『鬼滅の刃 無限城編 第一章』徹底解説 「強い者は弱い者を助け守る」は今の世界にこそ響く

「アニメーション」の歴史における『鬼滅の刃 無限城編』

このような、原作に付け加えられる飛び道具を大きな魅力とする作風には感嘆させられる一方で、この手法をもって日本のアニメーションの頂点であり到達点であるとする、一部の批評における理解には、そのまま同意しかねる部分もある。それは比較対象として、高畑勲監督や宮﨑駿監督の作品を例に出せば、分かりやすいところなのではないか。
例えば『かぐや姫の物語』(2013年)では、卓越したスタッフによる手描きの絵の動画部分が、通常のアニメーションのように単純な線で表現され直すことなく、線や色彩の濃淡を残したままでブレなどの副次効果を回避して表現され、アニメーション表現の一つの未来を提示していた。これは、『鬼滅の刃』シリーズにみられる、ペンタッチの強弱を模したキャラクターの輪郭線の描き方とは一線を画すものだ。
また、『風立ちぬ』(2013年)における「関東大震災」を描いた一連のスペクタクルシーンでは、画面上の無数のモブがそれぞれに自然に動くという、狂気を感じるほどの作業量と、引きの絵でも破綻なく全てを調和させるといった、尋常ではない映像表現、作画・動画技術が達成されていた。例えばこのような試みと達成が、日本のアニメーションの到達点だと言うに、より相応しいものだといえるのではないだろうか。

日本におけるこういった挑戦的な表現が、作中の物語や感情のピークに位置していなかったり、リアルで詳細な描き込みや画面を埋める色彩など、単なる作風に過ぎない点のみを作画技術や演出の豊かさだとして評価する視点では、真価をとらえきれないのではないかと考えられる。『鬼滅の刃』シリーズは、難解な表現やアートにおける美意識、もしくは時代設定や生活などへのこだわりではなく、情感を伝える部分やバトルアクションにかかわるところに、親しみやすいテイストでパワーを注力したことで支持を受けやすかったという理解が、より公平な感覚だといえるだろう。
それは、人間ドラマの描写にもいえる。例えば、猗窩座のバックグラウンドが紹介される回想パートでは、ある女性の“花火”にまつわる心情が語られる感動的なシーンがある。ここで伝えられるのは、その前のシーンで描かれた、人間時代の猗窩座の何気ないセリフが、彼女にとって嬉しかったという内容なのだが、それは当該シーンですでに暗示されているので、やや説明過多といえるものになっている。
もちろん、その物語運びでキャラクターの心情を表現する原作が、そもそも少年誌であること、漫画がビジュアル表現であるとともに、テキストを読む“読みもの”である点を考えれば不思議はないのだが、動きや色、詳細な背景美術や声優の演技など、描写の情報が追加されたアニメーションで、そのままそれをやってしまうと、意味の揺らぎや奥行きといった、文学性や芝居の醍醐味が味わえなくなってしまうのではないか。それは、もはやナレーションに近い炭治郎の雄弁な“心の声”も同様だ。

とはいえ、この説明過多ともいえる表現が、『鬼滅の刃』シリーズの特質なのである。こういった描き方によって、観客はほとんど誤解することなく作り手の意図を理解でき、映画のシーンの魅力というものを、ある意味“解説付き”で楽しめる親切設計になっているともいえる。これにより、老若男女の観客全てが同じ作品を隅々まで楽しめるのである。
ここで本作や、ある方向性のアニメーションの文法を、ことさら批判したいわけではない。『鬼滅の刃』のアニメシリーズは、根本的な意味でのアニメーション表現の変革や、アニメ技術の頂点を目指したものというよりは、原作のテイストを活かしつつ、安定した作画と飛び道具を中心に、情感や興奮を増幅して伝えるため盛り上げ役に徹するスタイルを選び取った作風であるという、事実に沿った理解をしたいということなのだ。
実際、本作はその点において他の追随をなかなか許さないものになっているのは確かなことだろう。原作者の意図や作品理解が、作り手にしっかりと共有されていることで、付け加えの部分がノイズになりにくいというのも、シリーズ全体の強みとなっている。
原作のスケールをはるかに超えた、巨大な構造物が埋め尽くす果てしない奥行きの空間を鎹鴉 (かすがいがらす)の目線でとらえるカメラワーク、童磨の血鬼術が生み出すクリスタルのような氷の表現、新・上弦の陸が発する、どす黒い雷を縁取る赤や青の電撃のハイライト、そして善逸と対峙した際の、対照的なライティングによる対立構造の視覚化、キャラクターの表情を照らす繊細な光のグラデーションなど、「ufotable」に期待するものは、しっかりと本作に反映されているといえるのだ。
最もそれが十全に発揮されたのが、猗窩座の「破壊殺」であることは言うまでもない。「空式」、「乱式」、「脚式」の「冠先割(かむろさきわり)」、「流閃群光(りゅうせんぐんこう)」、「飛遊星千輪(ひゆうせいせんりん)」、コンビネーション「鬼芯八重芯(きしんやえしん)」、構造物すら難なく崩壊させてゆく「砕式」の「万葉閃柳(まんようせんやなぎ)」、そして「羅針」のそれぞれの頂点を打ち上げ台として、「乱式」級の打撃が周囲に放たれ、まるで花火のように光の筋が乱れ飛んでいく、「術式展開・終式・青銀乱残光(あおぎんらんざんこう)」が、鮮やかに画面を染めていく。
おそらくは回想パートの花火が「破壊殺」のモチーフとなり、人間時代の猗窩座が出会った女性の名前が、「羅針」の造形に影響を与えているという点は、説明的な部分の多い本作が、あえてはっきりとは語っていない点だ。人生のなかで輝く思い出や、尊敬する拳術師範による鍛錬の重要性を説いた指導が、怒りによる復讐の暴力と絡み合い、それを鬼舞辻無惨に利用されたことで、記憶を失ってなお無意識下で幸福を求めるという、悲しいマリオネットになっていたということが判明するところが、本作の暗いロマンであり、心を打つ部分だ。

