デヴィッド・リンチ、ロブ・ライナー、ダイアン・キートンら2025年の逝ける映画人を偲んで

2025年の逝ける映画人を偲んで

 2025年も、さまざまな出会いと別れがあった。新しい未知の才能、ようやく見出だされた遅咲きの花もあれば、まったく予想もしていなかった大物の訃報、あまりにも早すぎる痛ましい喪失に驚かされもした。ここに哀悼の意を込めて、2025年に惜しまれつつ世を去った映画人たちの記憶を振り返りたい。

デヴィッド・リンチ

デヴィッド・リンチ(Album/アフロ)

 1月16日、78歳没。当時、ロサンゼルス一帯の山火事から避難するために滞在していた実娘の家で息を引き取ったという。死因は長年の肺疾患とのこと。映画界きっての愛煙家で、2020年には肺気腫と診断されていたが、本人は気にせず活動意欲に燃えていたという。実際、スティーヴン・スピルバーグ監督の『フェイブルマンズ』(2022年)で巨匠ジョン・フォード役を演じた際にも、盛大に葉巻をふかしていた。

 映画はアートに、アートはエンターテインメントになりうること(そしてどちらにおいても“本物”たりえること)を証明した唯一無二の天才だった。カルト作家のイメージが強いかもしれないが、実は大衆からも幅広い支持を集めたところに凄みがある。初長編『イレイザーヘッド』(1977年)で注目を集めてからも活動範囲は映画だけにとどまらず、アーティストとして多方面で活躍。1990年にスタートしたTVドラマシリーズ『ツイン・ピークス』は爆発的人気を獲得し、TV界の伝説となった。

 劇場長編としては2006年の『インランド・エンパイア』(2026年1月9日より4K版リバイバル公開)が最後の作品となったが、なんといってもTVシリーズ『ツイン・ピークス The Return』(2017年)の堂々たる傑作ぶりが印象深い。約17時間・18話構成の長編映画といわれるほど、リンチの意匠が隅々まで凝らされた快作だった。まるで衰えを知らない作風に、きっとこの先も変わらず新作を放ち続けるのだろうと信じきっていたので、訃報には本当にびっくりした。

 ただ、寂しくはあるが不思議と悲しくはない。たまたま人間の肉体に入り込んでしまっていた魂が、ひょいと次のステージに旅立ったような気もするからだ(『ツイン・ピークス The Return』で、今は亡きデヴィッド・ボウイが演じたFBI捜査官ジェフリーズが意表を突く姿で再登場するように)。2025年は『ブルーベルベット』(1986年)のプリシラ・ポインター(4月28日没)、『マルホランド・ドライブ』(2001年)のレベッカ・デル・リオ(6月23日没)、『ワイルド・アット・ハート』(1990年)のダイアン・ラッド(11月3日没)といったリンチ作品の出演者も立て続けに鬼籍に入ったが、きっと向こうの世界でコーヒーを飲みながら、みんなでくつろいでいるのではないか。

ロブ・ライナー

ロブ・ライナー(REX/アフロ)

 12月14日、78歳没。リンチとは対照的な、あまりに衝撃的な訃報だったといわざるを得ない。妻ミシェルとともに、ロサンゼルス市内の自宅で遺体となって発見されたライナーは、かつて監督作『ビーイング・チャーリー』(2015年)の脚本を手がけた実息ニック・ライナーによって刺殺されたとみられている。

 ロブ・ライナーはデヴィッド・リンチの1つ年下の1947年生まれ、ニューヨーク出身。父親のカール・ライナーは俳優・コメディアン・脚本家といった多芸多才の持ち主で、映画監督としてはスティーヴ・マーティンとの名コンビで知られた才人。その喜劇的才能は息子ロブにも引き継がれ、初監督長編『スパイナル・タップ』(1984年)でいきなり爆発。モキュメンタリー・コメディの金字塔として歴史にその名を刻みつけた。その後も『スタンド・バイ・ミー』(1986年)『恋人たちの予感』(1989年)『ミザリー』(1990年)『ア・フュー・グッドメン』(1992年)などの話題作・ヒット作を連発。スティーヴン・キング原作の『ミザリー』では優れたショック&サスペンスの演出手腕を発揮しながら、ジャンルの枠には決して収まらず、あくまで幅広く観客の心に訴える人間ドラマを描き続けた。その意固地さも、いま思えばライナーらしい。

 近年はリベラル派としての政治活動を作品にも投影し、『LBJ ケネディの意志を継いだ男』(2016年)『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(2017年)といった骨太な社会派作品を発表。特に『記者たち~』は上映時間91分とは思えないほど濃密な内容を驚くほど手際よく詰め込み、映画作家としての円熟ぶりを見せつけた。

 遺作となったのは、出世作の続編『Spinal Tap II: The End Continues』(2025年)。現時点で日本公開は未定だが、これを映画館で見届けることが何よりの追悼になるのではないか。

 極めて痛ましい結末を迎えたとはいえ、最後まで家族の問題から目を逸らさなかったであろうライナーの姿は、想像に難くない。俳優として『スパイナル・タップ』や『ブロードウェイと銃弾』(1994年)などで見せた軽妙な演技を思えば、泥臭く生き延びる道もあっただろうに……とも考えてしまうが、その生真面目な“外柔内剛”ぶりもまたロブ・ライナーらしさだったのかもしれない。

ジーン・ハックマン

ジーン・ハックマン(REX/アフロ)

 2月18日、95歳没。以前ここで追悼文を書かせてもらったロバート・レッドフォードと同じく、1960~70年代の「アメリカン・ニューシネマ」の時代にスターとなった俳優のひとりだった。それまでのハリウッドでは主役級として扱われなかったであろう「個性派」「演技派」が脚光を浴びた時代であり、ハックマンはその代表格といえる。

 1930年に米国カリフォルニア州サンバーナーディーノに生まれた彼は、30歳を過ぎてから俳優を志し、下積み時代を経て『俺たちに明日はない』(1967年)などの助演で注目される。そして大ヒット作『フレンチ・コネクション』(1971年)の鬼刑事ドイル役に抜擢され、第44回アカデミー賞主演男優賞を獲得。その後も『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)『スケアクロウ』(1973年)『カンバセーション…盗聴…』(1974年)など、1年ごとに代表作を放つ快進撃を続けた。『ブラック・エース』(1972年)や『スーパーマン』(1978年)で演じた憎々しい悪役も忘れ難い。

 90年代には第65回アカデミー賞助演男優賞に輝いた『許されざる者』(1992年)をはじめ、1995年の『クイック&デッド』『クリムゾン・タイド』などで高圧的な敵役キャラを貫禄たっぷりに巧演。天才一家のわがままな家長を演じた『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』(2001年)ではゴールデングローブ賞助演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)を獲得し、映画史に残る名演を刻みつけた。

 2004年には早くも俳優業引退を公言。ニューメキシコ州サンタフェで静かな引退生活を送っていたが、今年2月に妻のベッツィ・アラカワ、愛犬とともに亡くなっているのがを発見された。先に妻がウイルス感染で帰らぬ人となり、1週間後にハックマンが冠動脈疾患で亡くなったと見られている。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる