INTO1としてアジアで大ブレイク、SANTAとは一体何者? ボーダーを越え続ける表現者の素顔

3歳でダンスと出会い、17歳にしてストリートダンスの世界大会で史上最年少優勝。その後、中国のオーディション番組を経て、グローバルボーイズグループ・INTO1のメンバーとしてアジア中を熱狂の渦に巻き込んだSANTA。輝かしいキャリアを築き、グループ卒業を経て再び日本のステージに立つ彼は今、何を思い、どこへ向かおうとしているのか。
本インタビューでは、新曲「大丈夫」に込められた日中の“架け橋”としての切実な願いや、自身を保つために必要不可欠だという「俳優」業への思いを深掘りしていく。5月に上演される舞台『ナミヤ雑貨店の奇蹟』への意気込みとともに、絶えずボーダーを越え続ける表現者・SANTAの波乱万丈な半生と、その素顔に迫る。(編集部)
「テレビに出る人」への憧れと3歳で出会ったダンス
ーーSANTAさんが人生で初めて“刺激”を受けたのは、お父さんだそうですね。
SANTA:はい。子供の頃って父親の背中を追うというか、自然と「これが大人なんだ」と思い込むんですよね。僕の父はお笑い芸人をやっていまして、元々は名古屋よしもとに所属して、僕が物心つく頃にはフリーで活動していました。よくラジオの収録現場について行って、仕事をする姿を近くで見ることが多かったんです。周りのお父さんたちはスーツを着てサラリーマンとして働く中、ウチの父は普段着で家を出て、ラジオなどの仕事で僕らにご飯を食べさせてくれていた。それが当たり前の風景だったから、将来は自分もこうなるだろうと思っていました。
ーーお父さんの背中を見て、自分も芸能の道に進むだろうと。
SANTA:そうですね。父もそうですし、親戚に俳優の小栗旬さんもいるので、芸能に対して身近な印象があったんです。あと最近、自分が小さかった頃の映像を見返していて、おそらく3歳のときだと思うんですけど、「将来はどんな人になりたいの?」と聞かれて「テレビに出る人です」と答えていたんですよ。
ーー3歳といえば戦隊モノのヒーローとか、アニメのキャラクターに憧れる子が多い中で、「テレビに出る人」と言うのは面白いですね。
SANTA:それだけ憧れが強かったんでしょうね。お父さんが張り切って仕事場に行く姿も印象的でしたし、旬くんが出演するドラマや映画も家族みんなで観ていたんです。それもあって、幼いながらに「自分も芸能界に行きたい」という気持ちが芽生えたんだと思います。
ーーちょうどそのタイミングで、ダンスを始めるんですよね?
SANTA:そうなんです。僕が3歳のとき、姉と一緒に地元の運動施設に連れて行かれまして。中にあるスタジオでダンスを教わりつつ、小学生からは空手も習っていました。僕は空手が好きだったんですけど、ダンスの方が向いていたんでしょうね。そこはストリートダンスを踊る環境ではなかったけど、ストリートの先生がたまにレッスンに来ていて。それをきっかけに「こういうカッコいいダンスをやりたい」と思うようになりました。10歳くらいから大会にも出るようになって、そこでハウスダンスに出会ったんです。ハウスダンスって、ほかのジャンルとは少し成り立ちが違うんですよね。クラブにいろんなジャンルのダンサーが集まって、ハウスミュージックに合わせて“誰でも踊れるダンス”として自然に生まれたものなんです。いわば、さまざまなスタイルが混ざり合ってできたジャンルなんですよ。その中には、カポエイラの要素も含まれていて。僕はもともと格闘技も好きだし、アクロバットもできるので、「自分に一番合っているのはこれだ」と感じて、どんどんのめり込んでいきました。
ーーそこから、どのようにダンスに触れていったのでしょうか?
SANTA:10歳のときに「ダンスで日本一を獲る」と決めまして。フロアワークを上達させるためにカポエイラの練習に打ち込み、ビート感を養う目的でドラムの勉強を始めるなど、常にダンスのことばかり考えていました。ちなみに、僕たちの世代は“黄金世代”と呼ばれていて、世界的に見ても日本のキッズダンサーのレベルがとんでもなく高かったんですよ。キッズが大人の世界大会で次々に賞を獲得するほどで、僕が10歳のときには1~2歳上のキッズダンサーが、ダンス番組にもたくさん出演していました。そんな猛者たちに勝ちたい一心で、アスリートのような生活を送りましたね。例えば朝は、足に重りをつけてつま先立ちで20~30分かけて登校するとか。
ーー漫画のキャラクターみたいなことを(笑)。
SANTA:よくないですけど、授業中もダンスのことばかり考えていましたね。でも、物理だけは大好きでした。物理学を理解すれば、アクロバットに活かせるから(笑)。
ーー取り憑かれたように、ダンスに夢中だったわけですね。
SANTA:ただ、父はダンスのことをすごく嫌っていて、「ダンサーなんてチャラい」「あんな職業はダメだ」と言っていたんです。なので、中学で学年代表を3年やって「俺はこの道を極めたい」と伝えたら「……わかった。お前が本気なら手伝う」と受け入れてくれて。そこから2人でダンスのことを勉強して、学校から帰ると父が見守る中、寝るまでずっと練習する。そんな毎日を過ごしていました。
ダンス世界一を成し遂げて次なるチャレンジへ
ーー初めての成功体験で言うと、どの場面が浮かびますか?
