ランウェイ』誌の編集長ミランダ(メリル・ストリープ)の秘書になりながら、前作で報道の業界に移籍を果たしたアンディ(アン・ハサウェイ)は、ジャーナリストとして賞を受賞するまでに成長していた。だが、授賞式の最中に編集部全員が、テキストメッセージ一通で解雇されるという事態に直面する。一方、現役で君臨し続けてきたミランダもまた、工場の従業員を酷使するブランドを称賛したことで“炎上”するという危機に瀕していた。
ミランダのモデルと噂されているのが、アメリカ版『ヴォーグ』の編集長を約37年間勤め、2025年に退任したアナ・ウィンターである。彼女もまた、アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノという、才能がありながら倫理的な事柄で問題になった有名デザイナーを擁護した過去があるなど、特徴が今回のミランダの人物像に反映されているように感じられる。また、アナ・ウィンターは本作の撮影現場やプロモーションにも呼ばれ、劇中に登場する「ディオール(Dior)」の店舗には白い花しか飾られないことを指摘するなど、現場でも存在感を示していたという。
炎上問題を解決すべく、古巣に呼ばれ懐かしい編集部に駆けつけたアンディだったが、ブランドものに身を包んだ悪魔に見えていたミランダが、以前ほど威張り散らさなくなったことに気づく。言葉遣いも以前よりは穏やかになり、かつて部下に投げつけていた上着を、自分でハンガーにかけてすらいるのだ。悪魔であっても、いまやコンプライアンスの波には勝てないのか。
『ランウェイ』はその直後、深刻な問題に直面することとなる。経営者の死去により、出版社の経営権が息子に移ったのである。新社長はファッションに興味もリスペクトもなく、外部コンサルを入れて大幅なリストラを計画する。本作は中盤からミラノ・ファッションウィークが舞台となるが、なんとあのミランダが経費削減の煽りを受け、エコノミークラスでイタリアに向かうこととなる。かつて、その横暴な振る舞いにうんざりしていたアンディだったが、彼女のしょぼくれた姿を目の前にすると、「ここまでされて、やり返さないのか」とフラストレーションを募らせる。
レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画「最後の晩餐」が描かれた、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の食堂を、本作はセットに再現している。この壁画が象徴するのは、まさにキリストが死地へと向かう直前のように、雑誌業界も“風前の灯”となっているという状況である。その場所でミランダは、会社を買収しようとするベンジー(ジャスティン・セロー)に対して、少しでも『ランウェイ』の伝統を残してほしいと、恥を忍んで頼み込む。しかし彼は、そんなことは保証できないと言う。短期間でAIに席巻されるような世の中、その流れなんて誰にも分からず、粛々と対応するだけなのだと。
いよいよ『ランウェイ』の落日を目の前に、ミランダはフラフラと中心部のアーケード街「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア」にたどり着く。ここは信仰の象徴である「ドゥオーモ」と、芸術の聖域たる「スカラ座」を南北に繋ぐ十字路。ミランダがその中心で、「ディオール」、「プラダ(PRADA)」、「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」の店舗に囲まれた広場に立つということは、彼女自身がかつて絶対的な権力で芸術を司った“ファッション界の教皇”であったことを視覚的に示している。
こういった画面設計は、同様に、ローマやナポリの都市の光景を、歴史や寓話を下敷きに象徴的に撮りあげた、パオロ・ソレンティーノ監督の演出に近いといえる。ここは本作のショットのなかでも最も美学的に印象深いシーンであり、一つの文化の終焉を見るような痛切さを味わわせるという意味で、舞台をミラノにした意義を感じられる、深みのある描写となっている。
しかし、そんな叙情的な演出で寂しく消えていくミランダではない。前作同様、ひとしきり落ち込んだ後に、悪魔のような大逆転を目論み始めるのである。前作では、その冷酷さに戦慄させられたアンディであったが、今度は「待ってました!」とばかりに、ニンマリとして逆襲に加担するところが微笑ましい。
ここで事態を打開する鍵となる、ある人物の登場には、否定的な意見もあるようだ。ここまでリアルに業界の苦境を描いておきながら、資本家が大きな力で一気に解決を与える展開を用意するというのは、都合が良過ぎると言うのである。しかし、その指摘には異論がある。
ミランダの右腕であるアートディレクター、ナイジェル(スタンリー・トゥッチ)の姿を思い出してほしい。アンディが『ランウェイ』の窮状を知らせたとき、彼は仕事の手を止めず、写真やスタイリングについて考え続けているだけだった。そんな愚直な職人性を発揮したところで、編集部のピンチには、一見何の役にも立たなそうに見える。しかしそれこそが、AIなどを背景にした現代の効率化の波に、唯一抗うことのできる行為だったのではないか。
























