『8番出口』二宮和也はなぜ階段を“下る”のか? 迷う男が辿り着けなかった真のクリア条件

『8番出口』二宮和也はなぜ階段を下るのか?

二宮和也は本当にループから脱出したのか?

 では、この不条理に満ちた世界は何を示しているのか。ゲームでは意味付けのない不条理がそのまま提示されていたが、映画版ではそこに物語的解釈が付与されている。映画というメディアに適合させるためには、世界そのものに物語的意味を与える必要があるのだ。

 どうやら物語の手掛かりは、二宮和也演じる迷う男と、小松菜奈演じる女性との関係にありそうだ。彼女から妊娠を告げられた彼は、その事実を受け止められない。地下鉄で泣く赤ん坊に苛立った乗客が母親を怒鳴りつける場面でも、彼は見て見ぬふりをしてしまう。そして気づけば、地下通路に閉じ込められる。

 となるとこの空間は、赤ん坊の胎内世界のメタファーとして読むことができる。彼は何度も彼女から「どうする?」と聞かれ、決断を迫られていた。主人公は「父になるか否か」という岐路に立ち、出口を探し続ける。迷う男は、文字通り迷える男なのだ。彼が少年と手を取り出口へ向かうのは、父になることを受容するまでのプロセスと解釈できる。

 歩く男(河内大和)は、迷う男のオルターエゴといえるだろう。彼もまた予想しなかった妊娠が発覚し、人生の岐路に立っていたのかもしれない。最後に子どもを捨てて一人で出口を去る姿は、父親になる責任を放棄する選択を示している。彼が出会う女子高生(花瀬琴音)も、ひょっとしたら母になる準備が受け入れられていないのかもしれない。つまりこの地下通路は、“親になること”への不安と逡巡を凝縮した空間なのだ。

 物語は、地下鉄に乗った迷う男が、再び泣きじゃくる赤ん坊に苛立つ乗客の姿に出会い、今度こそ決意を宿した表情を浮かべ、乗客に注意を与えようとする場面で幕を閉じる。迷う男は父親になる決断を下すことで、このループから抜け出したのだ。……だが、本当にそうだろうか? 気になるのは、看板では8番出口は階段を上った先にあるはずなのに、主人公は階段を下って地下通路を抜け出していることだ。

 むしろ彼は、0番出口のもっと手前、つまり映画の冒頭に引き戻されてしまっている。これは完全に筆者の妄想だが、8番出口を抜け出すためには、つまり本当の意味で彼が父親になるためには……少年と手をとりあって、階段を“上る”必要があったのではないか。

 だが迷う男は、洪水の混乱で少年の手を離してしまっていた。彼はまだ父としての試練を乗り越えていない。真のクリア条件に辿り着くまで、無限地獄は続く。いや、我々が生きているこの世界もまた毎日の繰り返しで出来ているのだから、8番出口を抜け出したあとも、より不条理な世界が彼を待ち受けているのかもしれないが。

 『8番出口』は、不条理なゲームの枠組みを拡張しつつ、映画史的引用と音楽的反復を駆使して観客を迷路に閉じ込める。出口はいったいどこにあるのか。本作は、私たちが社会や家族のなかで選択を迫られる、その不条理さを映し出す寓話である。実況動画が物語を与えたゲームが、二宮和也という俳優の身体を媒介に、“体験する映画”へと転換されたのだ。

■公開情報
『8番出口』
全国公開中
出演:二宮和也、河内大和、浅沼成、花瀬琴音、小松菜奈
原作:KOTAKE CREATE『8番出口』
監督:川村元気
脚本:平瀬謙太朗、川村元気
音楽:Yasutaka Nakata(CAPSULE)、網守将平
配給:東宝
©2025 映画「8番出口」製作委員会
公式サイト:exit8-movie.toho.co.jp
公式X(旧Twitter):@exit8_movie
公式Instagram:@exit8_movie
公式TikTok:@exit8_movie

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