この点については、原作通りはっきりと説明されないことで、「ufotable」のエフェクトそれ自体が、猗窩座のパーソナリティそのものの表現に昇華され、相乗的に輝きを増すのである。これこそが前述したような、アニメーションが文学的価値やアートとしての価値を持つ瞬間であるといえるだろう。
また、原作から描かれている要素である、「井戸に毒」というセンシティブな部分も補足しておきたい。この部分がデリケートなのは、日本で関東大震災が起こった時代に、そういったデマが飛び交い、特定の民族への憎悪が高まり虐殺事件が起こった事実を想起せざるを得ないからだ。しかし、原作者・吾峠呼世晴は、そういった犯罪行為をおこなうのを、剣術道場の者たちとして設定している。
ここでの原作者の描き方が信頼できるのは、日本刀を振る主人公たちをヒーローとして描きつつも、同じ剣の道を歩んでいるはずの人々が、これほど残忍で卑怯なことができてしまえるという、ある種の皮肉として機能するといったバランス感覚が作中で発揮されているからだ。これは、『遊郭編』の元凶として侍の犯罪が描かれたことや、「上弦の陸」の人間性の描き方にも通底した、“人間の善悪は属性そのものに備わるわけではない”といった、原作者の思想が垣間見える部分だ。
そんな不心得者たちを“弱者”と考えた人間時代の猗窩座は、鬼になって記憶を失い、弱者そのものを憎むといった誤謬を犯し、戦闘中にも弱肉強食の思想を語る。炭治郎は、そんな猗窩座に対して真正面から、「強い者は弱い者を助け守る」ものだと指摘し、それがむしろ「自然の摂理」なのだと反論するのだ。
この炭治郎のセリフは、力を持つ者が支持され、持たざる者や少数派などが弾圧されることが目立つようになってきた不寛容な社会、弱い者たちが暴力の犠牲となる、いまの世界情勢のなかで放たれたことで、より大きな意味を持つことになったのではないだろうか。こういった社会的メッセージは、逆にはっきりと言葉として観客に伝えることで、大きな力を持つものだ。

原作のメッセージや、人を労る精神、傷ついた者への細やかな配慮、それらが全ての観客の心に本当の意味で響き、人生や社会にポジティブな影響を与えるというのは、甘い見通しであるのかもしれない。人間は、そういったメッセージを受け取り涙する一方で、それとは真逆の行為ができるものである。それこそ、童磨が相手の心情を理解すると言いながら残虐な行為を続け、大粒の涙を流すように。
しかし、だからといって、そういった表現が何の意味も持たないわけではないはずだ。これだけの多くの観客に作品が届けられるのだから、いまの時代に必要だといえる原作のメッセージを発信することで、誰かの生き方をポジティブに変え、少しでも世界に影響を与えることができるのならば、本作の価値は、その方向性からも高まることになるだろう。
『無限城編』の全章完結は、まだまだ先のこととなるだろう。物語全体の完成となると、もしかしたら、そのさらに先となる可能性もある。だが、いずれにせよ、原作の持つ言葉の力や、人と人とが繋がり幸せな世界へと向かおうとする精神が描かれるはずであり、その意味において、今後のシリーズの製作を支持し、応援したい気持ちである。
■公開情報
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』
全国公開中
キャスト:花江夏樹(竈門炭治郎役)、鬼頭明里(竈門禰󠄀豆子役)、下野紘(我妻善逸役)、松岡禎丞(嘴平伊之助役)、上田麗奈(栗花落カナヲ役)、岡本信彦(不死川玄弥役)、櫻井孝宏(冨岡義勇役)、小西克幸(宇髄天元役)、河西健吾(時透無一郎役)、早見沙織(胡蝶しのぶ役)、花澤香菜(甘露寺蜜璃役)、鈴村健一(伊黒小芭内役)、関智一(不死川実弥役)、杉田智和(悲鳴嶼行冥役)、石田彰(猗窩座役)
原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
美術監督:矢中勝、樺澤侑里
美術監修:衛藤功二
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:Aimer「太陽が昇らない世界」(SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)・LiSA「残酷な夜に輝け」 (SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)
総監督:近藤光
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス
©︎吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
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