デヴィッド・リンチ、ロブ・ライナー、ダイアン・キートンら2025年の逝ける映画人を偲んで

テレンス・スタンプ

8月17日、87歳没。ハンサムと個性派の両方の要素を兼ね備えた稀有な俳優であり、世界を股にかけて独自のキャリアを歩んだスターだった(なお『スーパーマン』シリーズでは最強の悪役ゾッド将軍に扮し、ジーン・ハックマンとも共演)。
1938年に英国ロンドンの下町イーストエンドに生まれ、1962年に映画デビュー。巨匠ウィリアム・ワイラーが監督した名作『コレクター』(1965年)で若い女性を誘拐・監禁する主人公を演じ、第18回カンヌ国際映画祭の男優賞を獲得。『夜空に星のあるように』(1967年)のケン・ローチ、『世にも怪奇な物語』(1967年)のフェデリコ・フェリーニ、『テオレマ』(1968年)のピエル・パオロ・パゾリーニなど、欧州圏の鬼才たちに重宝された。
80年代以降は渋みを増した性格俳優として活躍。スティーヴン・フリアーズ監督の『殺し屋たちの挽歌』(1984年)、スティーヴン・ソダーバーグ監督の『イギリスから来た男』(1999年)は「イケオジ好き」必見の傑作だ。一方で奇抜な役柄にも臆せず挑戦。特殊メイクを施して移民エイリアンの大物ギャングを演じた『エイリアン・ネイション』(1988年)も強烈だったが、年季の入ったドラァグクイーンを優雅に堂々と演じた『プリシラ』(1994年)はひときわ印象深い。その迫力と説得力はまさにスタンプのキャリアがあればこそ醸し出せるものだった。
謎めいた「銀髪の男」役に扮した『ラストナイト・イン・ソーホー』(2021年)には、英国人監督エドガー・ライトの深いリスペクトがひしひしと感じられた。遺作となった『プリシラ』の続編『Priscilla Queen of the Desert 2』の完成・公開が待ち遠しい。
ウド・キア

11月23日、81歳没。「美形かつ個性派」という意味ではスタンプと双璧をなす、ヨーロッパを代表するスター兼怪優。若き日の主演作としては、アンディ・ウォーホル製作の新解釈クラシックホラー『悪魔のはらわた』(1973年)『処女の生血』(1974年)がなんといっても有名。ハリウッド大作から世界各国のインディーズ作品まで幅広く活躍し、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー、ラース・フォン・トリアー、ヴェルナー・ヘルツォーク、クリストフ・シュリンゲンズィーフといった欧州きっての鬼才たちに愛された。ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』(1977年)、ウェズリー・スナイプス主演の『ブレイド』(1998年)などにも出演し、ジャンル映画ファンにもなじみ深い。日本では1998年に歯ブラシのCMで奥菜恵と共演し、映画ファンの度肝を抜いた。
2000年代以降も活動ペースは衰えず、月面基地を築く狂気のナチス総統に扮した『アイアン・スカイ』(2012年)、ブラジルの僻地で人間狩りを繰り広げる襲撃団のリーダーを演じた『バクラウ 地図から消えた村』(2019年)などで忘れ難い怪演を披露。実在のゲイの美容師を演じた主演作『スワンソング』(2021年)は、ウド・キア自身のパーソナリティも反映した晩年の代表作となった。最期の地は、米国カリフォルニア州ランチョ・ミラージュ。訃報はパートナーのアーティスト、デルバート・マクブライドによって伝えられたが、死因は明かされていない。
2004年には、第5回東京フィルメックスで主演作『ナルシスとプシュケ』(1980年)が上映された際に来日。いつか4時間半バージョンが日本公開される日を待ちたい。
ダイアン・キートン

10月11日、79歳没。今年1月には主演作『アーサーズ・ウィスキー』(2024年)が日本公開され、続く『50年後のサマーキャンプ』(2024年)も配信されたばかりだったので、まったく予想外の訃報だった。死因は肺炎だというが、急速な体調悪化を本人も予期していなかったという。いつまでも若々しく現役バリバリという印象が強く、いまだに信じられない。
1946年、米国ロサンゼルスで生まれた彼女が俳優として頭角を現したのは、1969年にブロードウェイでロングランヒットを記録した舞台劇『Play It Again, Sam』。その映画化作品『ボギー、俺も男だ!』(1972年)にも、キートンは脚本・主演のウディ・アレンとともに続投。同年には『ゴッドファーザー』の主人公マイケル・コルレオーネの妻ケイ役を演じ、その後のシリーズ3部作を通して出演。アレンとは『アニー・ホール』(1977年)『マンハッタン』(1979年)などでも組み、ともにスターダムへと駆け上る。
出世作『アニー・ホール』では抜群のファッションセンスを発揮し、「自立した現代女性」を象徴する存在として圧倒的支持を集めた。同年公開の『ミスター・グッドバーを探して』では、対照的に悲劇的運命に吞まれてしまうヒロインを体当たりで演じ、時代のアイコンとなる。以降、主演・助演の両面で活躍を続け、監督業にも進出。『想い出の微笑』(1995年)『電話で抱きしめて』(2000年)などの佳作を手がけた。
アル・パチーノ、ジャック・ニコルソン、ウディ・アレンといった強力な個性派スターたちと堂々と渡り合いながら、揺るぎない知性と品性、そして親密さと優しさを感じさせる演技が多くの人に愛された。長きにわたって「こういう女性でありたい」と観客に思わせた稀有な存在だったといえる。個人的には、監督ウディ・アレンの創造性を凌ぐほどのコミカルな快演を見せた主演作『マンハッタン殺人ミステリー』(1993年)が印象深い。また、女性飛行士アメリア・イアハートを演じた伝記TVムービー『ラストフライト』(1994年)もいまいちど見直したい。
このほかにも、『トップガン』シリーズのアイスマン役などでおなじみの俳優ヴァル・キルマー(4月1日没)、『ランボー』(1982年)第1作を手掛けたカナダ出身の監督テッド・コッチェフ(4月10日没)、『私の男』(1996年)などで知られるフランスの映画監督ベルトラン・ブリエ(1月20日没)、『冬の小鳥』(2009年)や『アジョシ』(2010年)などで一世を風靡した韓国の女優キム・セロン(2月16日没)ほか、多くの映画人たちが世を去った。作品を通して、いまも変わらぬ彼らの輝きを振り返りながら、冥福を祈りたい。























