『ベートーヴェン捏造』が問い直す“事実の特定” 現代社会における情報伝達の条件とは

『ベートーヴェン捏造』が問い直す事実の特定

 リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、近頃は環境音ばかり聴くようになった徳田が『ベートーヴェン捏造』をプッシュします。

『ベートーヴェン捏造』は情報社会に刺さる傑作 衝撃の“史実”とバカリズムらしさを融合

バカリズムがベートーヴェンを? 偉人を? クラシック音楽を?──最初に聞いたとき、首を傾げた人も多いだろう。コント芸人として、ま…

『ベートーヴェン捏造』

 映画『ベートーヴェン捏造』が9月12日に公開された。中身の分析についてはすでに優れた論考が掲載されているので、ここでは簡単なあらすじ紹介とそこから読み取れるメッセージについての所感を書き記そう。

 本作は、ベートーヴェンのパブリックイメージが実は捏造だったということを暴くものだ。いわゆる「会話帳改竄事件」では、難聴を患っていたベートーヴェンの会話帳を、秘書のシンドラーが改ざん・棄却していたという。その結果、我々がよく知る“崇高な音楽家”としてのベートーヴェンの人物像が出来上がった。その一部始終を描いたのが、本作とその原作小説・かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫)というわけだ。

 シンドラーは自身の行為について悪びれる様子もなく、それどころかある種の正義感を抱いてさえいるような人物として描かれる。“偉大な作曲家”ベートーヴェンのイメージは崇高でなければならない。自堕落で、癇癪持ちの情けない人物像は知られないほうがいい。そもそも、ベートーヴェンの死後、シンドラーしか知りえない情報をシンドラー自身が発信したのだとしたら、どのようにしてファクトを確定させるのだろう。

 このような開き直りによって、シンドラーはベートーヴェンのパブリックイメージを「創作」していく。

 ただし、「私しか知りえないベートーヴェン」像を知っているのは、何もシンドラーだけではない。当然、シンドラーのほかにもベートーヴェンの関係者は大勢いて、親族や他の秘書も存在する。

 シンドラーと彼らは、自身が執筆したベートヴェンの伝記の正当性を新聞紙上で主張しあい、論争を繰り広げる。それは生涯続いた。さながらメディアで展開されるバトルロイヤルだ。

 私たちの抱く「ベートーヴェン像」がシンドラーによるものとされているように、このバトルロイヤルにとりあえず「勝利」したのは彼だった。しかしおよそ100年の時を経てまさかの反論が現れた。それが本作(のもとになった論文が言及している「会話帳改竄事件」にまつわる史実)というわけだ。

 長い時間と労力をかけて「本当の事実」が明らかになる。批判的検証・科学的思考の継承によって、人類はファクトに辿り着くことができる。こうした理性的な態度こそが、ポストトゥルースの現代に必要な思考力であることを、本作はありありと描いてくれる。

 と言いたいところだが、おそらく事はそう単純ではない。

 原作はかげはら史帆が書いた修士論文が元になっているというが、本作を鑑賞した者のうち、いったい何人がその論文の内容を確認するだろう。そもそも原作の『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』のほうは、修士論文をエンタメ小説風にリライトしたものだ。つまり本作は事実(=論文)の脚色(=小説化)のさらなる脚色(=映像化)である。

 しかもさらに言えば、論文の事実性を厳密な意味で我々が確かめることもない(ふつう一次史料まで辿りつかない)。もちろん学術論文の査読をいちいち疑うのは陰謀論的な意味で馬鹿げている。ただそれにしても、我々が普段用いる事実の大半は伝聞に依存せざるをえないものだということを、改めて思い知らされる。

 恐らくそのことに、本作の制作陣はある程度自覚的だ。本作におけるシンドラーの生涯は、ある音楽教師が生徒に物語るかたちで描かれるからだ。つまりベートーヴェンにまつわる真実を伝聞した人物の話を、さらにある少年が伝聞する(のを視聴者が観る)という構図で物語は進行する。

 すなわち視聴者にとって本作で提示されるベートーヴェンの真実は、伝聞の伝聞の伝聞の伝聞の伝聞の伝聞の伝聞くらいの話だが、作中の出来事は普通に「新しい事実」として受け取られるだろう。このような情報伝達の連鎖がバカリズム(脚本)の筆致でシニカルに描かれている。

 ちなみに例の学術論文が小説化されるにあたって、どのような脚色がなされたのかを解説した記事が存在する。筆者は原作者のかげはら史帆自身のようだ(※)。

参照
※ https://note.com/kage_mushi/n/n022623c2fa5e

■公開情報
『ベートーヴェン捏造』
全国公開中
出演:山田裕貴、古田新太、染谷将太、神尾楓珠、前田旺志郎、小澤征悦、生瀬勝久、小手伸也、野間口徹、遠藤憲一
原作:かげはら史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫刊)
脚本:バカリズム
監督:関和亮
企画・配給:松竹
制作プロダクション:松竹
制作協力:ソケット
製作:Amazon MGMスタジオ、松竹
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