『べらぼう』染谷将太にしか演じられなかった喜多川歌麿 作品に“命”を注ぐ表現者の痛み

浮世絵師・喜多川歌麿といえば、誰もが華やかな美人画を思い浮かべるだろう。柔らかな線、艶やかな色彩、江戸の女性たちの美を極限まで昇華させた作品群。しかし、NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』で染谷将太が演じる歌麿からは、そうしたきらびやかなイメージとは異なる、ある種の静かな苦悩が滲み出ている。

第39回では、歌麿が愛した女性・きよ(藤間爽子)が瘡毒によって命を落とす場面が描かれた。衰弱していくきよを前に、歌麿は何もできない。ただ見つめることしかできない。美しいものを追い求めてきた絵師が、目の前で失われていく命の残酷さに打ちのめされる。きよという存在は、歌麿にとって単なる恋人以上のものだったはずだ。彼女がいたから世界に色があり、筆を握る意味があった。その喪失は、単に人を失ったというだけでなく、創作の根源を失うことでもある。

これまでも歌麿の壮絶な人生が描かれてきたが、実際の喜多川歌麿の人生を見れば、これからも苦難と共に歩んでいくことは間違いない。ドラマで描かれる通り、歌麿は版元である蔦屋重三郎との出会いによって才能を開花させ、美人画で江戸中の人気を博した。しかし、その栄光の時代は長くは続かなかった。寛政の改革が始まると、松平定信による厳しい出版統制が敷かれる。洒落本や黄表紙といった娯楽本は次々と規制され、表現の自由は著しく制限された。
さらに、最大の支援者・蔦屋重三郎の死も訪れる。1797年、蔦重は47歳という若さでこの世を去る。歌麿にとって蔦重は、単なる版元ではなく、自分の才能を信じ、世に送り出してくれた唯一無二の理解者だった。その喪失は、きよを失った痛みと重なるだろう。信じられるものを次々と失いながらも、歌麿は筆を置くことができなかった。
そして1804年、歌麿の運命を決定づける事件が起きる。豊臣秀吉とその側室たちを描いた「太閤五妻洛東遊観之図」が、幕府の逆鱗に触れたのだ。歌麿は手鎖の刑に処される。この事件が歌麿の心身を深く傷つけたことは想像に難くない。釈放後もその傷は癒えることなく、1806年、歌麿は54歳で失意のうちにこの世を去った。

そんな歌麿を演じるのが、なぜ染谷将太だったのか。2011年、映画『ヒミズ』でヴェネツィア国際映画祭の新人賞を日本人として初めて受賞したとき、染谷が見せたのは感情の爆発ではなく、抑圧された静けさだった。声を荒げることなく、表情を崩すこともなく、それでも目の奥だけで心の揺れを伝える。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』で演じた織田信長も、従来の威厳あるイメージとは異なる、内に秘めた激情を持つ人物として描かれた。歌麿のように、感情を閉じ込めながらも作品に命を注ぎ続ける人物を演じるには、これ以上ない適役だったのだ。
ドラマの中で、歌麿は次第に絵に呑まれていく。きよが衰弱する中でもなお、彼は筆を握り続ける。その手はもはや創作のためではなく、祈りに近い何かのために震えている。描かなければ消えてしまう。そんな切迫感があった。史実の歌麿もまた、孤独のなかで最後まで絵を描き続けた。そこに選択の余地はなかっただろう。染谷は、描くことに取り憑かれた人間の哀しさを、過剰になることなく静かに体現している。

美しさとは痛みの裏返しであり、創造とは孤独の果てにしか成り立たない。その真実を、染谷将太は歌麿という人物を通して静かに、しかし確かに表現している。『べらぼう』の歌麿は、ただの天才ではない。愛する人を失い、権力に抗い、それでも絵を描くことをやめなかった人だ。染谷の演技が、その複雑な人生を丁寧にすくい上げている。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』
NHK総合にて、毎週日曜20:00~放送/翌週土曜13:05~再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00~放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15~放送/毎週日曜18:00~再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK























