『ベートーヴェン捏造』は情報社会に刺さる傑作 衝撃の“史実”とバカリズムらしさを融合

『ベートーヴェン捏造』情報社会に刺さる傑作

 バカリズムがベートーヴェンを? 偉人を? クラシック音楽を?──最初に聞いたとき、首を傾げた人も多いだろう。コント芸人として、また『バズリズム02』(日本テレビ系)の司会者として知られる彼が、なぜ19世紀ウィーンの音楽史を扱うのか。しかし蓋を開けてみれば、歴史ものとしてはもちろん、バカリズムワールドとしても大いに楽しめる傑作だった。

 原作はかげはら史帆による歴史ノンフィクション『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』(河出文庫刊)。ベートーヴェンの崇高なイメージが実は秘書シンドラーによる“捏造”だったという、音楽史上最大のスキャンダルを暴いた話題作だ。凡庸な人物が天才音楽家に異常な執着を見せると聞けば、映画『アマデウス』でサリエリがモーツァルトに抱いた歪んだ感情を想像するが、本作はそれとはまた違う独特の味わいがある。難聴と闘いながらいわゆる「運命」や「第九」を生み出した孤高の天才──私たちが信じてきたこのイメージは、壮大なフェイクだったのか。

 衝撃的なのは、私たちが「ベートーヴェンらしい」と信じてきたエピソードの多くが、シンドラーによる「捏造」だったという事実だ。「ベートーヴェンはコーヒー好きで、毎回豆を60粒きっちり数えて淹れていた」という几帳面なエピソード。「運命」冒頭の「ジャジャジャジャーン」は「運命が扉を叩く音」だというドラマチックな解釈。これらすべてが後世の創作だったのだ。

バカリズムの洞察力で描かれるベートーヴェンの生涯

 主人公シンドラー(山田裕貴)は、片田舎で育った「秀才」だが、大学を中退。血筋もコネもない青年が、音楽の道に進もうとする中で、子ども時代の憧れ・ベートーヴェン(古田新太)と再会するチャンスを得る。

 しかし、目の前にいるのはかつて憧れた人物とはかけ離れた「小さくて小汚い中年男性」。下品で、金にがめつく、女好き。とんでもないカンシャク持ちだが、シンドラーは「彼を支えられるのは自分しかいない」という使命感に目覚める。

 バカリズムは『私のバカせまい史』(フジテレビ系)で誰も調べない細かな歴史を掘り下げ、『必殺!バカリズム地獄』(AbemaTV)では人々の怒りやムカつきエピソードをユーモラスに扱ってきた。数々のドラマでも「あるある」ネタやリアルな会話劇が得意な人として知られるが、実は物語の構成力が抜群に高い。彼は「かげはら先生の原作がとてもおもしろくて、この壮大な物語をどうやって1本の映画に収めるか試行錯誤しながら書きました」(※1)と語る。

 シンドラーの異常な言動は、観る者を引き込む。ベートーヴェンに近づく人を片っ端から排除し、「俺がいないと何もできないんだよねー」と吹聴。周囲からは「腰ぎんちゃく」「融通がきかない」「彼を悪く言うやつはナイフで刺しそう」「近寄るなオーラ出してる」と陰口の嵐。そんな噂はベートーヴェンの耳にも入り、「お前のせいで俺までめんどくさい奴に見られかねない」と苦言を呈される。

 だがシンドラーは、批判を受けても自分をベートーヴェンの「ボディガード」と称する。「何から守るんだよ!」とツッコまれると、「ナイフで刺しそうと言われた」と嬉しそうに会話帳に記す。批判すら自慢のネタに変換してしまう、この異常なポジティブ思考。

 美青年カール・ホルツ(神尾楓珠)に初めて会ったとき、シンドラーは「このかわいい若者もそばにおきたくなりましたか」「冗談ですよ」と、鼻くそのようなどうでもいい冗談をわざわざ会話帳に書いてベートーヴェンに見せる。学生時代、授業中に先生の悪口や好きな人の話など、どうでもいいおしゃべりメモをやたら回してくる友人がいたという人は多いだろう。シンドラーはまさにそのタイプで、雇用主のベートーヴェン相手にそれを日々繰り返す。

 極めつきは「パパゲーノ」のエピソードだ。パパゲーノとは、モーツァルトの歌劇『魔笛』に登場する鳥刺し男で、お調子者で無駄口が多く、女性にモテない道化的キャラクター。ベートーヴェンは明らかに「無駄口を叩くな」という皮肉を込めてこう呼んだが、シンドラーは侮辱と受け取るどころか専用ニックネームのように受け止め大喜び。以降、ベートーヴェン宛のメモに堂々と「パパゲーノ」と署名する。

 「どうもコイツとは噛み合わない」「リアクションが的外れ」「空気が読めない」「可愛げがない」「融通がきかない」「あいつとは合わない」──どんなことを言われても、へこたれたり傷つくどころか栄養分のように吸収して肥大していくシンドラー。

 ここにバカリズムの人間洞察力が表れている。シンドラーの行動は極端だが、誰もが持つ「認められたい」「特別でありたい」という欲望の延長線上にある。

山田裕貴×古田新太の怪演

 しかし、ある一件からシンドラーは解雇されてしまう。そして、ベートーヴェンが次に雇った秘書は、明らかに初対面で気に入っていた様子のホルツだった。シンドラーのことは「パパゲーノ」呼ばわりだったのに、ホルツのことは賞賛する。この差は残酷だ。

 圧巻なのは、山田の異常な愛情の演技だ。『ホームルーム』(2020年/MBS)で演じた教師・愛田凛太郎は、生徒への純粋な思いが執着へと変質する役柄だった。相手のためと信じて疑わない独善的な愛情、自分の行動を正当化する心理を純粋さと狂気で表現した。本作のシンドラーも、ベートーヴェンへの崇拝が独占欲へと変わり、「自分こそが理解者」という妄想に取り憑かれていく。拒絶されるたびに瞳を輝かせ、罵倒されるたびに頬を紅潮させる。まるで褒められた子どものような無邪気さで、否定的な言葉を受け止めていく。

 古田のベートーヴェンは、まさに怪物的な存在だ。汚い言葉を吐き散らし、癇癪を起こし、自分勝手に振る舞う。そして、どんなに悪口雑言を浴びてもなぜか離れていかないシンドラーに苛立ちを隠さない。その噛み合わなさは本作の一つの肝でもある。

 あるとき、難聴のベートーヴェンに指揮の話が舞い込むと、シンドラーの本音が露呈する。「世間からすれば生きる化石」「老いぼれ」とベートーヴェンを見下しつつ、「哀れな化石」で「憧れられる立場じゃない」ベートーヴェンを悲劇のヒーローに仕立て上げることで賞賛を浴びる。もはや自分が「憧れをコントロールできる」と思い始める倒錯した優越感。

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