SANTA:14歳のときに、日本で一番大きいダンスバトルの大会(『DANCE@LIVE FINAL SEASON7』KIDS部門)で日本一を獲ったことですね。先ほども言った通り、あの頃はキッズダンサーが盛り上がっていて、大会に出ている子たちはいろんなところで優勝をした実力者ばかり。そんな中で、僕はみんなよりも少し遅れてダンスを始めていた。しかも、歴代の優勝者で男の子がいなかったんです。いろんな人から「SANTAは男だし、歴も浅いから1位なんて無理だよ」と言われていたんです。もっと言えば、ハウスダンスはパーティダンスだからバトル向きじゃない。それもあって「無理だよ」と言われて悔しさを抱えながらも、本番で日本一を獲れたのが一番最初の成功体験ですね。
ーー高校に上がり、17歳のときにはアジア大会(『STREET DANCE KEMP ASIA 2015』)で優勝したのち、史上最年少で世界チャンピオン(『STREET DANCE KEMP EUROPE』)に輝きました。
SANTA:自分の部屋のいたるところに、「日本一」と書いた紙を貼りまくっていたんですよ。ベッドに入ったときもそれが目に入るように、天井にも貼っていて。いざ日本一を獲ったら、それを「世界一」に書き換えて、ずっと結果を出すために腕を磨いていた。僕が最初に1位を獲った世界大会は、ヨーロッパでダンスキャンプがありまして。そこに同世代の子たちはよく行っていたんですね。父に相談したら「ヨーロッパまでの飛行機代を出すわけないだろ! そんなもん自分で稼げるようになってから行け」って言われたんですよ。そのときはちょこちょこイベントに出させてもらって、そこで得た少しの賞金を貯金していたんですけど、さすがにヨーロッパへ行くお金なんて持っていない。どうしようと困っていたら、その年から初めて開催されたアジア大会の香港予選がありまして。香港まで行く旅費だったら貯まっていたんです。しかも、アジア大会で優勝したら、世界大会に無料で招待してもらえると知って。「これしかない」と思い参加したら、優勝できて世界大会に進むことができました。
ーー意外にも念願の世界一を獲った瞬間は、そこまで嬉しくなかったとか。
SANTA:最初は日本一を目指して、次は世界一を獲るために人生をかけてきました。「どんな気持ちになるんだろう」とワクワクしていたのに、実際はあまり嬉しくなくて。「夢を叶えたぞ! やった!」という達成感はなくて、せいぜい「勝ったぞ」くらいでした。会場では、ハウス界の大先輩や、ハウスダンスを生んだアメリカのダンサーが手を上げてくれて、もちろん、それは光栄だったんです。でも、その場に父やおじいちゃんおばあちゃんもいないし、優勝した姿を中学の友達がテレビで見ることもない。
ーー今ほどダンス大会がポピュラーではないし、配信も広まっていなかったですからね。
SANTA:世界一になったとて、世間的には全然知られていないんですよ。日本に帰ってきて空港で待っていたのは親だけで、そこに記者がいるわけでもない。でも、間違いなく世界一は獲ったんです。そこでギャップを感じたと同時に、自分の武器となるダンスは極められたから、もっと多くの人にSANTAを知ってもらうため、芸能界にも目を向けるようになりました。一方で、ハウスダンスをより多くの人に知ってもらいたいと思いました。SNS社会の今と、ハウスダンスのカルチャー、「これをミックスするのが僕らの世代だな」と思ったので、自らハウスダンスのチームを作ってアンダーグラウンドで頑張りながらも、メディアの方にも勝負しつつみたいな感じでした。
ーーSANTAさんは、メディアに対して距離を置いていた時期もあったと聞きますが、そのあたりはどうだったんですか?
SANTA:14歳のときに「日本一を獲ったスーパーキッズダンサー」という肩書きで、いくつかダンス番組の出演オファーをもらっていて。全部断っていたんです。おっしゃる通り、だいぶ尖っていたので「メディアのためには踊りません」と言っていたんです。今はすごく後悔してるんですけど(笑)、あのときは敬遠してました。最近はダンスが若い世代を中心に広く認知され、イケてる番組も増えていますが、当時はダンス=コアな世界だったので、14歳の生意気な僕からすると「テレビでダンスなんて……」と思っていたんですよね。でも17歳になってからは、自分のブラしたくないところは守りつつ、幅広い層にも見てもらう方法を考えるようになりました。
ーーその後、2019年には日中混合ボーイズグループ・WARPs UPとしてavexからデビューされます。それこそ幅広い活動ができると思ったことが、加入する決め手だったそうですが、振り返ってどんな時間でしたか?
SANTA:これまで自分がやってきたことを、人に伝える難しさを痛感しました。メディアで売れるとか人気になるというのは、答えがありすぎて逆に決まらないというか。僕の経験からすると、大会で優勝するほうがずっと楽だと思いました。大会では「こうすれば勝つ確率が上がる」とある程度戦略を立てられますが、この業界はどうなるか分からない。そこが難しくて、苦戦していました。
ーー音楽にしてもお芝居にしても、スキルだけで売れるわけではなかったりして。複合的で、いろんな要素の掛け算で世に知られるものですからね。
SANTA:そうなんですよね。個人プレイをしてきた僕からすると、この業界は個人だけではどうにもならないこともたくさんあって。たくさんの企業さんやスタッフさんも関わっているので、そういう面でも勉強させてもらった時間だったと思います。























