【本日地上波放送】『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は何度観ても“再発見”できる!

子どもの頃に観た映画を大人になってから観返すと、まるで同じ映画が別の作品のように感じることがある。かつては単純に「面白い」「怖い」「不思議」といった感覚で楽しんでいたシーンが、人生経験を積んだ今では全く違う意味を持って心に響いてくるからだ。
主人公の何気ない一言が、実は深い人生の真理を語っていたことに気づいたり、脇役の行動に自分の姿を重ねたり。そんな「再発見」の喜びこそが、時代を超えて愛される作品の真の魅力だろう。

10月31日の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』は、まさにそんな作品の代表格だ。1993年の公開から30年以上経った今も世代を超えて愛され続ける本作は、観る年齢によって全く異なる表情を見せてくれる。ストップモーション・アニメーションが生み出す独特の質感、ダニー・エルフマンが紡ぐ一度聴いたら忘れられない楽曲、そしてゴシックでありながら温かみのある世界観。これらが織りなす映像体験は、何度観ても新鮮な驚きを与えてくれる。
子供の頃に初めて観た時は、骸骨が歌い、カボチャが踊る不思議な世界に純粋に驚き、楽しんだ記憶がある人も多いだろう。ハロウィンとクリスマスという正反対の祝日が混ざり合う奇想天外な物語に、ただただワクワクしたものだ。しかし大人になって改めて観返すと、この物語には、実は極めて現代的で、働く大人の心にこそ深く突き刺さるテーマが隠されていることに気がつかされる。
主人公のジャック・スケリントンは、ハロウィンタウンの王として誰もが認める成功者だ。毎年完璧な恐怖の祭典を演出し、住民たちから絶大な支持を得ている。それなのに、彼の心は深い倦怠感に支配されている。「また今年も同じことの繰り返しか」という彼のため息は、毎日同じ仕事をこなし、ルーティンに埋もれている現代の働く人々の心情そのものではないだろうか。

そんな時、ジャックは偶然クリスマスタウンへの扉を発見する。初めて目にする煌びやかで温かな世界は、彼の心を完全に捉えてしまう。そして「自分もクリスマスを作ってみたい」と思ったジャックは、プレゼントやトナカイといった表層的な部分だけを抽出してクリスマスを再現。クリスマスの核心にある愛情や家族の絆といった目に見えない価値を理解せずに計画を進めた結果、ジャックの計画はよからぬ方向へと進んでしまう。
しかし、ここで立ち止まって考えたい。ジャックの行動を単なる愚行として片付けてしまっていいのだろうか。SNSで見る他人の生活の一部分だけを見て全体像を判断してしまったり、成功事例の表面的な要素だけを真似ようとしたり。物事の本質を理解せずに形だけを模倣することの危うさは、私たちの日常的な失敗とも重なって見えるのではないだろうか。

確かにジャックは自己中心的だ。町の住民を自分の計画に巻き込み、サンタクロースを誘拐し、結果的に世界中の子供たちのクリスマスを台無しにしてしまうのだから。ウギー・ブギーという分かりやすい悪役の存在によって相対的に善玉として認識されがちだが、冷静に見れば彼の行動原理は「自分の欲求を満たしたい」という一点に集約される。
しかし同時に、ジャックの姿には見習うべき点もある。それは、現状に満足せず、新しいことに挑戦しようとする姿勢だ。成功の頂点にいながらも「これでいいのか」と自問し、全く異なる価値観の世界に興味を持ち、失敗を恐れずに挑戦する。もちろん、その方法には改善の余地があったが、新しいことに挑戦する勇気自体は、変化を恐れがちな私たちにとって、考えさせられる部分があるのではないだろうか。




















